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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
神との友情――あなたを変える祈りーーその6神との友情――あなたを変える祈りーーその6 ジェームズ・フーストン(監修 坂野慧吉 いのちのことば社)から。以下は本文のピックアップあるいは要約です。 第二部 聖書の領域を探求する 第五章 聖書の祈りを生きる 深い個人的な確信をもって祈るには、神を個人的に経験しなければなりません。 真に聖書的な祈りとは、祈っている当人に神は自分の祈りを聞いてくださるばかりか、個人的かつ親密に会ってくださると確信させるものです。 ★神の不在と臨在 「わが神、我が神、どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。わたしのうめきのことばにも。我が神。昼、私は呼びます。しかしあなたは、お答えになりません。夜もわたしは、黙ってはいられません」 時に神が不在のように思えるときがあります。ほんとに不在なのではなく、私たちが神を神として知ることを学ぶために、神は私たちから身を引くことがあります。神の不在を個人的に経験することで、結局私たちは神の臨在をより深く新しく感謝できるところへ導かれるので花でしょうか。
神の臨在と不在の経験は神に対する信仰を深めます。神の光と闇は神との関係を浅瀬からより深いところへと導きます。 ジェームズ・モントゴメリーの詩
たとえ言葉にならなくても、外にあらわれなくても。 隠された心の炎のゆらめき、 胸の内で震えている。 祈りは、重荷のためいき、 こぼれる涙、 天に向けられるまなざし、 神のほか、誰もそばにいないところで。 祈りは、もっとも単純な言葉。 幼子のたどたどしい唇で話せるほどに。 祈りは荘厳な詩歌。 その旋律は天の王座にまでも届く。 祈りは、おのが道から立ち返る、 悔い砕かれた罪びとの声。 それを見つめる天使らは歌うたい、 喜び叫ぶ、「見よ、彼は祈っている」と。 祈りは、キリスト者のいのちの息吹き、 キリスト者のふるまいの匂い。 死の門における合言葉、 彼の祈りとともに天の国に入るのだから。
キリスト者の霊的旅路のあらゆる段階で、祈りは生涯全体を通して不可欠です。詩篇には様々な祈りが収録されています。生の深いところを神に向かってあらわにしていくとき、助けを求めて神に叫ぶ祈りの生活は、より充実したものへと成長していきます。祈りにおける成長は旅のようなものです。祈りはらせん状に上に上っていき、さらに広がってより大きな、より豊かな神への感謝、過去に対する感謝となるのです。 ごあいさつ 『神との友情』は13章中6章まで来たところです。まだ半分残っています。まとめるのも能力不足を痛感するばかりですが、乗り掛かった舟ですから最後まで進みたいと思います。2014年に繋げます。
Category : 神との友情
神との友情――あなたを変える祈りーーその5
ジェームズ・フーストン(監修 坂野慧吉 いのちのことば社)から。以下は本文のピックアップあるいは要約です。 第二部 聖書の領域を探求する 第四章 旧約聖書の祈りの探求 こんにちの文化や生活様式は旧約聖書の時代とはかけ離れていますが、神との交わり(友情)を必要とする人の心は今も変わりません。旧約聖書の祈りの探求は、そこから神との交わりに深さ豊かさを垣間見ることができます。 ★祈りの新しい世界 祈るとは、努力やコントロールなどの人間の領域を越えたところにおられる霊的実在にひざまずくことです。祈りはときに偶像礼拝的な偽りの神々への礼拝になることが起こりえます。アダムとエバは神の全知全能の力に対抗しようとし、神との交わりの外にある知識を求め禁断の木の実をもぎ取ったのです。唯一の神に祈らないことは罪と堕落の人間性の現れです。まず「神様、助けてください。自分では祈れません」と申し上げる必要があります。