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みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2023.07.12 Wednesday -

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  • 2009.08.30 Sunday - 09:05

無名の賢女たち その2 『長血を患った女性』

 

 さて、まず、長血の女性です。

 
四つの福音書中、マタイ、マルコ、ルカの三つにこの女性の記事が記されています。多少書き方がちがいますので三つを並べて読みますと、名前が無いわりにはかなりハッキリと人となりが見えてきます。ですから三つの記事を同時平面上に広げながら見ていくことにします。

 

イエス様の公生涯は三年半です。今さらのように感慨深く思うのですが、イエス様はわずか三年半しか表立って活動なさらなかったのです。ベツレヘムの家畜小屋という前代未聞のにわか産院でお生まれになるとすぐに、残忍なヘロデ王の剣を逃れてエジプトに逃避行します。その後、三十歳までナザレという田舎町で一大工として働いて一家を支えられました。父であるヨセフは早く亡くなったと言い伝えられていますから、母マリヤと弟妹を養うためにけんめいに働いたことでしょう。昔の大工さんのことです、かなり重労働ではなかったでしょうか。朝は日の出とともに起き出してすぐに仕事にかかり、夜は、外の仕事は日没まででしょうが、灯火をたよりに、夜更けまで細かい手作業を続けたことでしょう。

 

そして、三十歳になってようやく、それまでずっとずっと温めてきた神様の仕事に立ち上がりました。大工時代とはうって変わって、ガリラヤ周辺はもとより都エルサレムを含む国中を巡回して神の国の福音を宣べ伝えました。

 イエス様の教えは餓え渇いていた民衆の心をたちまち捕えてしまいした。慰めと希望に満ちた暖かいメッセージに接した人々は、温かいスープをお腹いっぱいいただいたような幸せな思いになったことでしょう。

 イエス様の人気と言いましょうか、評判は風のように国中を駆けめぐりました。

 

イエス様はすばらしい説教をするだけではありませんでした。時には神様としての力のひとつを発揮して、いわゆる奇跡というみ業を行いました。その数はかなり多く、不可能の壁を突き破っては人々の危急を救っています。そのような奇跡にあやかりたい、あるいは奇跡の現場を一目見たいものだと、好奇心を抱いた無数の人々がイエス様を追いかけました。イエス様の周辺はいつも押すな押すの大群衆であふれていたようです。十二年間長血を患った女性との出会いの時もまさにそうした状況下でした。 場所はイエス様の地元、カペナウムの町です。

 

ある時、イエス様はたっての願いでヤイロという人の家に急いでいました。一人娘が死にそうなのでぜひ手を置いて直してくださいという嘆願があったのです。イエス様は弟子を従えて道を急いでおられました。しかしイエス様の行く手には待ってましたとばかりおおぜいの人々が群をなしており、後ろからもぞろぞろと列をなしてついてきていました。イエス様の周りにも人々がひしめき合っていて、おそらくペテロなどが声をからして追い払いながらイエス様の通り道を空けさせていたと思われます。

 その群衆に紛れて、一人の女性がイエス様のそば近くにまで忍び寄り、後ろからイエス様のお着物のすそのふさにさわったというのです。(つづく)

 

 

 

  • 2009.08.24 Monday - 16:18

無名の賢女たち その1 

 

 

前語り

 

今回は新約聖書から2名の女性を取り上げます。

 二人はそれぞれイエス・キリストに直接出会うことによって、どうすることもできなかった人生の難問をみごとに解決していただきました。そのうえ、新しく生きる力と将来を与えられた、たいへん幸運な女性たちです。

 

一人の女性は十二年間も長血という病を患って苦しみ抜いた女性、もう一人はカナン人の女、あるいはスロ・フェニキヤの女と呼ばれる女性です。彼女の苦しみは我が娘の重い病です。二人の女性の間には何のつながりもありません。イエス様の三年半という短い公生涯の途中で、ある時、イエス様と劇的な出会いをした女性の一人だということだけです。

