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みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2023.07.12 Wednesday -

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Category : -

  • 2010.08.28 Saturday - 13:29

初代教会の熱女 プリスキラ その7

ここで一つ考えたいことがあります。

人を自分の家庭に招くこと、宿泊させること、家業にも携わらせ、しばらくではあっても同居するという時、いちばん負担を感じるのはだれでしょう。いわずもがなその家の主婦です。その労力と気遣いは大きいものです。夫の方は細かい部分にまであまりタッチしませんから妻の苦労は案外わかりません。よく「家に来なさい、泊まっていきなさい」などと気軽に誘う男性がいるようですが、主婦としては困る場合もあります。一昔前までは妻の負担など考えもしないで一方的にお客を連れてくる夫たちがいたようです。昨今では妻の発言力が大きくなったせいでしょうか、その力に比例してかどうかわかりませんが、人を招いたり宿泊することが減少しているようです。

 

プリスキラの場合ですが、彼女は喜んでパウロを迎え、喜んで世話をしたようです。夫アクラが言い出したから従ったのではない、むしろプリスキラの方が率先して積極的に迎えたように思えます。パウロとの出会いではプリスキラはアクラよりも強く心を動かされたようです。そのときのプリスキラの状況は先程から見てきましたように、信仰の炎こそ燃えていましたが慣れない土地の見知らぬ人々の間で、戸惑いの多い生活をしていたところでした。

 

幸い、夫アクラがテント作りという職業を持っていたので、衣食に事欠くことはなかったでしょうが、心の底には落ち着かない、中途半端な、不安な思いがいつもあったと思います。そんな時はマイナス思考の罠に陥りがちで、暗い方へ消極的な方向へと考えや感情が走っていきます。プリスキラも例外ではなく、満たされない空虚な心を抱いて煩悶していた、彼女の心はハングリーであった、飢え渇いていたといえます。

 

無意識のうちにもその空虚を満たしてくれる何かを激しく求めていたのではないでしょうか。ちょうどそこへパウロがやって来たのでした。それはまさに神様の時でした。パウロの出現はプリスキラの心に強くぶつかります、刺激を与えます。

プリスキラはパウロの行き方に感動します。パウロはアテネ伝道が不成功に終わって気落ちしていたものの、伝道そのものに希望を失っていたわけではありませんでした。この偉大な伝道者の伝道熱を消すことのできるものは天下のどこにも存在していません。

 

プリスキラ夫婦に出会って、歓迎されて、パウロは大いに励まされます。以前のパウロに戻って火だるまのようになって伝道します。あるいは火のように祈ります。命がけでイエス・キリストを伝えます。

 

世の中に人を感動させるものはいくつもあるでしょうが、一つのことに命を賭ける、人生をかける、脇目も振らずに打ち込んでいる、その姿ほど美しいものはないでしょう。側にいる人に強い刺激を与え、圧倒するほどに感動させるものです。パウロは『私にとって生きるはキリスト、死ぬことも益』と言い切って人生すべてをキリストにささげ切っている人でした。その単純でスリムな一筋の生き方にプリスキラは魂を奪われるのです。この人こそ福音のために神が遣わした尊い働き人だと確信します。その時、プリスキラの心に新しい一つの思いがふつふつと音を立てて生まれてきました。

 

それはパウロを支えたいという思いでした。この神の人を側面から、背後から、真正面から援助しょう、それが自分にできる、自分に与えられた神への奉仕ではないかと思うようになります。プリスキラはパウロの生き方を通して自分自身の生き方の方向を見いだしたのです。

 

コリント滞在が単なる仮住まいであり、明日にもこの地を離れるかもしれない中で、敢えてパウロを同居させます。本来なら他人をどうこうする場合ではないでしょう。自分のことで精一杯でしょう。しかしその時のプリスキラには明日の日を思い煩うという灰色の心はすっかり消えていました。夫アクラに自分の思いを詳しく語り、アクラももちろん妻の意見に同意して、二人は心を合わせて物心両面から全面的にパウロを支えます。(つづく)

 

 
Category : プリスキラ

  • 2010.08.20 Friday - 13:43

初代教会の熱女 プリスキラ その6

 

