- 2023.07.12 Wednesday -
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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
賛美を愛して『ガリラヤの風かおる丘で』
クリスチャンにとって、聖書と並んで大切にし、愛しているものに賛美歌があります。 もちろん祈りは呼吸のようになくてならぬものですが。 聖書が信仰の本であるとすれば、賛美歌は信仰の歌です。 聖書は神様のことばですから、人を励まし、慰め、希望と愛を与え、 また教え戒めて、信ずる者たちを正しく生かします。 賛美歌もまた歌う者たちを励まし、慰め、楽しませ、喜びを与え、 心に潤いと感動をもって働きかけ、生きる力を与えてくれます。 賛美歌は即効性の早い薬のようです。 大きな苦難の最中にあって、聖書を開くこともお祈りする力さえもないとき、 ふと、唇に上るひとつの賛美歌で我にかえることがあります。 クリスチャンたちは、人生の旅路の途上で、救命具のように命拾いさせてくれたみことばをいくつも握っています。同時に、折節に巡り会った賛美歌とは愛唱讃美歌と呼んで親友のような関係を持っています。その賛美歌は、葬儀の時に故人の愛唱賛美歌として紹介され、天国への葬送の歌ともなります。 賛美歌はメロディーに捕えられるのはもちろんですが、歌詞にも心揺さぶられます。メロディーとともに歌詞が浮かんできます。歌詞を歌うのです。歌詞に自分の思いを託すのです。 最近、しきりに歌っている賛美歌があります。 歌詞を味わってください。ご存じの方は歌ってください。 聖書の場面が浮かび、イエス様が生き生きと, 初夏の今にピッタリの賛美ではないでしょうか。正に聖書の緑風です。 『ガリラヤの風かおる丘で』 歌詞・別府信男、曲・蒔田尚昊 1 ガリラヤの風かおる丘で ひとびとに話された 恵みのみことばを わたしにも聞かせてください。
あらしの日波たける湖(うみ)で 弟子たちにさとされた 力のみことばを わたしにも聞かせてください。 3 ゴルゴタの十字架の上で つみびとを招かれた すくいのみことばを わたしにも聞かせてください。
夕ぐれのエマオへの道で 弟子たちに告げられた いのちのみことばを わたしにも聞かせてください。
Category : 賛美を愛して
主の日(日曜日・聖日)の日を迎えて
ありがとうございます。 まだ、未公開の作品が多々ありますので、準備していきます。 今日は5月15日、朝からさつき晴れです。惜しみなく降り注ぐ陽光と、薫るそよ風に踊る若葉たちに、こころ洗われ、こころ生き返る思いがします。神様は御自身の指の業である自然界を用いて、人間たちを励まし支えておられることが伝わってきます。 この全能の神様に愛を込めて造られた者としては、神の家、キリストの体である教会へ行って礼拝をささげるのが、一番似つかわしい行為であると信じます。 教会では、献児式がありました。 先頃、クリスチャンホームに与えられた第二子の赤ちゃんを、ご夫妻が連れて来られました。礼拝の中で、赤ちゃんとファミリーのために祝福のみことばが読まれ、祈りがささげられました。赤ちゃんの祖父母に当たるご夫妻も遠くから式に駆けつけて来られました。 神の家族、キリストのからだである教会ならではの、アット・ホームな光景に、大きな拍手が送られました。 今日のみことば 『こういうわけですから兄弟たち。私は神のあられみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた、供え物としてささげなさい、それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何がよいことで、神に受け入れられ、完全であるかのをわきまえ知るために、心の一心によって自分を変えなさい』ローマ12章
Category : 日曜日の朝に
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