calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< July 2015 >>

profile

selected entries

categories

archives

recommend

links

search this site.

sponsored links

others

mobile

qrcode

powered

みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2023.07.12 Wednesday -

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

Category : -

  • 2015.07.31 Friday - 08:38

風の置いた籠 創世記を愛して 一章一節一思一考 その15


創世記二九章一六、一七、一八節
ラバンには二人の娘があった。姉の名はレア、妹の名はラケルであった。レアは目が弱々しかったが、ラケルは姿も顔立ちも美しかった。ヤコブはラケルを愛していた。
 
孤独な荒野の旅の途上で、まことの神様に出会ったヤコブは勇気凛凛、母の里アラムナハライムに到着し、伯父ラバンの家に落ち着きます。ラバンは思いがけない甥っ子の来訪を歓迎し、ヤコブは羊飼いの仕事を手伝うようになります。そこにはまるで誂えたように妙齢のいとこにあたる姉妹がいたのです。レアとラケルでした。聖書の記述もロマンチックでビジュアル、映画のようです。しかし波乱が起きるのは想像に難くありませんでした。

ヤコブは姉よりも妹のラケルを愛します。ラケルを見るに、イサクの愛した妻リベカ、ヤコブを偏愛した母ラケルの再来のようです。ヤコブがラケルに強く惹かれたのはたぶんに母の面影に負うところが大きいと思います。息子と母親の絆は異常なところがあります。

天から降ってきたような思いがけない居候ヤコブの働きぶりと娘ラケルへの愛を、ラケルの父ラバンは黙ってみていませんでした。利用しようとたくらんだのです。以後ヤコブはラバンに騙され続けて苦悩の歳月を過ごします。まず、ラバンはラケルとの結婚をゆるす代わりに自分のところで働く契約を結びます。さらに、ラケルと偽ってレアをヤコブの寝所に送るのです。騙されたラケルもヤコブも哀れですが、愛の無い妻の座にいるレアも哀れです。ところが神様はレアに四人の子どもを与えるのです。


創世記三〇章二二節
神はラケルを覚えておられた。神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた。
 
創世記の後半部分はヤコブ、ヨセフを中心に、一大スペクタクルドラマが展開し、ハラハラドキドキで、一気に五十章の最後まで駆けこませる勢いがあります。思わず聖書を読んでいるのを忘れてしまいそうになり、気がついて、聖書って面白いッと、再確認するほどではないでしょうか。

美しきラケルは注目の人ヤコブに愛されて得意の絶頂にいたかもしれませんが、父ラバンの策略で第一夫人にはなれず屈辱を味わいます。それに加えて、姉レアは立て続けに四人の男の子を産み、母の座を謳歌します。ラケルはそのたびに血の出るほど唇をかみしめたことでしょう。ヤコブに愛されないレアを思うとき、多くの子が与えられてよかったとホッとしますが、一方、ラケルの身を思いやると気の毒でなりません。

ふと、サムエルの母ハンナを思い出します。ハンナも夫に愛されながら不妊のためにもうひとりの妻からさんざんにいじめられました。レアがラケルを蔑んだかどうかわかりませんが、ラケルにとっては不妊の苦しみの大きさの前には、夫の愛もかすんでしまったかもしれません。

ラケルよ、無い物ねだりはよして、夫に愛されている身を感謝しなさいと言いたいほどですが、神様はラケルのうめきを退けず、願いを聞き入れるのです。なんとやさしい気前のよい神様でしょう。
 
Category : 風の置いた籠

  • 2015.07.04 Saturday - 20:49

風の置いた籠 創世記を愛して 一章一節一思一考  その14


創世記二七章四一節
エサウは、父がヤコブを祝福したことでヤコブを恨んだ。それで心の中で言った「父の喪の日も近づいている。そのとき、弟ヤコブを殺してやろう」
 
 なんとも物騒な言葉です。血を分けた兄の言うことでしょうか。ところが、兄が弟に殺意を抱くことは、すでに創世の初め、アダムとエバの息子たちにも起こりました。カインがねたみから弟アベルを殺害したのでした。ここも兄が弟を標的にしています。一般に立場や力の上の者は、下の者が自分を越えることは許せないのです。人間すべてに共通の弱さかもしれません。根本は自己中心、我(が)です。これが妬みの炎を燃やすのです。しかし、殺害にまで至ってしまうのは何としても残念です。いちばん強い愛の絆で結ばれるべき肉親の関係が、小さなことからほころび、破綻するとは、なんという悲劇でしょう。カインとアベルの箇所でも言ったことですが、歴史は繰り返すのでしょうか。人間は同じ過ちをし続けるのでしょうか。

 カインとアベル、エサウとヤコブの事件をよく見ますと、表面の事柄はちがいますがその奥に神様が係わってくるのは大変興味深いです。アベルは神様が弟を受け入れ、自分を拒否したことに腹を立てました。神様への怒りが弟へ向かっていきました。エサウはもともとは自分の蒔いた種であるのに、弟が長子の権利と祝福を奪ったとして憎悪を増していきました。神様の祝福がどれほど尊いものか、失って初めて知ったのでしょう。人の本心は神様に愛されたいのです。だれよりも神様に愛されたいのです。思えばけなげではありませんか。


創世記二八章一六章
ヤコブは眠りからさめて「まことに主がこのところにおられるのに、私は知らなかった」と言った。
 
 エサウも悪いけどヤコブはもっと悪くてずるい、その前に父イサクと母リベカの子育てが悪い、特に、リベカは愚かすぎる、夫と息子を騙すなんてと、わめきたい気がします。リベカは夫が老いて視力の弱くなったのをいいことに、溺愛するヤコブを兄に変装させて、家督相続の祝福の祈りを奪い取ってしまうのですから。騙されたエサウが怒り狂ってヤコブを殺そうと思うのも無理はありません。

 エサウの殺意を知ったリベカは、ヤコブを遠く自分の故郷へ逃がすのです。ヤコブは今風に言えばおたく人間です。母のそばにべったりだったのでしょう。そのヤコブがたった一人で逃亡する羽目になったのです。見送るリベカもあわれ、旅立つヤコブもあわれです。
 
 初めての一人旅に泣いたかもしれないヤコブのそばに、何と神様は野宿の仮寝の夢にご自身を表します。神様はエサウではなくヤコブを選ぶのです。一見、不公平な気がします。ヤコブは初めて神の臨在とその愛を知るのです。どんなにうれしく心強かったでしょう。

 
 以後、神様はヤコブの言動に関係なく、ヤコブを導き、彼を通してアブラハムへの約束を繋いでいきます。神様は不公平でなくご自身に忠実なのです。永遠不変のお方なのです。
Category : 風の置いた籠

| 1/1PAGES |