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みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2023.07.12 Wednesday -

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  • 2017.11.28 Tuesday - 07:31

サムエル記を愛して その11  

サムエル記第一・第十三章 サウル王の大罪

 

『サウルは三十歳で王となり、十二年間イスラエルの王であった』1節。

 イスラエルに王が立てられ軍隊が編成されているとの情報はいち早くペリシテにも知れ渡ったことでしょう。サウルの息子ヨナタンがペリシテの守備隊長を打ち殺したことからペリシテ人はいっせいに戦闘準備をしてミクマスに陣を敷きます。その様子は手に取るようにイスラエルに伝わってきます。再び残忍非道なペリシテの蹂躙を受けるのかと思うと、人心は激しく動揺します。人々は身の安全を求めて国中に逃げ隠れます。

 

 サウルと兵士たちはサムエルの言いつけに従ってギルガルにとどまっていますが、彼らもまた恐怖のために震え上がっています。目の前に自分たちが担ぎ上げた王サウルがいるにもかかわらず、士気は衰え、かえって隙あらば逃亡したいほどなのです。当のサウルも不安と焦燥に駆られています。サムエルが来ないからです。約束の「七日間」が過ぎても来ないのです。サムエルがなぜ約束を守らなかったのかは、謎です。

 

 恐慌状態に陥ったサウルは、祭司職の特権であるいけにえを、自分でささげてしまうのです。大いなる越権行為です。王様は祭司ではないのです。これほどの大きな罪はありません。あまりに大きい判断ミスです。

 直後に到着したサムエルは開口一番『あなたはなんということをしたのか』11節、と攻め寄り、『あなたは愚かなことをしたものだ。今は、あなたの王国は立たない』とまで断言します。最初から『あなたの王国は立たない』とは、気の毒にさえ思えます。しかも『主はご自分の心にかなう人を求め、ご自分の民の君主に任命しておられる』14節、とさえ言い切ります。

 

 思えば、イスラエルの歴史に初めて王様が登場することになり、読者としては、王様についてメルヘンチックな既成概念があるせいか、強き勇ましい王が華々しく活躍する姿を思い描きます。ところがサウルに限っては当てはまりません。そもそも、王様を求める人心は神の嘆きとなり、神の本意ではないのです。かといって神は主権を持って拒否するのではなく、民の願いを聞き入れて『王を立てよ』と許可したのでサウルが選出されたのです。サウルが強引に王権を奪ったわけではないのです。サウル自身もうろたえ、しぶしぶ王座に着いたように思えます。それなのに早々から『あなたの王国は立たない』とは、むごいように思えます。

 

 しかし、あまり人間的な低レベルの情を寄せるのはよくないかもしれません。一つ思い当たることは、サウルには『主の霊が激しく下った』ことです。サウルは新しい人に、王にふさわしい人に、神によって変えられたのです。その特権と威力が発揮されていないのです。王とはなんぞやが、認識され自覚されていないのです。王といえども神の前に絶対にしてならないことがあるのです、その境目を厳密にわきまえることこそ、公人と言えるのではないでしょうか。この後も、サウルは独断から来る判断ミスを起こします。

 

 それはどこから来るのでしょうか、サウルの性格の弱さでしょうか。傲慢と自己保身、つまり自己中心が最大の原因でしょう。もちろん机上でサウルを裁くのは簡単ですが、しかし、どうみても彼は不適当な人、そして悲劇の人です。


  • 2017.11.08 Wednesday - 12:09

サムエル記を愛して その10  

サムエル記第一・第十一章 サウル初戦大勝利 神の前での王権設立

 

 イスラエルの外敵の一つであるアモン人が、国境近くのヤベシュ・ギルアデの人々に攻撃の構えを見せてきました。ヤベシュの人々はサウルの所に来て事の次第を伝えます。聞いたとき『神の霊がサウルの上に激しく下った』6節。サウルは激しい闘志に燃え、全イスラエルに徴募の号令を掛けます。単にサウル一人の熱心ではありません。神がサウルの心に働きかけたのです。サウルは今や自分が王に立てられたことを自覚したのです。ぞくぞくと人々がサウルのもとに集結します。この様子を聞いたヤベシュの人々は大喜びします。彼らは残虐なアモン人から救われることに期待したのです。

 

 サウルは兵の先頭に立ち、勇ましく指揮をふるってアモン人の陣営に突入し、壊滅に追い込みます。イスラエルの大勝利です、サウルは初陣で大手柄を立てたのです。

 すかさずサムエルは民に云います。『ギルガルへ行って、王権を創設する宣言をしよう』14節。サムエルはこの時を神の好機と判断したのでしょう。今や、サウルは民からの全幅の信頼を得たのですから。

 ギルガルで主の前にいけにえをささげ、正式にサウルを王とするのです。さしずめ戴冠式といえましょう。こうして、イスラエルは民族集団から王制の国家へと新しい歩みを始めます。サウルも民も有頂天です。しかし、王を立てることはそもそも神のみ心を痛め、サムエルを不快にしたマイナス旋律から始まっていることは忘れてはならないことです。

 

サムエル記第一・第十二章 サムエルの引退説教  

 

 イスラエルは、神と民の前で正式に王制を発足させ、まだ宮殿はなかったにしても、サウルは押しも押されぬ初代の王位に着きました。イスラエル国家が誕生したのです。しかし国家といっても現代とは違って神政国家です。最高主権は神にあります。王を選ぶのは神です。サウル選出にはくじが使われましたが、くじにこそみこころが現れています。

 サムエルは大役を果たしました。士師(さばきつかさ)の役割のひとつ、政治や軍事の役割は終了です。しかし預言者としては最高峰に位置し、民はひとえにサムエルを信頼しています。若葉マークの王サウルも彼を差し置くようなまねはできません。

 

 サムエルは民の前で、これまでの自分の働きを総括します。若い時から白髪の今日まで先頭に立って歩んできたがもし不正をしていたら申し出てほしい、償いをするからと。さらに出エジプトからカナン定住までを物語り、安らかに暮らせたのは神の救いによるのだと、イスラエルの神を強調します。その神を二の次にして王を求めたのは罪だと言い切るのです。たった今、王制が始まったばかりなのに罪だと断罪するのは言い過ぎではないかとさえ思います。サウルはどんな思いで聞いたでしょう。王の椅子も座り心地はよくなかったでしょう。

 

 その時、乾期には降らない激しい雷雨があり、民は震え上がって神とサムエルの真意を悟ります。そこでサムエルはこれからも祈り続けるから、あなたがたも『ただ主を恐れ、心を尽くして主に仕えなさい』と切々と言い聞かせます。引退説教といえましょう。


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