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みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2023.07.12 Wednesday -

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  • 2015.10.29 Thursday - 09:08

風の置いた籠 創世記を愛して 一章一節一思一考 その18



創世記三五章三節
べテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつもともにおられた神に祭壇を築こう。
 
 シェケムを後にするヤコブに、神様は先だって言われます。「立ってベテルに上り、そこにあなたが兄エサウから逃れていたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい」。
いっとき茫然としたであろうヤコブは神様のおことばで我に返ったのでしょう、ベテル目指して旅立ちます。神様はヤコブの息子たちの残虐行為をどう思われたのでしょうか、聖書はそれには触れず、ベテルに行け、べテルに行け、そこで礼拝し祈れと言われるのです。

 私たちがまず第一に行くべきところは礼拝の場なのです。べテルは、ヤコブの信仰の原点でもありました。若き日、兄や父イサクを裏切り、自らの蒔いた種のせいで故郷を逃亡したヤコブが、命の危険を感じながら野宿したその夢枕に、主は貴いご自身を現わされ、ヤコブの将来を祝福した、あの忘れることのできない恵みの場所です。   

 ヤコブは目の覚める思いで立ち上がり、魂の故郷へ向かいます。ヤコブは懐かしい場所に立って、過ぎし二〇年を思い返し、神様の身前にひれ伏したことでしょう。ヤコブの心を占領したのは、おそらく自己の惨めさと及びもつかない神の無限の赦しと愛だったでしょう。私たちのべテルはどこでしょう。べテルに戻ったことがあるでしょうか。懐かしい魂のふるさとべテルを訪問したいものです。


創世記三六章一節
これはエサウ、すなわち、エドムの歴史である。エサウはカナン人の中から妻をめとった。
 
前の章まではヤコブが主人公、この後の章からはヨセフ物語が延々と続くそのはざまにまるで押しつぶされそうに肩身を狭くして、しかし、丸ごと一章を埋めているのがエサウの歴史です。ああ、神様は粗野で愚鈍なエサウをも憐れんでおられるのだとホッとするのも一瞬で、「エサウはカナン人の中から妻をめとった」がぐさりと胸を突いてきます。裁判官が権威を持って、これがエサウの罪だ、エサウの罪はここにある、これは神の国には断罪に値すると宣言しているような厳しさを感じます。無数の人の名、士族の名はやがてエドム人として巨大な民族になり、イスラエルを悩ます敵になるのです。この章は読んでいても一筋の光も見えず、知らない街を見るようで、できるだけ大急ぎで通り過ぎたくなります。

 カナン人の中から妻をめとったの一言のなかに神様の悲しみ、嘆き、怒りが満ち満ちています。エサウはカナン人の中から妻をめとってはいけなかったのです。弟ヤコブがわざわざ遠路パダン・アラムまで伴侶を求めに旅にでたことは重々承知していたはずです。両親であるイサクとリベカの結婚のいきさつも耳の底にこびりついていたはずです。それなのに、です、カナン人の女を娶るのです。思うに、エサウはいっときの激情を制することができないのです。空腹に勝てず一椀のあつもので長子の権利を売ってしまう人なのです。
 
Category : 風の置いた籠

  • 2015.10.03 Saturday - 11:08

風の置いた籠 創世記を愛して 一章一節一思一考 その17



創世記三三章三節
ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄エサウに近づくまで、地に七回も地に伏しておじぎをした。
 
 兄エサウ恐ろしさに、ヤボクの川を渡れなかったヤコブでしたが、一晩中神様に叫び続けて祝福を勝ち取ると、勇気凛凛、群れの先頭に立って会見の場へ進みます。神様を信じ切ると人はここまで変われるのでしょうか。「彼らの先に立って―――」とは見逃せないひとことです。おそらくヤコブの心は平安と喜びに満ちていたのでしょう。  
 すでに莫大な贈り物が先行していますが、兄をみると、遠くから地に伏してなんどもなんどもおじぎをしました。一回や二回ならだれでもできるでしょう。しかし聖書は七回もと記します。土にまみれ砂を浴びてなお地に伏すのです。単なる恐れやうわべだけではここまではできません。心底から過去の非を詫び、赦しを乞う悔いくずおれた心情があふれ出ています。四百人の郎党を引き連れて迎えに出たエサウの本意がどこにあったかわかりませんが、これだけ礼を尽くされれば、あったかもしれない憎悪も敵意も影をひそめざるを得ません。「エサウは、走ってきて、彼を抱き、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた」のです。
 
 ラバンのもとで懊悩苦悩していたヤコブに、生まれ故郷に帰りなさいと言われた神様は、兄とも和解せよとの意を含ませたに相違ありません。ヤコブは徹頭徹尾身を低くしたことでエサウに赦され、積年の関係は修復され、シェケムの町はずれに宿営地を得ました。



創世記三四章二七節
彼らはハモルとシェケムを剣の刃で殺し、シェケムの家からディナを連れ出して行った。
 
 厄介な事柄というものはあとからあとから追いかけてくるものです。問題の原因が全くの災難なのか、こちらにも非があるのか、少なくとも当事者には判別できない場合が多いのです。ヤコブ一族郎党はようやくシェケムの町はずれに地を得て、一息もふた息もつきながら枕を高くして夜を過ごし、晴れやかな朝を迎え、平穏な日々を喜んだことでしょう。

 家族の一人一人に柔らかな笑顔が浮かび、ずっと張り詰めていた神経が緩むのを一番早く鋭く感じるのは若者、それも女性ではないでしょうか。末娘のディナはまるで風に舞う蝶のようにひらひらと異民族の街なかへ入っていったのです。隣の家に遊びにでも行くように無防備のままに。美しい娘は一瞬でシェケムの若者のハートを射抜きます。族長ハモルの息子シェケムは激情のままにディナを凌辱、そのまま離さず、ぜひ嫁にもらってくれと父ハモルにねだります。父はディナを値踏みします。結婚は取引です。族長はヤコブの財産を素早く看破したのでしょう。縁続きになれば互いの得になるだろうとほのめかしながら結婚を願い出ます。ところが、ヤコブの息子たちは妹の受けた屈辱にいきりたち、凄惨な復讐をします。

 結局、ヤコブ一族は逆襲を恐れて、再び流浪の民になる羽目に陥ります。ヤコブはいつになったら安住の地を得られるのでしょう……。
 
Category : 風の置いた籠

  • 2015.10.02 Friday - 08:20

お詫びします。



このブログにお訪ねくださる親愛なる皆様

いつも怠慢ですみません。

その上、パソコンの不具合でいっそうご無沙汰してしまいました。

近々、取り掛かりますので、おゆるしくださりいますように

お詫びともどもお願い申し上げます。

 聖書の緑風より
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