 

しかし、二人には共通点があります。それは、タイトルにしましたように、本名がわからないことです。聖書は二人の実名を記していません。ところが、名前がわからないということはたいへん不便なことです。この書を記すに当たってもいちいち十二年間長血を患った女性、あるいはカナン人の女とかスロ・フェニキヤの女と呼ぶ他はないのですから。これだけのことから考えても、名前がわかっていると言うことは実に重宝です。

 

名前はその人の全貌を一度に明確に示します。名前がないとまるで目も鼻もない顔のような気がしてきます。もちろん、実際には彼女たちはそれなりの名があって、周囲の人々からはその名で呼ばれていたのでしょう。聖書記者が実名を記さなかっただけでしょう。しかし、なぜ大切な名前が記されていないのでしょう。そのミステリーに惹かれます。あるいはここにイエス・キリストの愛と知恵が隠されているのではないでしょうか。それも探ってみたいとおもいます。二人の女性の『賢さ』を探る作業の中で、当然発見できるとおもいます。  (つづく)

 


  • 2009.08.16 Sunday - 20:21

謳う賢女たち その7 『ファニー、ジェーン・クロスビー』―十九世紀のアメリカに生きるー

 

やがて同僚のバン・アルスタインと、この方も盲目でした、三十八歳で結婚し、子どもが生まれます。ところが、その子が死んでしまうのです。ファニーは絶望のどん底に突き落とされ、二度と歌は作れないと悲しみに沈みます。神様を疑い、盲目であることを嘆き、懊悩苦悩します。が、その試練の中で、さらに神への信仰が深まり、高められていきます。それが歌となってあふれでました。それらは讃美歌として歌われていきます。ファニーの作る讃美歌はおりから世界的に大活躍した大伝道者ムーディーとサンキーの集会で歌われ、アメリカはおろか世界中に広まって愛唱されるようになりました。

 

九十五歳で天に帰るまでのあいだ作詞を続け、その詩は八千にものぼると言われます。今私たちが使っています聖歌には二十四編も入っています。しかもフアニーは歌を作るだけでなく、信仰のあかしをして、アメリカ各地を講演してまわり、あるいは人々の悩みを聞き、相談に乗り、キリスト者として大活躍をします。

 

ファニーはたしかにふつうの人の持っていない豊かな賜物を持っていたでしょうが、それだけで歌を作ったのではありません。心にあふれる思いを自分の言葉で謳い表現しました。自分だけの新しい歌を謳いました。

 

以上、5名の女性をかなり早足で見てまいりました。五名の女性たちは三千五百年という時の大河のまにまに生きた人たちですが、共通項があります。それは謳う女性たちであったと言うことです。謳うとは、心に生まれたこと、感じたこと、考えたことを、大胆に言葉に言い表すことです。表現する人たちであったと言うことです。

 

言葉に表す、表現すると言うことは、勇気のいることです、立場や生き方や人柄や性格まで人に知られてしまいます、それに対して時には責任が伴いますし、特に評価がついて廻ります。裸の自分を見せてしまうことです。ごまかすことも、カムフラージュすることもできません。体裁も繕えません。プライドもかなぐり捨てなければなりません。そうしたリスクを負うことです。しかし彼女たちは敢えて謳いました。人の前に、神様の前に正直に生きたのです。率直に、すなおに、素朴に、しかし大胆に生きたのです。

 

私たちの国には、物言えば唇寒し秋の風、言わぬが花、沈黙は金、見ざる、聞かざる、言わざる、不言実行(言行一致がいいのでは?)などと、黙っていること、深入りしないことが美徳とされる風潮があります。

 

確かに、体勢に準じて、事なかれ主義でとおせば、風当たりも少なく、傷を受けることもなく、無事に過ごせるかも知れません。それも生き方の一つでしょう。いつもいつも自己主張していては、社会の中でも、家庭の中でも困りものになってしまいます。もちろん謳うとはそう言うことではありません。自己中心的な自己主張ではありません。周囲を破壊するような、不愉快にするような物言いのことではありません。また饒舌、おしゃべりとは違います。

