- 2023.07.12 Wednesday -
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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
心の風から 去りゆく9月
Category : -
日曜日の朝に台風18号が進んできています。すでに本州は大雨です。台風は明日、東海、関東に上陸の可能性が大きいと報じています。激しい雨脚が道路を叩いています。こうした悪天候のさなかに、礼拝のために教会へ向かうのは困難を要します。電車を乗り継いで、あるいは高速道路を車で、急ぐ方々を覚えます。進路が順調でありますように、祈ります。 今朝、特に3組の方々のために祈っています。 ひとりは、一昨日、命には別条はないのですが、手術を受けた青年がいます。たとえどのようなことであれ、血気あふれる青年が、肉体にメスを入れられ、床に臥すのはお気の毒です。術後の痛みに苦しんでいると聞きました。イエス様を、知ってはいますが、まだ、個人的に救い主として受け入れてはいません。導きを祈ります。 もうひとかたは、長年のクリスチャン。二つ目のガンの手術をしたばかり。これからまた治療が始まります。どんなにか肉体的に苦しまれたか、ありありとわかります。こころも辛いでしょう。しかし、その合間にお仕事をし、お声にも笑顔にも聖霊の輝きがうかがわれます。背後の祈りを感じとり、感謝し、積極的に病と闘おうとしています。かえって、こちらが励まされ強くされます。主の栄光があらわされています。完全な癒しを祈ります。 もう1人は、悪性のガンを告知されたばかりの方です。家族中で悲嘆に暮れています。神様に祈り求めることを知りません。それだけに闇の深さは例えようもありません。医学だけが頼りですが、情報過多のこの時代、医師を信じきれなくて大風の中の木のように揺れに揺れています。初めて感じる死を恐れています。魂の平安と、神を求める心が与えられるように祈っています。 『感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に入れ』 詩篇100篇4節
Category : 日曜日の朝に
心の風から 思いのままに この秋こそ願うこと
聖霊にゆだねて導きを願いながら思い巡らしてみました。 9月1日が日曜日、私たちクリスチャンにとって主日とか聖日と呼ぶ日に重なったのはなんといってもうれしい。月の初めの日に、キリストの体である教会へ行き、父なる神のもとに兄弟姉妹と呼び合う多くの友と会いまみえ、ともに礼拝をささげるのだ。これはなにも勝る喜びであり、感謝である。顧みれば、クリスチャンになって以来半世紀以上も、日曜日は教会へ行く以外には使わず、自分や身辺の一大事件で、足を阻まれることもめったになく、なんとかここまで来られた。自力の意志や努力でできることではないのは明らかだ。 人が何と言おうとも、私は納得している、神様の強力な愛の力が私を捕え、私を引き寄せ、離さないのだと。人は、神様に愛されていると言い切るなんてずいぶんな自惚れじゃないの、自分を何様だと思っているの、どんなに偉いことしたの、特別な才能でもあるのって、詰め寄られるかもしれない。ああ、そんなふうに羨ましがってくれる人がいたらどんなにいいだろう。その人の魂は神様に近づいていると思う。そのような人と語り合いたい。そのような人には、私の心と体の傷跡を見せながら、私の弱さ醜さに愛を注いで清め、癒し、赦してくださった神様の配慮あふれる働きを心ゆくまで証ししたい。 9月1日、神様は私の心に生き生きした聖霊の涼風を吹き込んでくださったらしい。熱く、熱くそう思う。こんな思いも生来の怠惰で臆病な私は持ち合わせていない心情である。この秋こそ、この身を大きく差し出して、神様のお働きに使っていただきたいものだ。
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