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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
詩篇を愛して その11 詩篇第19篇ロゴス師より拝借 詩篇第19篇 どこにでもおられる神様 天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。 昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。 話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。 だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。 私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。 わが岩、わが贖い主、主よ。 《天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる》 天も大空も神様を雄弁に語っている。それも競うように。自然は実に素直に神さまを喜び誉め讃えている。 《主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ…》 聖書もまたどのページを開いても神さまを語り、みわざを証している。 《どうか、隠れている私の罪をお赦しください。あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください》 ひとたび目を転じて自分をみれば、神さまに助けを求めずにはいられない弱さや汚れに気がつき、祈りが吹きだしてくる。 神さまは遠くにおられるお方ではない。ごく身近なところにおられる。ひとひらの風の中にも。神さまのいのちに触れてきよめられ、一瞬一瞬をすがすがしく生きたいものである。
Category : 詩篇を愛して
詩篇を愛して その10 詩篇第18篇ロゴス師より拝借 詩篇第18篇 叫び求めれば、助け出してくださる神 主のしもべダビデによる。主が、彼のすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、この歌のことばを主に歌った。 彼はこう言った 主、わが力。私は、あなたを慕います。 主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。 わが盾、わが救いの角、わがやぐら。 ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。 死の綱は私を取り巻き、滅びの川は、私を恐れさせた。 よみの綱は私を取り囲み、死のわなは私に立ち向かった。 私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。 主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。 主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。 主は、ケルブに乗って飛び、風の翼に乗って飛びかけられた。 主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕え、私を大水から引き上げられた。 主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから。 神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。 まことに、主のほかにだれが神であろうか。 私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。 この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。 彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。 あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした。 主は生きておられる。ほむべきかな。わが岩。 あがむべきかな。わが救いの神。 それゆえ、主よ。私は、国々の中であなたをほめたたえ、 あなたの御名を、ほめ歌います。 ダビデは旧約聖書中最大の英雄と言っていい。しかしその人生は波瀾万丈であった。平穏なときより危険と苦難のほうが多かったのではないか。百戦百勝の戦士であったが、どんなときもまず神の助けを求めた。危機一髪のところで救われたこともたびたびあった。ダビデはその一つ一つを思い出して神の真実を確かめ、感謝し、証している。 《主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩 わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら》 ダビデをまねて、感動と信仰を持って我が歌として告白するとき、心は燃え、勇み立つ。 《主は、天を押し曲げて降りて来られた》 経験者でなければ表現できない言い方ではないか。 《あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした》 これも実にユニークな表現ではないか。才能で作った歌ではない。神の恵みの体験がダビデを天才的詩人にしたのだと思う。
Category : 詩篇を愛して
詩篇を愛して その9 詩篇16篇 私の幸いはあなた(キリスト)の他にはありません。詩篇第16篇 神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。 私は、主に申し上げました。 「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」 地にある聖徒たちには威厳があり、私の喜びはすべて、彼らの中にあります。 ほかの神へ走った者の痛みは増し加わりましょう。 私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、その名を口に唱えません。 主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。 あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。 測り綱は、私の好む所に落ちた。 まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。 私は助言を下さった主をほめたたえる。 まことに、夜になると、私の心が私に教える。 私はいつも、私の前に主を置いた。 主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる 私の身もまた安らかに住まおう。 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。 詩篇は150篇からなる。どれも皆夜空にきらめく星々のように美しく、いとしい。しかし強いて好きな10篇を上げよと言われたら、この第16篇を外すわけにはいかない。かの有名な23篇にもまさって、愛唱せずにはいられない。 《あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません》 100%心底からそう言いたい。神への愛の告白として。そのとき、心は震えるような甘美な喜びで満たされる。これこそキリスト教信仰の目指すところ、奥義中の奥義である。 《私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない》 人生の根っこさええぐり取られるような激しい風雪の中でも、このフレーズを口ずさむと、下腹に力が入って揺るぐことがなくなる。圧倒的な主の臨在の中で平安の潮が満ち満ちてくる。 《あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります》 キリスト誕生の聖書箇所のひとつを思い出す。 『見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついにおさな子のおられる所まで進んでいき、その上にとどまった。その星を見て彼らはこの上もなく喜んだ』マタイ2章9,10節
Category : 詩篇を愛して
