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みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2023.07.12 Wednesday -

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  • 2010.06.18 Friday - 10:38

細川ガラシャ その生と死 その10(おわり)

 

 

ついでながら、父光秀が信長に謀反を起こす前夜の句に

 
          時は今 天が下知る 五月かな 


と、読んだことが残っています。

 
光秀も自分の人生の時、決断の時は今だと、時について思いを深めています。光秀の場合、おそらく自分を生かすときは今しかないと、もちろん死を覚悟の上でしょうが、自分を生かすため、自分の思いを遂げるための時を悟ったのでした。

 

その娘であるガラシャが「散りぬべき時」と歌っているのです。父と娘が、次元は違っても時を知ることに共通項をもっていたことに興味をそそられます。そこからでてくる答えは父も子も生きることに死ぬことに人一倍真剣であった。たった一度の人生を、光秀は自分自身の心に、信念に忠実であった、ごまかしたり妥協したり、あきらめたりしなかったことがわかりますし、ガラシャは信仰者として神の栄光のために、恵みとして生きること、死ぬことを考えることができた、なによりも永遠のいのちを喜び、生き生きと死んでいったこころがこの親子のちがうところでしょうか。

 

 ところで、少し脇道にそれますが、ガラシャの夫忠興、忠興にとどまらず、細川家はこの世に生き続けることに最大の関心を払い、そのためには人を裏切ることも、さらに自分自身の心をいつわることもいといません。忠興はついに自分で自分の妻を殺すと同じことをするのです。いざというときは家のため、強いては自分のためには最愛の妻さえ見殺しにするのです。恨むことはしなかったでしょうがガラシャの淋しさ、悲しさはたとえようもなかったでしょう。

 

だからこそガラシャは「散りぬべき・・・・・人も人なれ」との歌を詠み、それをいわば夫の胸元に突きつけたのです。ガラシャの投げつけた一句はどのように忠興の心に響いたでしょう。散りぬべき時を知らなければ人間ではないと言っているのですから、あなたは人間ではないと言われているのですから。しかし、たとえわかっていても、この弱き男はガラシャの強さに準ずることなどおよそできなかったでしょう。妻を後にして出陣するしかできなかったでしょう。

 

 さて、おわりに近づきたいと思います。

 今まで長きにわたってガラシャの生涯とその生き死を見て参りました。ガラシャは今から400年も前の特殊な時代の特殊な環境に置かれた人でした。確かに特別な人でした。しかし他人の人生を見て特別の人で終わらせてしまわないところが賢い女性の態度といえましょう。

 

ガラシャは、いわゆる不幸な出来事に遭遇したとき、その苦悩から安易に逃げなかった、環境や人のせいにしたり、仕方がないというレベルの納得やあきらめでかたづけず、とことん掘り下げて苦しみ抜き、そこから苦しみや不条理の本質を見抜くことができた、さらにはその思いや視点を、見えない世界に存在する不変の真理に向かわせることが出来た、そしてついに神を発見し、神を信じ、魂の平安を獲得することが出来たのでした。ガラシャは生き上手であった。生き方の達人であったと評価できると思います。ガラシャは状況や環境が悪くなればなるほど、その精神は生き生きと高められ、質の高い濃度の濃い生を生きることが出来た人でした。それは生の延長にある死についても同じことが言えます。

 

ガラシャは積極的に死を選んだ人です。しかしそれは決して自殺ではありません。逃避の死ではありません。自分の全存在を賭けて死んでいきました。世の中に対しての精一杯のレジスタンスと、愛する神への力一杯の信仰を両立させた死でした。 

 三浦綾子が死を間近にして『私にはまだ死ぬという大切な仕事がある』と言ったことは記憶に新しいしかも近年の高齢化時代に一石を投じたすばらしい一言として私たちの心にひとつの新鮮な感動を与え、死に対する考え方に新しい領域を見せてくれましたが、ガラシャの死もまた彼女にとっては最後の大きな仕事、言い換えれば使命であった、ガラシャはそこに自分の使命を見た、神様のための使命を確信したと思われます。死ぬことにも神の時があり、神様の恵みであり、さらに死後の世界の恵み、永遠のいのちの恩寵を多くの人々に伝えなければならないという使命に立ったのでした。彼女は死に上手、死の達人であったと評価できるでしょう。濃密な生と死を達成させた人生の勝利者と言えます。 

