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聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2023.07.12 Wednesday -

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  • 2014.05.21 Wednesday - 09:44

神との友情――あなたを変える祈りーーその9



おわび
長くブランクにしてしまいました。
言い訳にしかすぎませんが、私にしては大きな挑戦をしていまして、小さな頭をこちらまで向けられませんでした。この間も、多くの方々がお訪ねくださっているのを目の当たりにして、身の縮む思いがしました。誠実な読者の皆様に対して、誠実に向き合わねばならないと迫られ、反省をしました。取り掛かっています一冊は、今ちょうど半分です。とにかく、終わりまでこぎつけたいと願います。



神との友情――あなたを変える祈りーーその9

ジェームズ・フーストン(監修 坂野慧吉 いのちのことば社)から。以下は本文のピックアップあるいは要約です。
 
第三部 神のふところに入る
第七章 イエス・キリストとの友情
 
日ごとに、日ごとに
愛する主よ、三つのことを祈ります。
よりさやかにあなたを見祀ることを。
より深くあなたを愛することを。
より近くあなたの後にしたがうことを。
日ごとに。
 チチェスターのリチャード
 
聖霊が私たちの友となられる主な目的は、父なる神と呼ばれる神とのより深い交わりを私たちに与えることです。このためにこそ、イエスは弟子たちを離れて天に帰られたのです。それによって、主をそれまでよりもあるかに深い意味で知ることができるのです。
聖霊は聖なる御霊であり、慰め主であるゆえに、聖霊を迎え入れると、人は聖い生き方、慰めを味わう生き方をするようになります。祈りの生活の中で聖霊が働かれるにつれて、私たちの態度や霊的成長に著しい変化が見られるはずです。
信仰は増し加えられ、希望はさらに広げられ、神に対する愛は深まり、喜び、平安、内的確信は私たちの内面を豊かにするでしょう。その結果、祈り方が本質的に変わります。神との会話にもっと自由を体験し、断固としてイエスについていき、イエスの友であろうとします。自己防衛の束縛から解放され、新しい光の中で自分を見ることができます。私たちのアイデンティティーがキリストの内にあるからです。
★主イエスと私たちのバーソナリティー
 主イエスが死を選ばれたと同様に彼に従う者も真のいのちに至る唯一の道は、自分に死ぬことです。自分の古いパーソナリティーと決別し、キリストのコミュニオン(一つとされる深い交わり)に入るのです。それによってのみ、私たちは祈りにおいて神の御前で本当の自分となることができるのです。
★祈りの「道、真理、いのち」であるイエス
 私たちの一人、人として生きた神イエスに似た者と変えられる、それが祈りにおける私たちの旅路の終着点です。
★従順の道
 神のみこころに従順な思いをもって祈るとき、私たちの祈りは、もはや自分の視点から出てくる祈りではなくなります。内なるキリストの視点から生まれる祈りとなるのです。これはまだこの世では完全に実現していませんが、世を去って後、実現します。そのときこそ、御父と御子が一つであるように、イエスと一つとされます。この変貌の希望こそ、私たちの全生涯のゴールです。
★神への信頼の道
 祈りは神への信頼を学ぶ道です。イエスとの友情という継続的でダイナミックな関係は、信じること、信じつづけることです。神への信頼の道とは常に神の臨在の意識が生活の隅々まで染み渡っている生き方を意味します。
★服従の道
 イエスの友である人は、必ずほかにも大勢の良き友を持っているはずです。真の祈りの霊を与えられている人なら、他者のために祈ることで、その人のために喜んで譲ることができるはずです。神が私たちをどのように造り変えてゆかれるのか、私たちは喜びと希望に胸を膨らませるのです。
★闇を照らす真理
 イエスの敵は「ねたみ」とう闇、「偽善」という闇、「心を閉ざす」とう闇を持っていました。これらの闇は光と闇がどれほど違うかをはっきりさせるものばかりです。
★解放を与える真理
 イエスの名によって祈ることは自分自身から解放されることを意味します。私たちは、キリストにあって一人の人格となるのです。もはや、自分の独自性にしがみつくのではなく、キリストにのみ属する者として自由にされて生きるのです。この帰属意識は、絶望に対する実に強力な特効薬です。イエスの名によって祈ることで、私たちは自己の内的生活において自由にされ、神の独り子イエスの名を帯びる者と帰られていくのです。
★目指すべきものを示す真理
イエスの名によって祈るとは、イエスの意志が私たちの内に実現するように祈ることです。祈りが基本的に目指すものは、私たちの必要が満たされることでも、願望がかなえられることでもなく、私たちの祈りと生き方によって神が栄光をお受けになることです。イエスが私たちを召されたのは、イエスと私たちとの間の友情のすばらしさを他の人々にも分かち与えるためです。
★隠されてあるいのち
イエスの生涯の大きな特色は、その目立たない生き方にありました。イエスは故郷のナザレではひっそりと長い沈黙の年月を過ごされました。祈りを真剣に受け止め、自らイエスと同じいのちを生きようとし始めるとき、私たちの歩みの大半は、誰にも注目されない者となることを覚悟しなければなりません。大勢の人に認められたい下心を持ったままでそのような生き方をすることは不可能です。見てくれのよい興業まがいの生活をさせるためにイエスは来られたのではありません。「密室の祈り」と呼ばれる神との交わりに心してもっと時を費やすべきです。
★依存するいのち
 祈りは、人目から隠されることなくしては花開くことはできません。また依存なくしては機能しません。自主独立、何でも自分で決め、対処する現代人の気風は、祈りの生活を支配するいのちとは全く異質、別世界に属しています。イエスは、ご自分の父により頼んで力を得ておられました。イエスは御父により頼んで導きを得ておられました。私たちはやたらに天からの不思議なサインをほしがる傾向にありますが、導きとは、自分の人生全体を神の光の内に生きようとしているかの問題です。
★へりくだるいのち
神の臨在の前で私たちにできることは、ただへりくだりひれ伏すことのみです。生涯を通じてへりくだって歩まなければなりません。謙遜は、真の祈りの生活に欠かせない土台です。パウロはイエスの驚嘆すべきへりくだりを、初代教会の賛美を引用しながら記しています。
 ご自分を無にして/仕える者の姿をとり/人間と同じようになられたのです/
キリストは人としての性質をもって現れ/自分を卑しくし/死にまで従い/
実に十字架の死にまでも従われたのです。
(ピリピ2・7−8)
 
 

 
Category : 神との友情

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