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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
風の置いた籠 創世記を愛して 一章一節一思一考 その25いよいよ最終回になりました。 ヤコブは子らに命じ終わると、足を床の中に入れ、息絶えて、自分の民に加えられた。 臨終に当たって、ヤコブが息子たちに残した言葉を掲げます。 『彼はまた彼らに命じて言った。「私は私の民に加えられようとしている。私をヘテ人エフロンの畑地にあるほら穴に、私の先祖たちといっしょに葬ってくれ。そのほら穴は、カナンの地のマムレに面したマクペラの畑地にあり、アブラハムがヘテ人エフロンから私有の墓地とするために、畑地とともに買い取ったものだ。そこには、アブラハムとその妻サラとが葬られ、そこに、イサクと妻リベカも葬られ、そこに私はレアを葬った。その畑地とその中にあるほら穴は、ヘテ人たちから買ったものである。」 ヤコブは移住先のエジプトで何不足ない晩年を暮らしました。息子や孫たち大家族に囲まれ、家長としての尊厳を保ち、さらに、アブラハム、イサクの一族を継承した堂々たる族長でした。異国エジプトに身を寄せていたとはいえ、息子ヨセフはパロから篤い信任を受け、宰相として国家の最高地位にありました。いうなれば、一大成功者です。大きな顔をしてエジプトに住み、エジプト流の壮大なお墓に入れたのです。ヤコブはエジプトに葬られようとは望みませんでした。 神様が祖父アブラハムに約束した地、カナンこそ帰るべき地、骨を埋める場所だと決めていました。信仰者ヤコブの誇り高き一面を見る思いです。 ヘブル書を思い出します。『彼らはさらにすぐれた故郷、天の故郷にあこがれていたのです』(一一章一六節) 創世記五〇章(終章)二〇節 「あなたがたは私に悪を計らいましたが、神はそれをよいことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして多くの人を生かしておくためでした」 兄弟全員が力と心を合わせて父ヤコブを葬ったあと、残された者たちの心にすきま風が忍び入ります。これはよくあることで、時に遺産を巡って骨肉相食む凄惨劇が展開すると、今でもよく聞きます。ヨセフの兄弟たちが遺産相続争いをしたとは聖書にはありませんが、ヨセフを疑う思いが浮かび上がるのです。過去の罪が苛むのです。加害者の苦しみというのでしょうか。裏返せば、仕返しを恐れる自己保身の心理でしょう。今までは父親がいたから何とか穏便にすんだけど、盾とも杖ともしたものが無くなったのだから、タダでは済むまいと恐れるのです。 赦しを信じ切るのも難しいことだと思わずにはいられません。せっかくの赦しなのに、もったいないことです。ヨセフは嘆きます。そして兄たちに言うのです。赦しは神がなしたことだ、人を救うためにと。ヨセフは信仰の秤で、自分の人生を計ったのです。 『神は、愛する者たち、ご計画に従って召された者たちのためには、万事を益としてくださるのです』 創世記全体から、救いのメッセージを乗せた恵みのファンファーレが高らかに聞こえてきませんか。 アブラハム、イサク、ヤコブを用い、さらに御ひとり子主イエス・キリストを私たちに賜ったみわざに万感の思いを込めて感謝し聖名を崇めます。ハレルヤ! 長期にわたってご愛読いただき心から熱くお礼申し上げます。 また、聖霊なる生ける神に導かれて、「聖書の緑風」をお届けしたいと願っています。
Category : 風の置いた籠
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