日曜日の朝に(ロゴス氏提供) 梅雨が明けました。いよいよ本格的な夏です。子どもたちは夏休みに入りました。子どもたちが不慮の事故や災害から守られて元気で楽しく過ごせるように、心身ともに大きく成長できるように祈ります。 今日もイエス・キリストの教会へ出かけて礼拝を捧げましょう。夏は、教会はキャンプや修養会を計画して活発に活動します。ふだん教会には関係のない人が行きやすく、またたいへん歓迎されるときです。教会はあなたを待っています。心の奥底に満たされないものを感じたら、教会へ行きましょう。 ヤコブの手紙3章8節 『神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます』 ヘブル人への手紙4章16節 『ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか』
Category : 日曜日の朝に
詩篇を愛して その8 詩篇14篇詩篇14篇 神はいないという愚か者とは? 愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。 彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない。 主は天から人の子らを見おろして、 神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。 彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。 神を信じているから自分は愚か者ではない、このことばは信仰者以外の人たちに向かって神が放たれた矢であると、高みの見物を決め込んでいるとしたら、それこそ高慢の罪を着込んだ愚か者である。 信仰者でも、神よりも自分の考えや欲心を先行させるとしたら、神を否定することになる。神の存在を求めない無神論者と同じである。神は外見や形式は問題にしない。いつも心の奥底をご覧になる。神の視線をごまかすことはできない。 神を信じていない人はむろんだが、信じている人も愚か者にまちがいない。だから、神は『善を行なう者はいない。ひとりもいない』と断言し、嘆いておられるのだ。 神の嘆きを喜びに変えるのはただ一つ、自分こそ愚か者ですと御前に進み出て、主イエス・キリストを我が心のゆりかごに迎えることではないだろうか。 きよしこの夜 星はひかり 救いの御子は まぶねの中に ねむりたもう いとやすく
Category : 詩篇を愛して
詩篇を愛して その7 詩篇第12篇詩篇第12篇 社会の悪が勢力を振るうときに 主よ。お救いください。 聖徒はあとを絶ち、誠実な人は人の子らの中から消え去りました。 人は互いにうそを話し、へつらいのくちびると、二心で話します。 主が、へつらいのくちびると傲慢の舌とを、 ことごとく断ち切ってくださいますように。 彼らはこう言うのです。「われらはこの舌で勝つことができる われらのくちびるはわれらのものだ。 だれが、われらの支配者なのか。」 主のみことばは混じりけのないことば。 土の炉で七回もためされて、純化された銀。 あなたが、主よ、彼らをお守りになります。 あなたはこの時代からとこしえまでも彼らを保たれます。 人の子の間で、卑しいことがあがめられているときには、 悪者が、至る所で横行します。 社会に起ることは、あちらを見てもこちらを見ても寒々とした思いにさせられ、時に怒り、時には深い悲しみをもたらす。しかし弱き者は憂さの捨て所がない。詩人は神のみまえに持ち出した。すると神は天の窓を開いて祈りを聞かれ励まされた。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」 なにかと心騒ぐ師走の日々だが、時に天を仰ぎ、開かれている窓から聞こえてくる神のことばを静かに聞き分けたいものである。 《主のみことばは混じりけのないことば。土の炉で七回もためされて、純化された銀》なのだから。
Category : 詩篇を愛して
日曜日の朝に日曜日の朝に 梅雨明け宣言は未だ聞きませんが、昨日今日と真夏日です。熱中症の被害が続出、各地ですさまじい雷雨が暴れています。海に山に出かける方々の安全を祈ります。 今日もキリスト教会は礼拝を休むことはありません。お掃除し、お花を飾った礼拝堂で、準備されたイエス・キリストの福音が語られます。聖書に記された神様のおことばに心の耳を傾けませんか。 コリント人への手紙第二・4章18節 『私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです』
Category : 日曜日の朝に
詩篇を愛して その6 詩篇第9篇詩篇第9篇 余すことなく語り告げる 私は心を尽くして主に感謝します。 あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。 私は、あなたを喜び、誇ります。 いと高き方よ。あなたの御名をほめ歌います。 主はしいたげられた者のとりで、苦しみのときのとりで。 御名を知る者はあなたに拠り頼みます。 主よ。あなたはあなたを尋ね求める者をお見捨てになりませんでした。 主にほめ歌を歌え、シオンに住まうその方に。 国々の民にみわざを告げ知らせよ。 貧しい者は決して忘れられない。 悩む者の望みは、いつまでもなくならない。 主よ。立ち上がってください。人間が勝ち誇らないために。 国々が御前で、さばかれるために。 主よ。彼らに恐れを起こさせてください。 おのれが、ただ、人間にすぎないことを、国々に思い知らせてください. 詩人は過去に、神様がどんなに力強いお方であり、自分のような弱く貧しい者を決して忘れず助けてくださったか、麗しい体験があるのだろう。その《奇しいわざを余すことなく》語り告げずにいられないのだ。黙ってはいられないのだ。 福音を知って、その恵みに与ると、伝えずにはいられない。あの人に、この友に、あの孤独な人に、失意にいる人に、理不尽な扱いをされている人に。 詩人のように私もいただいた《奇しいわざを余すことなく語り告げ》たいものだ。
Category : 詩篇を愛して
日曜日の朝に日曜日の朝に 今年も後半に入りました。昨日は各地で猛暑日を記録しました。梅雨明けも間近でしょう。 7月第一の主の日、イエス・キリストの教会では今朝も礼拝が行なわれます。神様の祝福を求めて、教会のお出かけになりませんか。教会では、イエス・キリストの十字架の犠牲による愛の赦しが語られます。それは唯一の真理です。 ヨハネの福音書3章16節 『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである』
Category : 日曜日の朝に
詩篇を愛して その5 詩篇第8篇詩篇第8篇 天は神の指のわざ 私たちの主、主よ。 あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。 あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。 人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。 あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、 これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。 あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、 万物を彼の足の下に置かれました。 すべて、羊も牛も、また、野の獣も、 空の鳥、海の魚、海路を通うものも。 私たちの主、主よ。 美しい自然の風物、壮大な天地宇宙を眺めると、その美に見とれ、あるいは荘厳な思いにさせられる。また、天災の前になすすべを知らない私たちを見ると、人間の弱さ、小ささに身がすくんでしまうことがある。 しかし、詩人のように《あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに》、《人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは》と、親しい二人称で呼びかけながら、森羅万象を眺め、率直に自己の実情を認めるとき、心には無限の豊かさと感謝の思いがが満ちてくる。 あんなに大きなものを造られた神が、宇宙のゴミにも匹敵しない私を、あなたを、こころに留め、顧みてくださるのだ。それだけではなく、罪を赦し、新しく生まれさせてくださり、永遠のいのちを与えてくださるとは! 詩人のように《あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう》と誉め讃えずにはいられない。
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