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みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2023.07.12 Wednesday -

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  • 2010.07.31 Saturday - 06:56

初代教会の熱女 プリスキラ その2

 

『使徒の働き』(この書を書いた『ルカ』は、ギリシャ人です、ユダヤ人ではありません、の医師で、パウロの良き協力者となり、ともに伝道旅行をした人です。(18章を見ますとまず一節で、パウロはアテネからコリントへ行ったと書かれています。

 

アテネといえばいまではギリシャの都ですが、当時は都市国家の時代ですからアテネはひとつの国と考えていいでしょう。コリントはアテネから真西へ約50キロのところに位置しています。ギリシャ本土とペロポネソス半島を結ぶポイントになる町で、陸路、水路のかなめの町です。そこにプリスキラは夫のアクラといっしょに住んでいたようです。

 

しかし彼らはコリント人ではなく、『近ごろイタリアから移ってきた』人たちです。地図を見ていただくとわかりますが、アドリヤ海という海を隔てておなじみのイタリヤ半島が見えます。イタリヤ半島は長靴、ブーツのような形をしていますが、ブーツのすねに当たる部分に都ローマがあります。プリスキラ夫婦はイタリヤと言ってもおそらくローマから来たと思われます。なぜイタリヤからしかも当時世界一を誇る都を出てきたのかと言えば、時の皇帝クラウディウスがローマにいるユダヤ人を全員追放したからです。なぜユダヤ人が追放されたのでしょう。

 

時の皇帝はクラウディウスですが、彼はローマ四代目の皇帝です。ローマはこの時期は建国八〇〇年になりますが、皇帝制度を採用してからはたかだか五〇年ほどしか経っていません。ちなみに初代皇帝はアウグストといい、なんと彼は『ルカの福音書』に登場してまいります。人口調査を命令した皇帝で、もっとも人口調査は一回だけでなく彼の治世でも何回か行われていますし、他の為政者もしていたようです。ユダヤはその時代、ローマの属州でしたので皇帝命令に従わなければなりませんでした。ナザレのマリヤとヨセフは住民登録のために本籍地であるベツレヘムまではるばる旅をすることになります。

 

ちょうどベツレヘムに着いた時マリヤはイエス・キリストを出産しました。もしアウグストが勅令を出さなかったらマリヤは旅行することもなくナザレでイエス様を生んだでしょう。それでは神様の台本とはちがってしまいます。イエス・キリストがナザレではなく、ベツレヘムで誕生するという予言は七〇〇年も前から旧約聖書の中で言われてきました。ローマ皇帝アウグストはユダヤの国の昔の言い伝えなど知る由もありません。まったく自分の考えから自分の国の政策として人口調査をしたのです。

 

それがちょうどイエス・キリストの誕生の予言にぴったりと重なったのです。アウグストは神様の予言の成就に用いられたことになります。歴史が神様の小道具として自由に使われていることがよくわかります。さらに一言追加すれば、最強の帝国ローマに初めて皇帝が即位したころ、宇宙を含めて世界の王の王であるイエス・キリストがベツレヘムの家畜小屋でひっそりとお生まれになったというこの事実は神様特有の皮肉に満ちたドラマですが、ここからは歴史を通して語る神様の無言のメッセージが聞こえてくるようです。(つづく)

 

 

 

Category : プリスキラ

  • 2010.07.24 Saturday - 21:43

初代教会の熱女 プリスキラ その1


 梅雨明け10日とは今年にこそ似合いの言葉ではないでしょうか。遠慮会釈なく照りつける太陽が、少しも迷わず堂々と自分の使命に生きている崇高な姿に思えきて、言いたかった恨み言も忘れてしまいました。 夏は夏らしくなくてはと思えてくるから不思議です。
 しばらく、初代教会の花であるプリスキラ(プリスカ)を見ていきたいと思います。

 