 

ミリアムもデボラもハンナもマリヤもそしてファニーも共通して謳ったのは、神への賛歌でした。神様のすばらしさをそれぞれの人生から歌いました。別の言葉で言えば、あかしをしたのです。彼女たちの謳うは、あかしでした。自分の人生を通して、確信したもの、自分の手でつかんだもの、その体験、経験を、思い切ってあかした、それが謳うことでした。自己の傷も、弱さも、恥も、さらけ出して裸になっても、そうせざるを得ない内側からの欲求に突き動かされて、謳いました。それは魂の歌でした。ですから聞いた者たちは深い感動を覚え、忘れることができず、それらの歌は歌い継がれていったのでしょう。彼女たちの歌は歌い続けるひとりひとりの歌となって、つまり新しい歌となって、その人自身の歌となって、歌い継がれていきました。

 

今日の学びで発見しました女性の賢さとは、自己を謳う、表現する、クリスチャン言葉でいえばあかしすると言うことです。

賢い女性は歌が好き、と結論したいとおもいます。その歌は創作でなくてもいい、歌い継がれてきた歌でもいい、自分の歌としてうたったらそれは自分だけの新しい歌であり、謳うことです。また、愛唱の歌がおありでしょう。それを歌いましょう。

 

思い出しませんか、若いときは今よりよく歌いませんでしたか。最近は大きな声で歌わなくなったと。歌を忘れたカナリヤになっていませんか。

カナリヤはどうして歌を忘れてしまったのでしょう。カナリヤを再び歌わせるためには、銀の櫂でこぐ象牙の船に乗せ、月夜の海に浮かべればいいといっています。象牙の船、銀の櫂、月夜の海、それは私たちにとっては何に当たるのでしょう。

 

先ほどから見てまいりました五人の女性たちもある時期、歌を忘れたカナリヤであったでしょう。しかしあることから歌えるようになった。彼女たちにとっては象牙の船、銀の櫂、月夜の海があったのです。

さあ、歌い足りない、謳っていないとおもわれたら、その原因を探りましょう。原因がわかったら取り除きましょう。

 

聖書の言葉を借りますと、銀の櫂は信仰でしょうか、象牙の舟は希望でしょうか、月夜の海は神の愛でしょうか。信仰の櫂で希望号をこぎ、愛の大海へ出ていくのです。その時、高らかに歌が生まれるのです、歌えるのです。

 

歌いましょう。クリスチャンには讃美歌がありますから、すばらしい環境にいます。それはたいへん幸いなことではないでしょうか。

 

『雅歌』にある詩も忘れられません。

 

ほら、冬は過ぎ去り、

大雨も通り過ぎていった。

地に花が咲き乱れ

歌の季節がやってきた。

山場との声が私たちの国に聞こえる。

いちじくの木は実をならせ

ぶどうの木は、花をつけてかおりを放つ。

わが愛する者、美しいひとよ。

さあ、立って、でておいで。

 

イエス・キリストは神様ですが率先して詩を謳いました。それも、ここにありますように私たちへの愛の詩を謳いました。この詩を、この愛の歌を聞いて、私たちも謳わずにおれません。それが賢女たちが謳う詩です。

 

私たちもそれぞれの口で謳い、歌いましょう。

この地上に命を受け、生かされていることの幸いをまず歌いましょう。クリスチャンの方はイエス・キリストに愛され、選ばれ、救われ、神の子とされているこの特権を歌いましょう。まだ、神の愛と救いを体験していない方々がおられますか、キリストがあなたを引き寄せておられることを知り、考え、魂に響かせてください。


