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聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2023.07.12 Wednesday -

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  • 2015.06.10 Wednesday - 08:28

風の置いた籠 創世記を愛して 一章一節一思一考 その13


創世記二五章二八節
イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。
 
 イサクもリベカも百パーセント神様に従い、祝福されて結婚しました。二人は人目にも麗しいすてきなご夫婦ではなかったでしょうか。やがて家庭には双子の男子エサウとヤコブが与えられました。満月のように欠けたところのない家庭が築かれていったと思います。

 ところが、いつからどうしてこの家庭に不穏な風が忍びこんだのでしょうか。夫婦がたった二人の子を平等に扱うことができなくなっていました。父親イサクは男の子らしく活発な長男エサウに目をかけ、リベカは自分にべったりのおとなしいヤコブを愛したのです。たぶん、親たちの扱いはかなり極端だったと思われます。自分の好みに従って子どもたちを愛したり疎ましく思うなんて、親のすることでしょうか。とはいえ、私たちも知らず知らず、あるいは故意に、同じことをしているに違いありません。
 
 しかし、こうした日々は、まず夫婦関係をゆがめてしまいます。それはダイレクトに子ども同士にも影響します。お父さんよりもお母さんが好き、母よりも父の方がいい、お兄ちゃんは嫌い、弟なんていない方がいい……。

冷え冷えとした家庭に、波乱が起こるのは時間の問題でした。エサウは神様の祝福を軽んじる愚か者になっていったのです。
 
 
創世記二六章三四、三五節
エサウは四十歳になって、ヘテ人ベエリの娘エフディアとヘテ人エロンの娘バセマテとを妻にめとった。彼女たちはイサクとリベカにとって悩みの種となった。
 
 この章は最後の二節を除いてすべてがイサクの偉業で埋めつくされています。周辺の部族にいのち綱ともいえる井戸をふさがれたり、奪われたりしてもイサクは争いませんでした。他の地に行って黙々と掘り、屈辱と徒労に耐えるのです。歯がゆいくらい無抵抗です。イサクの忍耐と柔和と寛容はどこから来るのでしょうか。思いますに、若き日のモリヤ体験、父親アブラハムにいけにえとしてささげられようとしたことが大きな影響を与えたのではないでしょうか。あの時から、イサクは主の山には必ず備えがあるとの不動の信仰を持つようになったと思います。それはその後の生き方に大きな余裕を与えたはずです。
 
 しかしこの静かな英雄イサクも、家庭には全ったき平和をもたらすことはできませんでした。肉親間の小さなわがままがいつの間にか息子たちをゆがめてしまったのです。その結果でしょうか、長男のエサウは価値判断が甘く、神様の祝福を軽んじるようになります。長子の特権をいっときの空腹に我慢しきれず、狡猾なヤコブに付け込まれて、一椀のスープと交換してしまいます。さらには、自分勝手に異民族の娘を二人も妻にします。父と母の結婚のエピソードを知らないはずはなかったでしょうに。聞いたことが身についていないのです。一番大切な魂の領域が未成熟なのです。親の責任も大きいと言えないでしょうか。
Category : 風の置いた籠

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