- 2023.07.12 Wednesday -
スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
calendarprofileselected entries
categories
archives
recommendlinkssearch this site.sponsored linksothersmobilepowered |
聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
サムエル記を愛して その22サムエル記第一・第二四章 逃亡するダビデ、エン・ゲディの荒野で
前章の最後で、サウルはダビデ討伐のさ中に、侵入してきたペリシテ人と戦うためにそちらに向かいますが、一段落したのでしょうか、すぐにまたエン・ゲディの荒野にいるダビデを追かけます。今度はイスラエルから精鋭三千人を率いています。強い殺意に満ちているのです。
ところが、とあることが起こります。ダビデたちが洞穴に隠れ潜んでいた、その同じ洞穴にサウルが用を足しに入ってきます。これはサウルを打つ絶好のチャンスです。ダビデの部下たちは、神の時だと色めきます。ダビデはおもわずサウルの上着の裾を切り取るのです。いのちではなく衣服の一部ですが、チャンスは十分あったのです。しかしダビデはあとでそれすらも主の前に悔い『油そそがれた方に手を下すなど、絶対にできない』6節と言って部下たちを制します。ダビデはただ神だけを見上げているのです。
サウルが出ていくとダビデは呼びかけます。これは勇気のいることです。サウルの一声でイスラエルの精鋭三千人が襲い掛かってくるかもしれないのです。弱者も交えた六百人のダビデ部隊はかないっこありません。
ダビデは初めてサウルに訴えます。涙ながらにでしょうか、身を低くして、『あなたはだれの後を追いかけておられるのですか、一匹の蚤を追っておられるにすぎません』14節。自分に殺意のないことを、サウルの衣の裾をみせながら弁明します。さすがのサウルもダビデの誠意を認め引き上げて行きます。ここでもまた神はダビデを守ります。
Category : サムエル記を愛して
サムエル記を愛して その21サムエル記第一・第二三章 逃亡するダビデ、ジブの荒野を転々と
ダビデのもとにペリシテ人が近くのケイラの町を責めているとの知らせが届きます。 戦士ダビデはじっとしてはいられません。 主に訊くと「ケイラを救え」と言われます、2節。 ダビデは逃げ隠れする身でありながら勇敢に戦い、ペリシテに大損害を与えてケイラを救います。しかしこれは危ない橋なのです。ケイラの人々にとってはありがた迷惑だったかもしれません。サウルが黙っているわけがありません。攻めてくることは自明のことです。サウルの手にかかれば先のノブの町のような目に遭うかもしれないのです。
ダビデが主に伺うと「サウルはケイラに攻めてくる」、 「ケイラの住民はダビデをサウルに引き渡す」と言われます。主のお答えは無情です。ダビデは立つ瀬がありません、絶体絶命ともいえます。 『そこでダビデとその部下六百人はすぐにケイラから出て行き、そこここと、さまよった』13節。 幸いダビデがいないのでサウルはケイラ討伐を中止しました。 サウルはダビデだけが目当てです。その執拗さは異常です。
およそ一〇から二〇キロ圏内の荒野を逃げあるいは追いかけて、まるで鬼ごっこのようです。 大の大人、しかも一国の王とその武将が命を懸けてすることでしょうか。 マオンの荒野では山の両側を両軍が追いつ追われつになります。ダビデは不利です。
そのときでした『ペリシテがこの国に突入して来ました』27節。サウルはあわてて引き返します。 ダビデは危機一髪のところで難を逃れます。
Category : サムエル記を愛して
|