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みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2023.07.12 Wednesday -

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  • 2018.02.23 Friday - 08:49

サムエル記を愛して その14  

サムエル記第一・第一六章 エッサイの八番目の息子、羊飼いダビデの登場

 

 この章からダビデの名前が見えてきます。父エッサイの手伝いをして羊を飼う少年ダビデです。待望のダビデ登場です。読者にはすでに立琴を奏でながら羊の番をする紅顔の美少年ダビデのイメージが強く焼き付いています。この印象は詩篇の賛歌と相まって、消えることはありません。

  一方、サウル王は、神への不従順のために王の座から外されてしまいます。神はすでに次の王を考えておられます。サウルの知らないところでご計画は着々と進められます。

 

 神からのことばを預かり、それを民に告げ、あるいはそのおことばを実行していくサムエルの役目はつらく厳しく苦しいものです。神はご自分の決めた人に油を注げと言いつけますが、サムエルは『サウルが聞いたら私を殺すでしょう』2節、と訴えます。サムエルの言い分はもっともです。しかしサムエルは神の言いつけどおりに従います。

 

 サムエルはベツレヘムへ出かけて町の長老たちを招き、いけにえをささげます。これは異例のことなので長老たちは不安になり、なにか特別の事情があると察します。サムエルはその席にエッサイと息子たちを招きます。七人の息子たちがサムエルの前に並び、油を注がれようとしています。町の長老たち、エッサイと息子たちは何事が始まるのか見当もつかず呆然としていたことでしょう。

 

 七人がサムエルの前に紹介されましたが、サムエルは手にした油の壺を傾けようとしません。主からの指図がありません。全員ノーです。おかしいです、神はあらかじめエッサイの息子の中に『わたしのために、王を見つけたから』1節と、言っておられます。

 

 サムエルはエッサイに子どもたちはこれで全部かと尋ねます。エッサイは『末の子が残っています。あれは今、羊の番をしています』11節、と答えます。父親の目から見ても、ダビデは人前に紹介できるような一人前の息子ではなく末っ子の子どもなのです。しかしサムエルは神のおことばに忠実です。すぐにダビデを呼んでこさせます。

 

『さあ、この者に油をそそげ』12節、神の一声がかかります。サムエルはダビデの頭になみなみと油を注ぐのです。兄弟たちの真ん中、ベツレヘムの人々の真ん中でのことです。これは後々どんな意味を持つのでしょう。

 

 その日以来、『主の霊が激しくダビデの上に下り』13節、ます。ダビデは神から選ばれたのです。『人はうわべを見るが、主は心を見る』7節、にあるように、これは主のなさった不思議です。人間の側の価値判断を越えた主の選びです。『わたしがあなたがたを選び』ヨハネ15・16なのです。ダビデは愛すべき少年ですが、まだ、ただの人です。後年、ダビデが目覚ましく大活躍するのは『主の霊が激しく下った』ためです。

 

 サウルは、王になる時に与えられた主の霊はすでに取り去られてしまったのか、悪い霊に苦しめられ恐怖に怯えています。哀れな王様ではありませんか。家来たちは見かねて音楽療法を進めます。家来はダビデを『琴がじょうず勇士であり戦士です。ことばには分別があり、主がこの人とともにおられます』18節、と推薦するのです。

 こうしてダビデはサウルの具合が悪くなると、羊の番から離れて急いでサウルのところに駆けつけて琴を奏でます。なんとも奇妙な関係ではありませんか。

 


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