                         謳う賢女たち 終わり 
Category : 謳う賢女たち

  • 2009.08.14 Friday - 11:06

謳う賢女たちその6『ファニー、ジェーン・クロスビー』―十九世紀のアメリカに生きるー




ファニーは一八二〇年、今からざっと百八十年ほど前、アメリカ、ニューヨーク州の北部バトナム郡、サウス・イーストの町に生まれました。

生後六週間目に、目に腫れ物ができ、医者の指示によって家族は温湿布をしましたがその処置はよくなかったことから、失明してしまいました。今の時代でしたらおそらくこうした悲劇は防げたことでしょう。生後六週間ですから盲目で生まれてきたのと同じかも知れません。

 

十五歳の時ファニーはニューヨーク市立の盲学校に入学します。当時としては合衆国でもっとも優れた盲学校で、開校したばかりでした。ファニーは非常に優秀な生徒でした。ここで八年を過ごし、さらに十五年、母校で教鞭を執ることになります。この学校は寄宿舎制で、教師も、生徒も生活を共にする学校でした。

 

ファニーには特別の才能がありました。詩を作ることでした。ファニーの作った詩に曲が作られて、アメリカ中で愛され歌われました。ファニーの詩は多くの人の心を揺さぶりました。天分が豊かに備わっていたばかりでなく盲目であるという深い傷と悲しみが人々の情感をそそったのでしょう。また、物理的に見えない分、見えない世界を感じる感情や感性が鋭く、人々の心の奥底に沁みこんだのでしょう。たいへんもてはやされ有名になりました。でもそれは讃美歌ではありませんでした。いわゆる流行歌、日本で例えたら演歌のたぐいだったようです。

 

ファニーはけっして暗い陰鬱な人ではなかった、明るくてユーモアに富む快活な性格であり、非常に活動的でした。一方で、ファニーは、作詞家として有名になり世間から大きな称賛を浴びていたにもかかわらず、心には真の喜びや平安がありませんでした。盲学校の親友が、讃美歌を書いたらとしきりにすすめます。しかしファニーはほんとうの意味で神を信じ、神を喜ぶクリスチャンではなかったようです。ですから、讃美歌を書く思いもなく、また書けなかったのです。

 

あるとき、親友に勧められて教会の伝道集会に導かれます。しかしそこでもまだなかなかほんとうの信仰を持つことができなかったようです。

その親友がコレラにかかって死んでしまいます。ヨーロッパで大流行したコレラがアメリカにも流行りだして、ばたばたと人々が死んでいったことがあったそうです。盲学校の生徒も死んでいきました。そうした悲劇の渦中に身を置いて、ファニーの信仰は本物になっていきます。もう流行歌になるような詩は作らない、自分の作った詩が、酒場やダンスホールで歌われるのはたまらないと思うのです。しかしもって生まれた詩心はとどまるところを知らず、それが信仰の歌、讃美歌を産むことになりました。(つづく)

 

 
Category : 謳う賢女たち

  • 2009.08.09 Sunday - 09:03

謳う賢女たち その5――『イエスの母マリア』――

次はハンナからおよそ一千年を経て、今からは二千年前に神の特別な光に捕らえられ、神の最も大切な働きを託された女性、イエス・キリストの母となったマリヤを見ましょう。

 

マリヤの名が出てきますと、クリスマスを連想してしまいます、そしてもちろん続いてイエス・キリストの降誕が浮かび上がってきます。マリヤにいちばん似合う姿は幼子イエスを胸にした聖母マリヤです。これがいちばん自然に思い出されます。

しかし今ここで見ようとするマリヤは、イエス・キリストを宿す若き妊婦マリヤです。

 

マリヤは御使いガブリエルから神の子を宿していることを知らされ、さらに親類の老女エリサベツも六ヶ月の身重であることを知らされます。有名な受胎告知の時のマリヤと御使いとのやりとりなどは省きますが、その後です、マリヤは思い切ってエリサベツを訪問します。マリヤの住むイスラエルの北方ナザレから、エリサベツの住んでいる南のユダ地方の山里まで、直線距離で百二、三十キロの道のりでしょうか、マリヤは一心に旅をしていきます。