 

最後の最後に、皆様方の今の生きることとやがて来る死が、ガラシャのように中身の濃い純化されたもととなり、いつでも本当に生きている、生かされているという充実感と神様への感謝があふれるものでありますようにと祈ります。(おわり)

 

                                                                 

 


  • 2010.06.13 Sunday - 15:15

細川ガラシャ その生と死 その9

 

さて、最後の箇所、ガラシャの死に方を見ていきます。

 秀吉はキリシタンに敏感に反応します。はじめは大目に見ていましたがやがて禁止令が出され、国内の宣教師たちに国外退去を命じたり、また長崎では26名のキリシタンたちを処刑します。忠興は妻がキリシタンであることを悟られまいとしていよいよ厳重に外出を禁じます。妻とお家を何とかして守ろうとする当主としてはもっともな態度だといえます。彼は彼なりに生き延びるために必死で方策を探ります。

 

時が移って秀吉が死に、世の中は再び天下取りを巡って騒然としてきました。先にも述べましたように、世間にさとい細川家は生き延びるために秀吉から家康側につく選択をします。

 天下分け目の戦いにつながるだろうと誰もが予感している頃。忠興は家康の命を受けて会津へ向かおうとしています。今さらどこかに逃すことはできない。石田方がガラシャを人質に出せと命じてくることは時間の問題。家康さえ大阪城に側室を残している。しかし忠興はどうしても出したくないのです。と言うことは万一の時は死んでくれと言うことです。人質となってとなって生き延びても辱めを受け、棄教を迫られ、命も取られることは明白です。

 

それなら潔く信仰を守り通し、夫に従って家のために死のうと、ガラシャは決心します。 信仰と夫の両方を立てる道は死しかないと判断するのです。その背後には強烈な信仰がありました。ガラシャは忠興にきっぱりと言います。「デウスを信ずるものには肉体の死はありましても、霊魂の死はありませぬ」永遠のいのちを信じる信仰にたっての決断です。

 

永井路子はガラシャにこう告白させていまいす。

「御恩寵の日が来たと、わたしは今思っております」「キリシタンの御禁制は日を追って厳しくなるとも和らげることはありますまい。私がキリシタンであることは細川家のために大きな障りとなることは明らかです」

「かといって、私にはキリシタンの御教えをいまさら棄てることはできませぬ」「神は私に御恩寵をお与えになりました。他の方々にとっては生涯の危機である今も、私にとっては神のお恵みでしかありませぬ。私がガラシャという名をいただいた意味が今はっきりと分かった気がいたします」

「おそらく忠興殿は私の気持ちはご存じないでしょう。ただ細川家に殉じたとお思いになって涙を流してくださるかも知れませぬ。それでもよろしいのかも知れませぬ。それも神の与えられた御恩寵でありましょう」

 

永井路子の場合、ガラシャの死は恩寵によって与えられた恵みだと理由付けをしています。三浦綾子はガラシャが「肉体の死はあっても、霊魂の死はない」と言い切る姿に、ガラシャが永遠のいのちを信じ、そこに希望のすべてを託して敢然として死んでいく様を強調ており、そのことこそが恩寵なのだとキリスト教の福音を明確に示しています。ここがキリスト教作家とそうでない作家の相違ではないかと思われます。 

 

ガラシャの死の決意をもう少し見ていきます。      

 ガラシャは思います。このあと何年生きたとしても、結局、肉体は死ななければならない。(死ぬべき時に、人は死すもの)そう結論するのです。

 

辞世の歌は世によく知られいるとおりですが 

    

      散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 

                      花も花なれ 人も人なれ
  

 

