- 2023.07.12 Wednesday -
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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
利根川の風 その3 日本の女医第一号 荻野吟子の生涯★順天堂に入院、治療の日々
吟子の嫁した上川上村の名主稲村家は荻野家より格段上の豪農で、吟子の結婚は玉の輿だと世間から羨望の的になるほど荻野家には誇らしい良縁であった。学問好きで世事に疎い吟子は、先に嫁いでいった姉たちに倣って、疑いも抵抗もなく言われるままに稲村家の嫁になった。吟子の学問好きといえば、その利発さは父も戸惑うほどであった。父が兄たちのために江戸から儒学者寺門静軒を招いて講座を開いていた折、幼い吟子は後ろの方で目を輝かせて、兄たちよりも熱心に学び理解したという。さらに寺門静軒の弟子で土地の学者松本万年に漢学を学ぶようになり、ますます才媛振りを発揮するようになった。吟子より八歳上の万年の一人娘荻江は後の失意の吟子を理解し励ます無二の友となった。荻江は父の跡を継ぐ漢学者であり、後に東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大)の教授に父とともに招かれて活躍した。
後日、吟子はここに入学することになる。
それはさておき、実家に出戻って病床に臥す吟子を追わねばならない。
実家の奥座敷に隠れるようにして養生していても、病状は一進一退で回復の見込みは望めなかった。そもそも決め手となる治療法も薬もないのだ。時に気分のよい時があっても庭にすら出る気になれない。まして家の外へは気配さえ見せられなかった。人の目があった。家人たちを初め、辺り一面が真相を知ろうとする好奇の目と耳でうずまっていた。離縁という煮え湯を勇ましく飲み干すには吟子も荻野家も非力であった。利根川の風は覚悟した以上に無情に吟子の胸を突き刺した。
学問の師として親しく仰ぐ松本万年は漢方医でもあったから、折々に訪れては問診し、薬を出してくれた。ある時、万年は東京の順天堂病院での診察を勧めた。院長は関東一円に名を馳せている西洋医学の名医佐藤尚中である。万年は尚中と面識があった。婚家と正式に離縁の話がついて荻野姓に戻ってほどなく、吟子は順天堂に入院することになった。明治三年のことであった。まだ維新の混乱は続いていたが、すでに江戸は東京と改名、幕府は江戸城を明け渡し明治天皇の御代が始まっていた。
吟子は佐藤尚中の治療に人生を賭ける思いで上京した。俵瀬から東京まで、現在では通勤もできるほど交通は便利になったが当時は二日がかりの旅路であった。吟子は舟であった。分家の荻野家所蔵の二十石積の高瀬船に、母のかよと乗船した。利根川から江戸川、東京湾から隅田川に入り浅草で停泊した。そこで下船し、下谷の順天堂医院に着いた。入院手続きをしてその夜は近くに宿をとったという。 ――是が非でも治りたい。我が身を、わが心を蝕む悪病から解放されて、新しい人間になりたい。そうなれば忌まわしい三年間を悪夢として忘れられるだろう。どんなに憎んでも恨んでも飽き足らない夫をも見知らぬ他人のように思えるだろう―― 吟子は自分を縛り付ける呪縛の縄から自由になりたいと激しく願った。 ――丈夫になって新しくなりたい、新しい自分になりたい、生まれ変わった別人のようになりたい―― 吟子は狂おしいほどに思ったにちがいない。
佐藤尚中の治療は患部を徹底して洗浄することだった。ところが、である。思いもかけない展開になった。診察する尚中はじめ取り巻く医師たちは男性ばかりではないか。当時、女医がいるわけはないのだから当然のことではあったが、いざ診察となって気づけば、すべてが男性ばかりである。ハッとしたが、吟子はたった一人、半裸にされて患部を覗き込まれ、触診もされた。全身が羞恥と屈辱の塊となって縮みあがった。なんという苦行であろう。いっそ、舌を噛み切って死んでしまいたかった。身を切り刻んで捨ててしまいたかった。しかし逃げ出すことも悲鳴を上げることもできない。耐えねばならなかった。
思えば、病気をうつされたことも、病んで臥したことも、離縁の恥を味わったことも、男性医師たちに取り囲まれることに比べればたいしたことではなかった。吟子は診察のたびに血の出るほど唇を噛んで屈辱に耐えた。泣きに泣き、食事も取れず眠れない夜が続いた。
そうした中で耳に入るのは、診察を嫌悪するあまり一日延ばしにして悪化させ、不妊になり、ついに命を落としていった女性たちが無数にいることであった。 もし、女医がいて、女医が診察するのなら、耐えられるだろう。 ――女医、女性の医師、女医、同性の医師、ああ、女医がいてくれたら―― ――女医になろう。女医になろう。同じ思いに泣く同性たちが安心して治療を受けられるように、私が女医になるのだ。私は人のためになりたい。人を助けたい。女医になって苦しんでいる人たちを助けたい―― 突然、稲妻が走るようにこの思いが吟子の脳を貫いた。閃光は心臓を貫き手の先から足の先まで全身を走り、やがて心に留まった。決意は不動の塊になって心の中心を占め、以後の吟子を支え続けた。天が吟子に与えた使命ではなかったか。
新しい目標は希望の火になって心を照らしてくれた。苦渋に満ちた診察の時の杖とも柱ともなった。しだいに涙が乾いていった。女医になるのだ、女医になるのだと呪文のように言い続けた。心の張りは病状をも好転させた。完治する病ではなかったが、吟子は一年余りの闘病の末、退院して故郷俵瀬の生家に帰ることができた。 しかし喜んではいられなかった。実家は安穏として長く居られる場所ではない。出戻り女性の生きる場所はないのだ。恥じさらしな居候として座敷牢に閉じ込められるか、新しい嫁ぎ先を探すほかはないのだ。
吟子は自立を選んだ。それはもちろん女医への道であったが、道はない。道なき道を行くことしかなかった。しかし吟子はひるまなかった。
たった一つ、頼れる人は松本万年荻江父娘であった。すでに松本万年のアドバイスで順天堂への道が開けた。そこは地獄を見るような日々であったとはいえ、地獄の底で希望を見つけることができた。希望は生きる力の母ではないか。吟子の新しい道はすでに始まっていたのである。
Category : 利根川の風
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