 マリヤはエリサベツと感動的な対面をします。エリサベツはマリヤを一目見るなり、『あなたは女の中の祝福された方、あなたの胎の実もまた祝福されています。私の主の母が私のところに来られるとは、何と言うことでしょう』と最大級の歓迎の言葉かけて、迎え入れます。おそらく駆け寄って抱き合ったのではないでしょうか。

 

マリヤは受胎告知以来、この旅の間もずっと、心も体も緊張しきっていたでしょう。マリヤは受胎告知の時に御使いガブリエルに『私は主のはしためです。おことばどおりこの身になりますように』と決意のほどを表明し、その信仰の上に立ち上がったのですけれど、自分に与えられた役割の大きさに恐れおののき、あるいは武者震いをするような、張りつめた心境であったとおもいます。そうした尋常でない心と体をむち打つようにして旅を続けてきたのです。

 

エリサベツの暖かいあふれるような愛に満ちた歓迎がどんなにマリヤを慰め励まし、力づけたことか、想像にあまりあります。マリヤはそれまでの緊張や束縛からいっぺんに解放されてしまいました。心が開けて魂が高められて、胸が弾んで、それが歌となってほとばしりでたのです。それが有名なマグニフィカート・マリヤの賛歌です。

 

わがたましいは主をあがめ、

わが霊は、わが救い主なる神をよろこびたたえます。

主はこの卑しいはしために

目を留めてくださったからです。

これから後、どの時代の人々も私をしあわせ者と思うでしょう。

力ある方が私に大きなことをしてくださいました。

 

ここは、先のガブリエルの前での応答より『私は主のはしためです……』よりさらに完成された、主への応答ではないでしょうか。

 

救い主を宿し、産むという前代未聞の大役を全身で受け止め、それだけでなく、自分を選んでくださった神を喜び、ほめたたえるまでに意志が高められ強められたこと、後々の人が自分を幸いな女と呼ぶだろうと、そこまで神の御業を信じ喜んで、それを言い表しているのです。大胆に謳っている、そこにマリヤの信仰の大きさや、信仰がもたらすゆとりを感じます。

 

この歌は讃美歌に入って、代々の人々に歌い継がれています。私たちもマリヤを思ってこの歌を我が歌として謳おうではありませんか。

歌が生まれる、歌が歌えるとはどのようなときでしょうか。歌が出ない、歌えないときとはどのようなときなのでしょうか。

 

歌どころではない、のんきに歌など歌ってはいられない、また苦しみや悲しみが深すぎて歌いたくても歌えない、歌心が奪い取られて、歌を歌うなんて久しく忘れていた。そんな時もあるのではないでしょうか。

 

童謡ある『歌を忘れたカナリヤ』を思い出しませんか。このような歌を久しく歌わなかったのではないでしょうか。でも忘れてはいないでしょう。口ずさんで見るのもむだではないでしょう。

 

 

 

 

 
Category : 謳う賢女たち

  • 2009.08.04 Tuesday - 07:16

謳う賢女たち その4 『ハンナ』―サムエル母―

 

時代順には、ハンナです。

ハンナは中年の主婦です。ただし子どもがいません。時代は、先のミリアムの頃より三、四百年過ぎた頃です。出エジプトしましたイスラエルの民がカナンの地、いまのイスラエルにすっかり落ち着いた時代です。ハンナの周辺状況はわりに平和です。ミリアムの時のように民族の興亡に関わるような出来事が起こったとは記されていません。また、デボラの時代のように戦時下でもないようです。

 

一つの家庭の問題と、その渦中で悩み苦しむ一人の女性として、ハンナが登場しています。ハンナは子どもがいないこと、そのためにもう一人の妻、こちらにはいく人かの子どもがいます、一夫多妻の習慣のある時代です、ハンナはこの女性にことある毎にいじめられるという苦しみのただ中にいます。