 ここには読み捨てにできないひとつのことば「時」がでてきます。

 時を知るの「時」とは聖書『伝道者の書』にある神の時のことでしょう。 伝道者の書の一節には『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある』とあります。またパウロの声も聞こえてきます。『私にとって生きるはキリスト、死ぬこともまた益です』

 ガラシャは自分の死ぬ時を神の導きの中で悟り、恩寵、すなわち恵みである、そして死の先には究極的な恵みである永遠のいのち、天において神と共に生きる新しい世界があるのだと確信しています。これが死を選び、死を決意した理由です。信仰に、神の約束に賭け、福音に生きたのです。 (つづく)

 

 

 

  • 2010.06.06 Sunday - 08:11

細川ガラシャ その生と死 その8

 

 さて、長い長い苦悩の果てに、自分の心の中心に据えるものが神であることがわかったとき、ガラシャは非常に積極的になります。まっしぐらに突進するほどです。どうしても納得のいくまで探し、訪ね、そして見いだしたいという激しい欲求が働きます。その情熱の前には夫の外出禁止の厳しい命令も意に介しません。どうしても教会へ行ってみたいと思い立ち、様々に策を練って計画を立て、ついに屋敷を抜け出します。

 

忠興は異常なまでにガラシャを束縛し屋敷から一歩も出そうとしません。自分が留守の間も家臣たちに厳重に申し渡していきます。その厳重な命令と監視には妻であるガラシャにもどうすることもできない状況です。しかしある時、その監視をくぐってガラシャは教会へ行くのです。彼女の生涯にとってたった一度のことでした。その時ガラシャはパアデレ、神父、つまり牧師に直接会って信仰の導きを受けます。その後は清原マリヤを通して何度も教えを受けます。その様子は滞在中の宣教師の書簡として今に残っているそうです。

 

その後ガラシャは清原マリヤから教会ではなく自分の城の中で、洗礼を受けます。洗礼名をガラシャと名乗ります。キリシタンになったことを夫にも隠さず告白します。夫の驚きや怒りにも動じません。どのように迫害されてもその信仰はますます強固になり、侍女たちもつぎつぎに信者となっていきます。これには忠興も手がつけられなかったようです。 

 以上を総合して一つのことが見えてきます。ガラシャはいのちの危機にさらされる時、また心に深い傷を負い、絶望したとき、かえって精神活動は活発化し魂の目が開かれ、究極の真理を求めて生きようとしています。 

 

 皆様、私たち人間が、生きると言うことは一体どういうことでしょうか。長い人生街道を歩き、様々な体験をなさってこられた皆様方、ご自分の来し方をふり返って見て、生きるとはどういうことか、お答えを見いだすことが出来るでしょうか。

 

真に生きるとはどういうことでしょうか。キリスト者であろうとなかろうと、人間誰しも心の底ではほんとうの意味で生きたと言えるように生きたい、ほんとうの生を生きてみたい、また、生きたといい切れるような人生を送りたいと切に思い、願い、求めているのではないでしょうか。

 

それは外側の条件、たとえば健康であるとか、豊かな暮らしであるとか、良い家族や良い友人たちに恵まれるとか、そうしたいわゆるこの世が評価する幸福の物差しでは測ることの出来ないものではないでしょうか。言ってみれば見えない世界に属することではないでしょうか。聖書には見えるものは一時的であり見えないものは永遠ですと書いてあります。人間は物理的には動物の一種に過ぎませんが、同時に人間は精神的な生き物であるとは古来からの定説です。だから動物的な生き方だけではどうしても満足することの出来ない世界、心の領域、魂の領域での判断、評価が重要なのです。

 

人間が真に生きるとはどういうことでしょうか。

 私自身、自問自答する課題です。簡単な数式の計算で答えを出せるような問題ではないでしょう。もしかしたら永遠の課題かも知れません。そしてそれは人間の創造主なる神様が、さあ、しっかり考えてごらんと提出された難問かも知れません。でも案外簡単なところ解答があるのかも知れません。(つづく)

 

 

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