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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
風の置いた籠 創世記を愛して 一章一節一思一考 その5創世記九章五節 わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の値を要求する。 ノア家族が新天新地へ導かれ、意気揚々と新生活を始めようとする矢先に、神さまはなんと物騒なことを言われるのでしょう、ギクッとします。血の値とは、いのちそのもののことです。いのちのためにはいのちを要求するといわれます。 血の値を支払えば死が待っているだけです。この言葉が、神様に反逆する悪人たちに向けられたのならまだわかりますが、愛するノア家族に向けられたのです。 これは肉食を許した直後に語られました。もともと神様は、一章にあるように人間の食物には菜食を指定されました。肉食は洪水後に認められた食物です。洪水で荒廃した地に植物が実るのを待つ間、肉食を許したと考えられます。それも条件付き、血を食べてはいけないと命じます。衛生的配慮もあるでしょうが、それ以上にいのちの大切さ、貴さを教えておられるのでしょう。 のちに律法には血はいのちであると明記されています。人のいのちの代償はいのちで贖うということです。神様のおっしゃりたいことは、ご自分のかたちに似せて創造した愛する人間のいのちを損なうものは、人間でも獣でも自分のいのちを引きかえにしなければその罪はゆるされないということではないでしょうか。 ここに早くも見え隠れするのは、十字架上で血を流し、いのちを捨てて人を罪から贖ったイエス・キリストのみ姿です。その救いのみわざです。救済のご計画はすでに神様の、みこころにあったのでしょう。その恵みの広さ、高さ、長さ、深さよ! 創世記一〇章一節 これはノアの息子セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に彼らに子どもが生まれた。 水の引いた初々しい大地に下り立ったノア家族は、第一に神様に感謝の礼拝をささげました。神様はささげものを喜び、雲の中に虹を立てて祝福を示しました。麗しい礼拝でしたが、神様は、彼らの罪をあがなうためには彼らのいのちを要求すると、謎めいた辛口のお言葉を言い渡しました。義人ノアの家族でも子々孫々に至るまで義人で通せるわけはないと見通しておられたのでしょうか。 取り出した一節はその後の『大洪水の後に、子どもが生まれた』との一言です。ずしっと臓腑にこたえます。意味深長なお言葉です。彼らは洪水の前ではなく、在船の間でもなく、洪水後に生まれたのです。洪水を知らない人たちです。現代で言えば、戦後っ子、原爆を知らない人たち、新人類といえないでしょうか。彼らは祝福された大地、エデンの園のような楽園で、あふれるばかりの産物に囲まれて豊かに育てられました。ハングリーなど知らないのです。暖衣飽食の時代の子です。 楽園には罪が付いて回ります。あのアダムとエバの時のように。九章ですでにノアは二男ハムの愚行を嘆いて『のろわれよ、カナン(ハムの息子)』といい、長男と三男には『ほめたたえよ、セムの神、主を。カナンは彼のしもべとなれ。神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように』と予言をしています。 ノアの深い嘆息が聞こえてくるようです。
Category : 風の置いた籠
風の置いた籠 ・ 創世記を愛して 一章・一節・一思・一考 その4創世記第七章一節 主はノアに仰せられた。「あなたとあなたの全家族は箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代にあって、私の前に正しいのを私が見たからである」 神様は、悪が世に満ち、主を呼ぶ者がいないのを嘆き、天地を滅ぼすことにしましたが、ノアだけは救い出すことにし、洪水に耐えうる箱舟を造らせ、そこに避難させることにしました。 神様のお指図通りの箱舟が出来上がり、いよいよ天の水門が開かれ大洪水が起こる時、神様はノアに乗船を命じました。その時神様は、あなたとあなたの全家族は入りなさいと言われました。家族も、です。正しい人はノアだけですのに、神様はノアと奥さんと、セム、ハム、ヤペテの三人の息子とその妻たち、合計八名を救うことにしたのです。ノア以外の七名は、洪水の予言をどこまで本気に信じていたかわかりません。しかし全員一致して家長ノアに従ったのはみごとです。 後代、神様が堕落のソドムとゴモラを滅ぼそうとした時、アブラハムの甥のロトは家族を説得しましたが、娘たちの婿たちはたわごとと思って嘲笑いました。しかたなくロトは妻と二人の娘の手を握って脱出しますが、妻は後ろを振り返ったばかりに塩の柱になってしまいました。 ノア一族は全員救われますが、ロトの家族はそうはいきませんでした。 救いと滅びのきわどい境目を見極め、救いに与る者にされたいものです。 創世記八章二〇節、二一節 ノアは……全焼のいけにえをささげた。主はそのなだめのかおりをかがれ…… ノア家族八名が箱舟に乗りこんだのは、ノアが六百歳の時でした。その二月一七日、一気に大雨が降りだし、四十日四十夜降り続き、水は一五〇日の間増え続けました。 その水がだんだんに減って、地がすっかり乾ききったのはノアが六〇一歳の二月二七日のことでした。数えれば在舟期間は丸一年十日の長きに渡ったのでした。 どんなに愛し合い理解しあった家族であっても、長期間、狭い場所に顔合突き合わせていたら、口論ひとつなく、渋面ひとつ見せないでいられるものでしょうか。家族は素顔の関係ですから、一つ間違えばヒヤリとするような場面になりかねません。 ノアたち密着家族の一年余の箱舟生活がどのようであったか、たいへん興味をそそられます。おそらく、ノアの愛に満ちたしかし強力な家長指揮権のもとで、それぞれが綿密な仕事分担をして、箱舟全体を管理運営したことでしょう。その日々はストレスに満ち、また多忙だったと想像します。 老ノア夫妻は若い三組の息子夫婦に細やかな気遣いをしたでしょう。だから、無事に外へ出られたときの感謝は絶大だったのです。神の守りと導きのみが、新天新地に生きる奇跡をもたらしたのです。そこでノアはいの一番に最高のささげもので主を礼拝したのです。家族全員いっしょに。家族全員そろってとは奇跡でしかありません。一人の脱落者も出なかったのですから。後ろを振り返って石になり、あたら命を失ったロトの妻の悲劇は、珍しいことではありませんから。
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