当時パウロは何歳くらいであったのか正確なことはわかりませんが、中年を過ぎていたでしょう。彼らの目に映ったパウロはあまり見ばえのしないしかも病身らしい初老の男性でした。説教も立て板に水というような雄弁家ではありません。

 

しかしイエス・キリストを宣べ伝えるために命を賭けていることが伝わってきます。ひとたび口を開くと、まるでイエス・キリストの恵と愛の化身になったように全身で語り出す、火のようになって、炎のようになって、燃えつきてしまうのではないかと思うほどに魂を注ぎ出して語り出す。それを聞いているうちにこちら側にも火がつき、体も魂も熱く燃え始める。だんだんと信仰の目が開かれて、今まで信じていた神がいっそう明確に見えてくる、イエス・キリストによって救われたということがどんなに大きな事件であったか恵みであったかこれこそ神の奇跡だということがわかってくる。うれしくて、うれしくて、喜びが突き上げて踊り出したくなり、感謝があふれてくる。魂が燃えに燃えてじっとしてはいられない。感動と興奮でいっぱいになる。他の人に伝えないではいられない語らないではいられない、そんな思いがあふれてくる。

 

イエス・キリストの福音とはまさにそのように、いのちの弾ける、生命力にあふれた良き知らせではないでしょうか。

 

イエス・キリストの愛を知る時、いままでの価値観が変わってくる、人生観が変わってくる、その結果、生き方が変わる、背負っていた重荷やしがらみから解放される、一番やっかいな隣人である自分自身から自由になれる、心の根っこにいつもあった暗やみにキリストの愛の光が差し込んで、魂の大掃除が始まるのです。掃除機はイエス様が十字架の上で流された血、裂かれた肉、つまりイエス・キリストの犠牲の死です、イエス・キリストのいのちです。

 

パウロはイエス・キリストを自分自身の体験からリアルに話します。パウロこそ人生を根底から変えられた人、イエス・キリストによって新しいいのち、新しい生き方、新しく生まれた人でした。

 

プリスキラ夫婦は、ああ、もっともっとパウロの話が聞きたい、もっともっと福音のすばらしさを教えてもらいたいと、切なる思いに燃やされます。また、パウロは安息日ごとに、つまり一週間に一度は会堂に行ってイエス・キリストを伝えますから、そこに集まってくる人々にも、もっともっと時間をかけて詳しく話をしてもらいたい、自分たちが話すよりずっと効果があると思ったことでしょう。もう、パウロなしではいられないのです。

 

そこで彼らは抱きかかえるようにしてパウロを自宅に招き、滞在するようにもちかけたのでしょう。一方パウロにしてみれば、思い掛けなくも一組の夫婦、しかもクリスチャンの夫婦から歓迎され、家庭に迎えられ、テント作りの仕事も分けてもらって、ともに生活ができ、安息日ごとに心置きなく伝道ができるものですから願ってもない好都合でした。パウロはこれこそ神様の導きだと、どんなに感謝したことでしょう。

                          つづく

 

Category : プリスキラ

  • 2010.08.15 Sunday - 08:09

初代教会の熱女 プリスキラ その5

 

コリントは経済的に非常に繁栄した都市で、芸術など文化の程度も高く多くの外国人が流れ込んで来ていた、当時の国際都市でした。ギリシャの都市ですから偶像礼拝も盛んでアフロディトという神を祭る大きな神殿があり、そこには神殿娼婦が千人もいたという悪徳の町でもありました。そこへパウロがやってきました。パウロはアテネから来ました。初代教会史から見ますと、第二次伝道旅行といわれる時期でした。

 

アテネでの伝道はあまり芳しいものではありませんでした。有名なアレオパゴスの丘での説教も不発に終わり、パウロは少なからず心に痛手を受け、いわば「アテネ・ショック」からコリントへ来たと思われます。ともに旅をしてきたシラスとテモテは後から来ることになっておりパウロはおそらく単身でやって来たようです。ちょうどそこにローマを追われたプリスキラ夫婦が「ローマ・ショック」からの先の見えない不透明な暮らしをしていたのでした。しかしパウロとプリスキラ夫婦はその時点ではまだまったくの知らぬ者同士です。大都会で彼らはどのようにしてめぐり合ったのでしょうか。

 

