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聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2023.07.12 Wednesday -

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  • 2015.12.22 Tuesday - 08:49

風の置いた籠 創世記を愛して 一章一節一思一考 その21



創世記四十一章一節
それから二年の後、パロは夢を見た。
 
いよいよヨセフ物語は佳境に入ります。キーワードは夢です。またも夢が先行します。ヨセフは神様から与えられた夢解きの杖で苦難の壁を打ち砕いていきます。
 
 献酌官長はヨセフのおかげで命拾いして職場復帰しますが、ヨセフのことをすっかり忘れてしまいました。しかし神様はご計画を進めるために彼を一足先にパロのもとに返したと考えられます。


 二年後に、今度はパロが夢を見るのです。二年後です。献酌官長にとってはわずかな期間だったでしょうが、ヨセフには気の遠くなるような二年ではなかったでしょうか。それでも外界との一筋の糸に希望を持ってじっと耐えたのです。もちろんこれだけに執着したのではないでしょうが。
 
 パロは不思議な夢に心が騒ぎ、国中に触れを出して解き明かしのできる人を探します。しかし満足のいく答えを出せる人はいませんでした。そのとき、かの献酌官長はようやくヨセフを思い出すのです。遅い!と叫びたいほどです。しかしその後の神様のみわざは超スピードです。牢から出されたヨセフは直ちに王に謁見し、夢を解き、一気に王の信頼を得、この章の終わりにはナンバー2としてエジプト全土に君臨するに至ります。時にヨセフ三〇歳。一三年間の苦闘の暗雲はちぎれ雲となってかなたに飛び去り、主の知恵で政策、政務に実力を発揮します。七年間の豊作、七年間の飢饉を乗り越えるために。

 
 
創世記四十二章三節
そこで、ヨセフの十人の兄弟はエジプトで穀物を買うために、下って行った。
 
 エジプトを襲った未曽有の飢饉は、カナンにもおよび、ヤコブ一族も飢餓に瀕します。そこへ、エジプトには多くの穀物の備蓄があり、内外から大勢の人たちが買い付けに行っているとの風のうわさが伝わってきます。今から三千年も、四千年も前のこと、思えば一番欠けているのは情報の手段だったでしょう。

 しかし、風が伝えるのです。風は神様の足です。ヤコブは十人の息子たちに食料を買いに行かせます。エジプトの宰相が、我が忘れじの息子ヨセフなどとは露も知らずに。もちろん兄たちも知りません。この時ヤコブは末息子ベニヤミンだけは行かせないのです。まだヤコブの偏愛は変わっていません。ところがこのことがことを複雑にする原因になるのです。


 十人の兄たちはヨセフの前に拝むようにひれ伏して食料を乞います。かつてヨセフの見た夢の通りになったのです。あの夢は兄たちの怒りを買い、ヨセフいじめの原因を作りましたが、まさに神様が見させたのです。ヨセフはすぐに兄たちだと気がつきます。しかしその場で名乗ったりしません。ヨセフは一計を巡らし、兄たちをスパイ扱いして詰問します。彼らは怯えながら言うのです「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請うたたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった」。

 結局、ヨセフは彼らに食料を持たせて帰しますが、弟を連れて再度出直すように命じ、シメオンを人質にします。息詰るような場面が続いていきます。
Category : 風の置いた籠

  • 2015.12.09 Wednesday - 17:26

風の置いた籠 創世記を愛して 一章一節一思一考 その20



創世記三九章二節
主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の家にいた。
 
 聖書は前章でユダを語ると、切り替えも鮮やかにすっとヨセフの続きを語りだします。ヨセフは十人の兄たちによってたかっていじめられ、ついにミデアンの隊商に銀二〇枚で売られてしまいます。世の中には目を覆う惨劇が多いとはいえ、これ以上のことはそうざらにはないでしょう。母は異なりますが兄弟がそろいもそろって年端もいかない末弟を裸にして穴に突き落とし、挙句の果てに売り飛ばすのですから。

 そのお金は何に使ったのでしょうか。十人で一人二枚ずつ分けたのでしょうか。その場面を想像するとぞっとします。まさに鬼畜といえましょう。彼らはイシュマエルの隊商に連れて行かれるヨセフをどのように見送ったのでしょうか。泣き叫んだであろうヨセフの泣き声を聞き流すことができたのでしょうか。ヨセフの絶叫は鋭い刃物のように彼らの心に深い傷をつけたはずです。

 十数年後に、彼らはヨセフの前でその時の心情を吐露しています。一時の勢いとはいえ、残忍な行為は加害者をも苦しめるのだと思います。極悪人にも良心があるのです。まして、一つ家で育てられた兄弟ですもの、仮にも信仰者ヤコブを父とする子どもたちですもの、ヨセフへの加害は彼らの胸中を一日たりとも離れたことはなかったでしょう。

 一方ヨセフは見知らぬ国の見知らぬ家に売られていくのです。しかしです、神はヨセフとともにエジプトへ下り、ヨセフを守り助け続けます。


創世記四〇章九節
それで献酌官長はヨセフに自分の夢を話して言った。
 
 神に守られ誠実に生きたヨセフは主人パロの廷臣ポティファルの家で信用されていきますが、なんとその家の夫人の愚行と讒言から強姦罪で牢に投げ込まれます。これだけは避けたかった汚名でしょう。しかし釈明などできる立場ではありません。

 不本意な牢獄生活の中でもヨセフは誠実に生き続けます。ヨセフの歩みを強めているのは、ともにいます主を明確に知っていたからでしょう。その結果、監獄の長からも信用され、牢にいるすべての囚人たちを任されます。
 出来事が起こります。神様のみ業でしょう。ヨセフは拘留された二人のパロの廷臣の夢を解き明かします。夢を見たりその意味を解き明かすのは、神様がヨセフに与えた賜物です。もっとも、その賜物が災いして、ヨセフは兄たちから疎まれたのですが。

 パロの廷臣たちの見た夢はヨセフの解いたように実現します。しかし釈放された献酌官長は世に出たとたんにヨセフのことを忘れてしまうのです。ヨセフは彼にめんめんと嘆願したのです。「あなたがしあわせになっときには、きっと私を思い出してください。私に恵みを施してください。わたしのことをパロに話してくださいこの家から私が出られるようにしてください」。ここにはヨセフの悲しみ苦しみが噴き出しています。淡々と、黙々と、軽々と牢にいたのではないのです。燃えるような、煮え返るような、切ないうめきを抱えながら耐えていたのです。救い出される日を待ち焦がれていたのです。
 
 
Category : 風の置いた籠

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