- 2023.07.12 Wednesday -
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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
ロイド氏は説く その20 主を眺めるがいい。眺めつづけるがいい。ロイド・ジョーンズ氏から聴く『一日一言』より(渡部謙一訳 いのちのことば社) 主を眺めるがいい。眺めつづけるがいい。
私は心の貧しい者だろうか?神との関係において、神の御前における自分をどう感じているだろうか。私は何を口にし、何を祈り、何を考えることを好んでいるだろうか。私は自分の手柄でないものを誇り、神の御前に立つ日には無とみなされるものを誇っていないか。 人はどうすれば『心の貧しき者』になれるのだろう。答えは、自分自身を眺めたり、自分自身でことを行うことから始めないことだ。ただ神を眺めることである。神が私たちに期待していることを眺め、主イエス・キリストを眺め、福音書の主を目の当たりにするように主を見ることである。主を眺め、眺めつづけるがいい。聖徒たちを眺めるがいい。御霊に最も満たされ、用いられてきた人々を眺めるがいい。しかし、何にもまして、やはり主を眺めるがいい。 ロイド氏の著書のどこを開いても『心の貧しき者』が論じられ、説かれています。この箇所もそうです。思えば、教会ならずこの世でも『心の貧しき者』を冒頭とする山上の説教ほど、多く取り上げられる聖書箇所は他にはないでしょう。説教を聴き、書物を読めばいっとき心に納得がいき、いい気分になります。まるで自分が山上の説教の実行者であるような気がします。あるいは、みことばの光に打たれて恐れおののきつつも、しょせん弱い罪深い人間だものと、開き直って、いい加減な立ち上がりをして、また己道を歩み出してしまいます。 ここでロイド氏は『心の貧しき者』とはイエスを眺めつづけることだと説きます。自分を見るのではなく、イエスを眺めつづけることだと繰り返します。視線を変えることだと教えます。イエスを仰ぎ見ると、イエスが発する聖霊の光に包まれるのでしょう。自分を見たって光なんてどこからも差してきませんから。聖霊の光は温かくて清くて平安を与えてくれるでしょう。平安に包まれるとき、自己主張して突っ張ることも、自己保身のためにつまらぬもので身を虚飾する必要もないでしょう。思い煩いの罪からも解放されるでしょう。イエス様を見続けていたいと思います。目をそらさずにいたいと願います。
Category : ロイド氏は説く
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