そのきっかけに二つのことが考えられます。彼らがそれぞれに持っていたものですが、それが共通項となり、出会いを作ったと考えられます。ひとつはキリスト信仰であり、もうひとつはテント作りという職業です。

おそらくパウロはこの町にはいると安息日にはシナゴグと呼ばれるユダヤ人の会堂を探したはずです。そこには必ずユダヤ人たちが集まるからです。パウロはそのユダヤ人たちにイエス・キリストを伝道します。それがパウロの伝道方法のひとつでした。そのシナゴグにプリスキラ夫婦がいたのです。いやもしかしたら彼らの方が先に伝道していたのかもしれません。

 

ところがです。彼らはパウロの伝える福音の素晴らしさにすっかり驚いてしまったのではないでしょうか。二人はローマでイエス・キリストを信じたと思われますが、どんなレベルの福音を聞いたか、どのように福音を理解していたか、疑問です。聖書はしるしていませんが、パウロのような福音の解き明かしは聞いたことがなかった、それは確かです。パウロは今現在私たちが新約聖書のパウロ書簡から学んでいることを、まさにそのことを、二人の前で直に語り教えたのです。二人がすっかり心を奪われてしまい、もっともっと話を聞きたい、学びたいと思うのは当然です。(つづく)

 

 

Category : プリスキラ

  • 2010.08.07 Saturday - 13:05

初代教会の熱女 プリスキラ その4

 

ローマで新家庭を始めた二人は非情な皇帝命令によってローマを去らねばならないのです。なぜクラディウスがユダヤ人を追い出したのかといいますと、歴史によくあるユダヤ人迫害の一種です。どうしてユダヤ人はいつもいつも迫害の標的にされるのでしょう。これも歴史で学ぶことですが、ローマという国家は異国の民を建国以来のローマ人の寛容でどんどん受け入れます。けっして差別しないのです。昨日の敵は今日は同じローマ市民なのです。英雄ユリウス・カエサルすなわちジュリアス・シーザーは『寛容政策』を一層拡大して、だれでもかれでもと言っても言い過ぎでないほどに、征服した民族にローマ市民権を与えていきます。誉れ高きローマ市民権のバーゲンセールのようです。一定の条件さえ受け入れればたいていの他民族は優遇されます。

 

ところがユダヤ人だけは時々トラブルを起こします。ユダヤ人はいつもトラブルメーカーなのです。それなりの大きな理由があるのです。ローマ・ギリシャを初め地中海周辺の民族は多神教です。複数の神々を拝むのに抵抗はありません。その神々も人間を神格化したもので、神と呼び信仰の対象とします。ところがユダヤ人は一神教です、それも実に頑固なまでに一神教です。その神の律法に命がけで生きている民です。ローマに征服されようともローマの神々も律法も習慣もこと律法に反することとなると受けつけません。統治者としては困った存在です。

 

前回学んだエステルの事件もそうでした。エステルはローマの前のペルシャ時代の人でしたが、ユダヤ人モルデカイが王の命令に従わず時の大臣ハマンに敬礼しなかたことから、ユダヤ人撲滅の陰謀が企てられたのでした。ユダヤ人はいつの時代にも信仰の戦いから迫害に遭います。反対の側から見ると、ユダヤ人はちっとも政策に協力しない、扱いにくい民と言うことになります。

 

皇帝クラウディウスが紀元四九年に出したユダヤ人退去命令の内容は、ある歴史家の説によると「クレストスの指導のもとに絶えず反乱を起こすユダヤ人をローマから追放した」とあります。しかしこの勅令は生命まで危険にさらされるといった過激なものではなく、集会を禁じたようです。反乱の指導者クレストスと言う人物が何者なのかはっきりしたことはわかりませんが、クレストスという音を聞いているとなにやらキリストと聞こえないこともありません。もしかしたらキリストの名のもとに集まる集会を禁じたのかもしれません。これではクリスチャンたちはローマにとどまるわけにはいきません。そこでクリスチャンアクラとプリスキラはローマを後にしたとおもわれます。

 

 

