- 2023.07.12 Wednesday -
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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
みことばは教える
【新しい朝に 使徒たちの信仰と祈り】(Daybreak John T.Seamands)ジョン・T・シーモンズ著 河村従彦訳 インマヌエル綜合伝道団 ガラテヤ人への手紙6章6節〜10節 『思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りをすることになります』 テキスト要旨 人生は種まきと刈り取りである。三つの基本的法則がある。 1.確実性の法則――刈り取りは必ずやってくる。種をまけば刈り取りの時期がやってくる。信仰も同じ。肉のためにまくか聖霊のためにまくかである。よい収穫であっても悪い収穫であっても、収穫は必ずある。この事実から逃れることはできない。 2.同一性の法則――まいたものを刈り取ることになる。小麦をまけば小麦、バラを植えればバラの花が咲く。憎しみをまけば憎しみを、愛をまけば愛を刈り取ることになる。 3.増殖性の法則――一般的に種よりも刈り取りの方が多い。わずかな種から莫大な収穫を得ることもある。小さな証しから人が救われ、人生が変わることもある。肉にまけば滅びを刈り取り、御霊のために蒔く人は永遠のいのちを刈り取る。 『霊的な種まきにおいては、収穫はまさに適正なものである』 みことばには、一見したところとろけるようなやさしく甘いものもありますが、身震いするほど厳しく恐ろしいものもあります。恐ろしいみことばは目を伏せ、避けてしまいたいと思います。このみことばはそのたぐいではないでしょうか。しかしちょっと立ち止まってよく考えればちっとも恐ろしいものではなく、当然の法則なのです。恐ろしいと思うのは、過去の種まきが間違っていたと思うからです。悔いが残り、怖れに支配されるからです。自業自得、因果応報などの暗い考えに取り憑かれるのです。
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みことばは教える先月26日〜今月5日まで10日間、ドイツ、スイスへ『宗教改革とバッバ』を訪ねる研修旅行をしてきました。体が2つあっても足りないほどたくさんの学びをしてきました。あふれ出て失ったものも多々あります。記憶も日に日に薄れていきます。できるだけ記録したいと心しています。もう一つのブログ『希望の風』に載せ始めました。よかったらご覧ください。 【新しい朝に 使徒たちの信仰と祈り】(Daybreak John T.Seamands)ジョン・T・シーモンズ著 河村従彦訳 インマヌエル綜合伝道団 ガラテヤ人への手紙5章9〜26節 『しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です』 テキスト要旨 この9箇の恵みの中心は愛である。ここの実は単数形で表わされている。つまり御霊の実は一つのもの、愛であり、他の8つは完全な愛の現われともいえる。 このリストの実は3つのグループに分けられる。 第一、愛、喜び、平安――聖霊が直接人間のたましいに働かれるみわざ 第二、寛容、親切、善意――隣人への対応。忍耐と助けと幸せを願う。 第三、誠実、柔和、自制――神と人への行動における自己のコントロール。 愛は単に感情の問題ではない。感情のレベルは喜びと平安だけ。他の六つは行い行為に過関係している。聖霊は私たちの心に住み、愛で満たし、愛は行為になって表現される。 御霊の実をならせている人は、単にニコニコマークの顔で脇の方に静かにしている人のことではないようです。愛はいのちの躍動であり、行動です。イエス様が、私たちの罪を一身に引き受けて、重い十字架を肩に食い込ませながら、血と汗にまみれてあのゴルゴタの丘を上ったお姿が浮かんできます。そこには御霊の実が満ちあふれていたと思います。
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