現代のテクノロジー社会からの従属からの解放を経験する必要があります。 ★解放された奴隷として生きる 旧約におけるイスラエルの神体験は、出エジプトの経験に特色があります。私たちも偶像礼拝の奴隷となっており、自分の心の静寂と戦いの中で神と出会うまでは解放されて神を知ることはできません。出エジプトして解放された民は、喜びと感謝に満たされ、賛美の歌を歌いました。しかし、突然すべての問題から自由にされるのではなく、誘惑や試みに満ちた長い砂漠の旅が始まるのです。 神との交わりにおいて祈りあふれる生活を得たいと切望する時に起こってきます。 ★神とともに親しく歩む 古代中東の異教世界ではどの神に祈るか混乱がありましたが、イスラエルは正反対です。ハンナは唯一の救いの神に長時間祈り、サムエルを与えられました。サムエルもダビデも絶えず祈りました。 イスラエルの王たちは神との交わりの深さによって「善王」か「悪王」か判断されました。 ★神の前に率直に生きる 旧約聖書の預言者たちは祈りを国家存亡にかかわる事柄と見ていました。エリヤやエリシャの祈りがそうです。エリヤは祈りだけを武器に異教の神アバルの預言者と対決しました。エリヤの祈りによって火が下り、これがイスラエルの歴史の転換点となりました。エレミヤは神の御腕に自分自身を投げ出して祈りました。エゼキエルはイエスの来臨を待ち望みました。旧約聖書の祈りの人たちは、神と人とに対する一貫性を持った愛に根ざし、率直に生きました。 ★神の臨在と絶えざる祈り 神の民は祈り深い民でした。神を敬う敬虔なイスラエル人は、祈りにおいて今日の私たちよりずっと積極的でした。今日しばしば持ち出される(いつ、どこで、どのように、なにを祈るのか)は問題にもなりませんでした。 どこで・どこででもです。聖所や式文を使わなければならないわけではありません。 いつ・イスラエル人は朝と夕、犠牲を捧げる時刻に祈りました。ダニエルは日に三回祈りました。 どのように祈ったか・アブラハムは地面にひれ伏し、ソロモンは両手を天に差し伸べ、ダニエルは窓辺でエルサレムの方向を見ながら。一般的には立って祈ることと賛美を歌うことでした。 何を・ヘブル語には祈りを表す単一の言葉はありませんが、広範囲にわたる言葉や概念があります。 嘆願する、助けを求める、導きを求める、あわれみを請う、とりなす、助けを待ちわびる、苦難の中で叫ぶ、ほめたたえる、賛美する、あがめる、喜ぶ、尊ぶなど。 ★祈りの物語 旧約聖書は祈りに関する記事であふれています。詩篇は旧約の祈りの精華ともいう記録です。歴書には神殿での礼拝の祈りが九十回以上、個人の祈りは百四十回以上、その百回ほどに祈りの言葉そのものが記録されています。もっとも印象的な祈りは兄朝卯との会見を前にしたヤコブの祈りです。祈りとは神との格闘であるとヤコブは発見します。彼は祈りの中で、徹底した無力感を味わいその後の生涯に劇的変化をもたらす神との出会いを経験しました。 ★神のすばらしさを賛美する 旧約聖書の物語は、主の御名がほめたたえれますように!で締めくくられています。ダビデにもルツ記にも主がほめたたえられますようにと何度も出てきます。 ★詩篇における神の臨在 聖書全体の中で詩篇は祈りの数と表現の多彩さで抜きんでています。イスラエルの祈りの生活の縮図です。神殿がイスラエルの国としての歩みの心臓部であったように、詩篇は、聖書の、キリスト者の祈りの心臓部です。賛美の詩篇があり、感謝の詩篇があり、嘆きの詩篇、信頼の詩篇、記念の詩篇、巡礼の旅の詩篇、知恵の詩篇、王の詩篇があります。詩篇119篇は知恵の詩篇中最も際立っています。176のすべての節が、敬虔な人はいかに自分の生涯の焦点を神のみことばに置くかとのテーマに費やされています。王の詩篇は、王の王の即位と支配をたたえます。で、心の奥底をやがて来られる王の王に明け渡し、すべての心の扉を開け放ち、神にお入りいただくのです。
Category : 神との友情
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