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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
風の置いた籠 創世記を愛して 一章一節一思一考 その12創世記二三章二節 サラはカナンの地のキルヤテ・アルバ、すなわちへブロンで死んだ。アブラハムは来てサラのために泣いた。 サラは九〇歳でイサクを産み、息子の成長を見守ることができました。乳離れの祝いの日に、ハガルの産んだイシュマエルがイサクをからかうのを見たときは、憤然と立ち上がり、ハガル母子を追い出してしまいました。母は強しを、目の当たりに見るような出来事でした。しかし肉愛の激情だけではないのです。イサクこそ神様の約束の子と確信していたからでしょう。そのサラも一二七歳で死ぬのです。サラはイサクを産んで育てたヘブロンにずっと住んでいたようです。おそらくアブラハムはその時一族や家畜の都合からベエル・シェバにいたと思われます。 アブブラハムは来て泣いたとあります。一〇〇キロもあろう道中を、泣き続けたに違いありません。看取ってやれなかったことを悔やみつつ、最愛の伴侶者の死を悼み悲しんだことでしょう。二人の夫婦関係は老いに従って円熟していったと思われます。 イサクとリべカ、二人の妻に苦しんだヤコブの家庭を思うとき、アブラハム夫婦の関係はトータルして麗しかったと思います。 アブラハムはサラのために高額な値で墓地を買います。わずかではあっても初めて自分の土地を所有したのです。約束の地の最初の所有地が妻の墓地であったとは、なんともこころ和み、こころうれしく、アブラハムへの尊敬の思いが高まります。 創世記二四章一三節 ごらんください。私は泉のほとりに立っています。 二三章は国々の母サラの死と葬りの話で、悲しみに満ちていましたが、この章は一変し、結婚ムードあふれるロマンとスリルに満ちたイサクの嫁とり物語です。 アブラハムは信頼する老しもべに、イサクの嫁を自分の親族から迎えるために遠くアラムナラハイムへ遣わします。しもべはこまごまとした指示を胸に、十頭のラクダを引き連れて東の地へ向かいます。およそ二十日の道のりと言われています。 ようやく目的の町に着いたとき、しもべはまず祈ります。それが冒頭に掲げた一句です。主人の願いの通りに事が運ぶことを信じ期待しつつも、祈るのです。「私は泉のほとりに立っています」とは、なんと心に浸みる詩的な言葉でしょうか。さあ、ここまできました、いまこそあながたご自身が働かれる時です、ことを進めてくださいと、神様へ催促しているようです。 そして、ことはすぐに始まったのです。しもべの祈りが終わるのを待っていたかのようにリべカが現れます。彼女こそアブラハムが求めていた女性であり、しもべが連れて帰れる女性であり、神様が決めていたイサクの花嫁です。とんとん拍子に進みます。こんなにたやすくていいのだろうかと思うほどです。 創世記の中で一番長い章なのに、あっという間にリベカは未知の土地の未知の人へ嫁いでいくのです。信仰の勇気でしょう。創世記一二章のアブラハムの旅立たちを思わせます。信仰の冒険心はこの一族の賜物でしょうか。
Category : 風の置いた籠
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