プリスキラ(夫はアクラ)は新約聖書の女性と言いましても、イエス様時代の、つまりイエス様に直接出会った女性ではありません。イエス様が十字架上で死なれたのが紀元三十年ごろですが、それからおよそ二十年あとの人です。そのころになりますとユダヤから始まったキリスト教は地中海の海岸沿いにアジアの西へ西へと前進し、現在のヨーロッパにも渡り、ローマの都にも入っていきます。そして各地にいわゆる教会、現在の教会の原型になるものが誕生していきます。キリスト教の歴史では初代教会の時代と言います。中心になるリーダーにパウロという伝道者が担います。彼はローマ帝国が作った道路や海路を使って広範囲にわたって伝道していきます。

 

今日のヒロイン、プリスキラはこのパウロと密接にかかわりながら初代教会の時代にすばらしい働きをした女性です。彼女は一女性であり、一家庭婦人にすぎませんが、女性なるがゆえに男性とは種類のちがった女性ならではの働きをします。それは女性が本来持っている特質をそのまま使ったものです。プリスキラはごく自然体でその働きをしています。そこから、私たちが忘れているいくつかの大切な事がら、特に『女性の賢さ』について学ぶことができると思います。プリスキラは『賢い女性』のトップを走る人と言えます。

 

プリスキラに「初代教会の熱女」という肩書きをつけました。熱女と読んでくださったでしょうか。ある方から『熟女』ですかと言われて、まちがって読まれているかもしれないと気がつきました。熟年の熟ではなく熱心の熱、熱情の熱、エネルギーの熱です。プリスキラを考える時、彼女からは特に暖かい心の熱を感じましたので、使ってみました。しかし熱女などと言う言葉が辞書にあるのかどうか知りません。しかし新しい言葉を作っていけないことはありません。

 

初代教会に活躍した女性として、聖書にはプリスキラの他に二名の女性が記されています。『紫布の商人でルデヤ』と『ドルカス』です。プリスキラとともに彼女たちは初代教会を飾る三姉妹です。もっとも三人は一度も顔を合わせたこともなく、生活した地域も違います。キリスト教の夜明けの時代に、女性たちの名が堂々と記されているのは明るいニュースです。やはりイエス・キリストが来られて時代はこうした意味でも変貌したのがよくわかります。

しかし何と言っても二千年前のことです。女性の地位は低く社会的にも立場のない時代でした。プリスキラは上流階級に属していたわけでもなく、特別な才能があったわけでもない、平凡な一家庭婦人です。夫に仕えながら家庭を切り盛りしていた、どこにでもいる主婦の一人でした。

しかしひとつの大切な働き、生き方と言ってもいいでしょう、を通して、今日までも話題を提供しているのですから並の女性ではありません。
いったいプリスキラはどのように自分自身の人生を用いたのでしょうか、まずプリスキラの身の上、経歴から見ていきたいと思います。

                         つづく

 

 

Category : プリスキラ

  • 2010.07.13 Tuesday - 15:11

梅雨のさなかで一息を

 しばらく間が空いてしまいました。期待してご訪問くださる方々には大変失礼しています。ただ今、次回からの予定をあれこれと思い巡らしています。

続けてきました『聖書の女性たち』シリーズはまだ完結ではありません。有名無名を問わず数名の女性たちについての書き物があります。ワープロ以前のものもありますので、入力や再編集が必要です。準備して掲載するつもりです。少し時間がほしいと思います。

それにつけても、根気よくお訪ねくださった多くの方々に心から厚く感謝申し上げます。時には、姉ともいうべき『希望の風』を凌ぐ多数のアクセスがあり、喜んだり戸惑ったりしています。どのような方がどのようなニーズで読んでおられるのかと、考えます。

ともあれ、こちらにはこちらだけの読者もおられるのだと、真剣な気持ちで受け止めています。書き手としての幸いをかみしめつつ、いっそう気を引き締めています。

まずは中間報告まで。
       
               
    
        

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