信仰を貫くためとは言え、住み慣れた土地を離れることは並大抵のことではありません。おそらくそれまで築いてきたもの、所有していたもの、家も親族も、友人も、すべてを捨ててのことであったでしょう。ほとんど身ひとつでローマを後にした二人は、何らかの事情でコリントに滞在したようです。それは一時的な滞在であったのかもしれません。(つづく)

Category : プリスキラ

  • 2010.08.02 Monday - 16:27

初代教会の熱女 プリスキラ その3

 

さて、ローマ皇帝はアウグストからティベリウス、カリグラを経てクラウディウスになります。ついでながらキリスト教徒を迫害したあの暴君ネロはこの次の五代の皇帝です。これもついでながら、四代のクラウディウスは妻のアグリッピーナに毒殺されています。アグリッピーナはネロを連れての再婚なのですが、連れ子のネロを皇帝にしたいばかりに夫を毒殺するのです。

 

ネロ以後、キリスト教はローマ帝国とその皇帝たちの政策に密接な関係を持っていきます。ネロを初めとして幾人かの皇帝たちはキリスト教徒を残忍な方法で迫害します。しかし四世紀の終わりには時の皇帝コンスタンティヌスが自らキリスト教徒となり、キリスト教はローマ帝国の国の宗教、国教にまでなります。クリスチャンとしてローマのお国の事情を知っておくことは広い意味での福音理解に貢献してくれることでしょう。

 

四代目の皇帝クラウディウスがローマにいるすべてのユダヤ人に退去命令を出すのが紀元四九年です。その命によってプリスキラも夫アクラといっしょに都を後にしたようです。住み慣れた都を追われて彼らはどこへ行こうとしていたのでしょうか。夫アクラはポント生まれのユダヤ人とありますから、夫の故郷であるポントを目指していたのかもしれません。しかしポントは小アジア半島を越えて黒海沿岸の地域です。現在はトルコに入るのでしょうか、ローマから見るとはるかにはるかに遠い場所です。すべての道はローマに通ずですから、想像以上に道路事情が良かったかもしれませんが、ポントを目指していたかどうかそれは疑問です。ともあれ彼らはひとまずコリントに腰を落ち着けたようです。

 

プリスキラという名前ですが、ルカはそう呼んでいますが、パウロはプリスカと呼んでいます。プリスカは正式名ですがプリスキラのほうが少し砕けた言い方、ニックネームのようです。例えばプリスカはプリスさんで、プリスキラはプリスちゃんというように、です。

 

私はどちらを使おうかと少しばかり迷いましたが、プリスキラが愛称の意味を含んでおり親しみを表しているとしたら、敢えてプリスキラの方を使おうと思いました。彼女をそう呼ぶことによって、お互いの距離が縮まる気がしましたので。

 

プリスキラはアクラの妻です。聖書は『アクラというユダヤ人とその妻プリスキラ』と言っていますから、アクラはユダヤ人です。が、ふとプリスキラはユダヤ人ではないような気がしてきます。手元にある数種類の聖書をよくよく見ていますとそう思えます。

 

一説には「プリスキラはローマの上流社会の著名な家柄の人で、ユダヤ人と結婚した時に、その社会的地位を失ったという暗示がカタコンベの碑文にある」そうです。(ハーレイの聖書ハンドブック)

 

また他に、アクラはプリスキラの家の奴隷であったという説もあります。これらを思い巡らしますと一組の夫婦の背後には秘められたドラマがあることに気がつき、好奇心をそそられます。

 

二人がどのようにしてイエス・キリストを知ったのか、信じるようになったのか、アクラが先かプリスキラが先なのかなどと想像したくなります。聖書には妻であるプリスキラの方を先に出している箇所もあります。そこを理由に、プリスキラのほうが先にクリスチャンになったのだとか、アクラよりプリスキラの方が活躍して有名であったとか推論されています。

 

ドラマめいたものもありました。ご紹介しますと。アクラはローマのプリスキラの邸宅に住む奴隷であったが、ある時、キリスト教の信仰を持つようになった。プリスキラはアクラを慕うようになりやがて二人は恋におちた。アクラの伝道でプリスキラもイエス・キリストを信じ、二人はイエス・キリストを中心にして家庭を持とうと決心し、ついに結婚したというのです。想像の翼を広げると二人が小説の主人公のような気がしてきます。(つづく)

 

 

Category : プリスキラ

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