- 2023.07.12 Wednesday -
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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
みことばは教える
ピリピ人への手紙1章12節〜26節 『私にとっては、生きることはキリスト』(21節) テキスト要旨 ある人は『私にとって、生きることは『キリストに仕える』ことですと。確かにキリストは私たちの奉仕を願っている。しかしあまりに忙しくて主との交わりが疎遠になることもある。キリストは私たちが勤勉な労働者になるよりも、よい息子・娘でいてほしいと願っているはず。またある人は「私にとって生きることは『きリストのようになる』ことですと。しかし自分のホーリネスや霊的成長にあまりに夢中になると、自己実現の一つの形になる。生きることは、何かをすること、何かになることであるならば、それは間違った道に入り込んでいる。それは自分をキリストのおられるところに置くことになる。全てを明け渡し、主が生涯の主になってくださるとき、主に仕え、人に仕えたいと思うようになる。主の中に留まるのが深くなるほど、主に近づき、主のように造り変えられて行く。 『だれであっても、何ものであって、あなたの生涯の中心からキリストを追い出すようにさせてはならない』 みことばを思い出します。『私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉にあって生きているのは、私を愛し、私のために御自身の御子をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです』ガラテヤ2章20節 『私の主であるキリストを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています』ピリピ3章8節。 『天ではあなたの他にだれを持つことができましょう。地上ではあなたの他に私はだれをも望みません』『私にとっては神の近くにいることが、幸せなのです』詩篇73篇25、28節
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みことばは教える
『眠っている人よ。目を覚ませ』 エペソ人への手紙5章14節 テキスト要旨 聖書では眠りはしばしば罪にたとえられている。眠ってはいけないときに眠っている例は事欠かない。それは信仰生活への警告である。二つのことを心に留めたい。 1 祈り不足という「眠り」 主はゲッセマネの園で弟子たちに祈るように言われたが、彼らは眠っていた。主は「なぜ、眠っているのか。起きて……祈っていなさい」とたしなめられた(ルカ22・46)。祈ることができない時には誘惑に勝てない。誘惑に負けると、主を証しすることも、悪を撃退することもできない。 2 不服従とう「眠り」 ヨナはニネベへ行けとの命令に背いてタルシュシ行きの船底で熟睡していた。船長は「起きてあなたの神におねがいしなさい」と言われた。神様はヨナにニネベで悔い改めのメッセージをさせたかったのである。神はクリスチャンたちに救いのメッセージを託しておられる。にもかかわらずクリスチャンたちは神の声を聴かず、反対に進み、熟睡している。 『眠っている(sleep)ために、信仰を失う(slip)人は少なくない』 若かった頃『絶えず祈りなさい』とかとのおことばにたいへん戸惑いました。絶えずとか、いつも、を目に見える時間や肉体的なことを中心に考えて、では、いつ眠るの、いつ働くの、それは不可能ではないかと真剣に考えたものでした。 昨今は、その意味が少し分かりかけてきました。『絶えず祈りなさい』『いつも目を覚ましていなさい』が完全にできているとはとうてい思いませんが、『イエスから目を離さないでいなさい』や『地にはあなたの他に慕う者はありません』がヒントになると思っています。 また、何をしていてもかたわらにおられる主を感じ、それを喜び感謝するとき、主を思い巡らしているときに、主の御心を理解し、導きを知ることができ従うことができる、そのような信仰に導かれています。さらに主を追い求めたいと願っています。
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11月の第一主日
Category : 日曜日の朝に
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