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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
風の置いた籠 創世記を愛して 一章一節一思一考 その10
創世記一九章一七節 命がけで逃げなさい。後ろを振り返ってはいけない。山に逃げなさい。 神様(御使いとなっていますが神様と解釈します)がアブラハムを訪ねたのはイサク誕生の知らせだけが目的ではありませんでした。罪にまみれた悪徳の町ソドムとゴモラを滅ぼすためでした。そこにはロト家族が住んでいるのです。しかし、一八章の後半に見るように、神様はアブラハムの命掛けの嘆願を聞き入れてロトを救い出そうとします。御使いはロトと、妻と、二人の娘の手を引っ張って町の外へ連れ出します。婿たちは、ロトの助言を嘲笑って本気にしませんでした。結局、彼らは町もろとも、火と硫黄の降る中で滅んでしまいます。 一方、街の外に連れ出されたロトたちは「命がけで逃げなさい。後ろを振り返ってはいけない。山に逃げなさい」と命令されます。助かるためには前方の山に向かってひたすらに走ればいいのです。走りに走ればいいのです。罪から救われるためにはそこから命がけで遠ざかればいいのだと思います。 ロトの妻はここまでくればもう大丈夫と、ほっとしたのか、または残してきた町が気になったのか、うしろを振り返ってしまいます。 さあ、たいへん!一瞬のうちに塩の柱になって息絶えてしまいます。一心同体といわれる夫婦であっても、夫ゆえに自動的に救われるのではないのです。個人の責任です。神様は一人一人と個人的に係わり合いたいのです。 創世記二〇章二節 アブラハムは、自分の妻サラのことを「これは私の妹です」といったので、ゲラルの王アビメレクは使いをやって彼女を召しいれた。 先の一四章と同じようにまたアブラハムが嘘?をついています。何度読んでも首をかしげたくなるところです。特に騙したアブラハムが神様から守られ祝されるのに、騙された被害者たちがかえっておとがめを受けています。また、こうした事柄を真正面から書き込む神様のお心もよく理解できません。たぶん、当時の人々ならあっさりと受け入れる社会的文化的背景があるのでしょう。また、義なる神様の両天秤には過不足なく釣り合っているのでしょう。 当時は、美しい妻があると、夫は殺され、妻は奪われることに相場が決まっていたようです。これが、妻ではなくて妹なら、妹は権力者に召し抱えられ、兄は厚遇されるのです。事実アブラハムには妻のサラを妹と言える、とっておきの真実があったのです。彼自身が証言しているように、サラは、アブラハムの父テラの娘で、アブラハムとは異母妹であり、当時は結婚してもよかったのでしょう。アブラハムにとってサラは妻であり妹でもあったのです。妹という関係はいざというときの隠し財産だったと言えます。 思えばサラはアブラハムにとって二人といない役に立つ女性なのです。アブラハムはサラのおかげでアビメレクから銀一千枚ほか多くの奴隷や家畜を送られ、その地のどこにも自由に住める権利を与えられます。
Category : 風の置いた籠
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