 

ハンナの夫エルカナはなかなかの人格者のように記事からは判読できるのですが、ハンナを愛しながらも、もう一人妻を持ち、いっしょに生活しています。エルカナが子どものある妻よりも、子どものできない妻ハンナをより愛していることから、事態はより複雑で深刻になってきます。愛されていないと直感する子沢山の妻が、なにかにつけハンナをいびるわけです。子どもが生まれないことをさげすみ、辱めるのです。

 

ハンナは懊悩苦悩します。女性としての価値まで疑われ、自分の存在理由が霞んできて、夫の愛もその傷を癒す力や真の慰めにはなりません。

ハンナはその苦悩を全能なる神に向け、ひたすら祈ります。

 

ハンナの祈りについては省略しますが、祈りに祈って、ハンナは積年の煩悶から解放されます。神が自分のすべてを知っておられる、神に全人生を預けた、それを神が全能の力と愛で受け止めてくださったことを信仰で確信し、ハンナは問題からまったく解放されました。

 

やがて、ハンナは男の子を産みます。

しかしハンナはわが子サムエルをずっと手元に置いておくことはせずに、幼いうちに神殿に預けます。将来、神の役に立つ働きができるようにと、幼いときから準備教育を始めようとするわけです。

 

そのハンナが、かつて泣いて祈った神殿に幼子サムエルを連れて行き、その時慰めてくれた祭司エリの前で、幼子を示しながら、神様をほめたたえて、祈りの歌を捧げます。それがハンナの賛歌として有名になりました。以後イスラエルの女性たちはハンナを女性の鏡として敬慕し、憧れ、ハンナの賛歌を歌い継いでいきました。ハンナの継ぎに取りあげますマリヤの賛歌も、ハンナの賛歌が原型になっているそうです。ハンナは次のように歌い出します。

 

私の心は主によって誇り

私の角は主によって高く上がります。

私の口は敵に向かって大きく開きます。

私はあなたの救いの喜ぶからです。

 

これはハンナの魂のそこから噴き出したものです。ハンナが作詞し、それを自ら歌い上げたものです。ハンナという女性をよくよく見ていると、単に、子どもがいなくて、いじめられて泣きとおし、神様にすがりついて祈ったところ、神様のあわれみで子どもをいただいた、そんな通り一遍の姿は消えてしまいます。

 

神殿で家族一同がお祝いの宴会をするシーンがありますが、ハンナは泣いて食べようともしません。夫エルカナが最高の愛を示して慰めても、そんなことでは妥協しません。席を立って一人祈り続けるのです。長い時間唇を動かすだけで座り続けるハンナの様子を不思議に思った祭司エリが声をかけると、『つのる思いといらだちのため今まで祈っていたのです』とストレートに心を披瀝し、状況をしっかりと説明しています。

 

こうした状況からハンナという女性を判断しますと、ハンナは理由のはっきりしない問題、つまり、どうして自分には子どもができないのか、子どもがないためにどうしていじめられなければならないのか、また子どもがないのは神様から呪われていることなのかなどに、徹底して悩み、いい加減なところであきらめたり、妥協したりしない、そうした心の強さを持った人であったと思われます。

 

やがてサムエルを産んだとき『私がこの子を主に願ったから』と公言しています。主からいただいたことはわかっているでしょうが、私が主に願ったからと言ってそうした意味であるサムエルという名前をつけるなどとは、たいした行動力、自己表現力ではないでしょうか。自分の思いや行動に信念と確信をもっていることが窺われます。そして、それらをはっきりと言葉にしています。つまり謳っています。

 

ハンナがこれだけ強く、大胆になれたその根底には、全能なる神が自分のバックにおられる、その方の後ろ盾があるという確信から来る強さであり、ゆとりのなせるわざではないでしょうか。

 

 

Category : 謳う賢女たち

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