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みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2023.07.12 Wednesday -

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  • 2008.06.30 Monday - 21:45

詩篇を愛して その3 詩篇第5篇

詩篇第5篇 朝一番に祈ろう

私の言うことを耳に入れてください。主よ。私のうめきを聞き取ってください。
私の叫びの声を心に留めてください。私の王、私の神。私はあなたに祈っています。
主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。
朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。

あなたは悪を喜ぶ神ではなく、わざわいは、あなたとともに住まないからです。
主よ。私を待ち伏せている者がおりますから、あなたの義によって私を導いてください。私の前に、あなたの道をまっすぐにしてください。
彼らの口には真実がなく、その心には破滅があるのです。
彼らののどは、開いた墓で、彼らはその舌でへつらいを言うのです。

あなたに身を避ける者がみな喜び、とこしえまでも喜び歌いますように。
あなたが彼らをかばってくださり、御名を愛する者たちがあなたを誇りますように。
主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。

《主よ。朝明けに、私の声を聞いてください》とは夜の明けるのを待つようにして、早朝に祈る詩人の姿が浮かび上がってくる。
たいていのクリスチャンの一日は、祈ることから始まる。聖書を開くことから始める。
No Bible No Breakfast である。
そして、一週間のスタートは教会へ行って神様を礼拝することから始まる。
Category : 詩篇を愛して

  • 2008.06.29 Sunday - 07:48

日曜日の朝に

黄色のバラロゴス


日曜日の朝に

6月もあっという間に過ぎ去り、最後の日曜日を迎えました。数日中休みしていた梅雨が再び活発化するようです。毎年のことながら、この時期は越えがたいものがあります。心身のバランスを崩しやすいときでもあります。損点に影響されて、心も鬱々しがちです。

人混みに出ていくのは疲れる。かといって一人でいるのは辛い。
自分自身をもてあますことがあります。そんな時は思い切って教会へ出かけてみませんか。

ヘブル人への手紙13章6節
『「わたしは(イエス・キリストのこと)は決してあなたを離れず、あなたを捨てない」
そこで私たちは確信に満ちてこう言います。「主は(イエス・キリスト)は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう」』
Category : 日曜日の朝に

  • 2008.06.28 Saturday - 21:19

日曜日の朝に

6月もあっという間に過ぎ去り、最後の日曜日を迎えました。数日中休みしていた梅雨が再び活発化するようです。毎年のことながら、この時期は越えがたいものがあります。心身のバランスを崩しやすいときでもあります。損点に影響されて、心も鬱々しがちです。

人混みに出ていくのは疲れる。かといって一人でいるのは辛い。
自分自身をもてあますことがあります。そんな時は思い切って教会へ出かけてみませんか。

ヘブル人への手紙13章6節
『「わたしは(イエス・キリストのこと)は決してあなたを離れず、あなたを捨てない」
そこで私たちは確信に満ちてこう言います。「主は(イエス・キリスト)は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう」』
Category : 日曜日の朝に

  • 2008.06.27 Friday - 22:16

詩篇を愛して 詩篇第4篇

詩篇第4篇 ゆとりと安眠をくださる神様

私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。
あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。
私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。

どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。
あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。
平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。
主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。

《あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました》
《平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます》
詩人の境遇と信仰を考えてみる。彼には耐えがたい苦しみの時があって、安眠を妨げられたのだ。しかし、主に近づいて祈りゆだねたとき、ゆとりと安眠が与えられた。

眠りたいのに眠れない苦痛を経験しない人はいないであろう。懊悩苦悩で寝食もできないとはよく聞くことである。こうじて不眠症というりっぱな病になり、安眠剤が手放せないでいる人は少なくない。

床に入ってすぐに眠りに入ることができたらどんなに幸せだろうと言う人がいた。
柔らかなベッドはお金で買えるが、安眠は買えないとも聞く。

ところが、詩人は神への信頼のゆえに、苦しみの最中に心にゆとりが与えられ、安眠ができるというのである。これこそ信仰の賜物であり、神の恵みであろう。
今も確かに、神を信頼すると無代価でゆとりと安眠が与えられる。それを多少とも体験し、また信じている。
Category : -

  • 2008.06.26 Thursday - 23:00

詩篇を愛して 詩篇第1篇

カンパニュラロゴス

詩篇は旧新約聖書中で最も愛読されている書といえるでしょう。多くの人が、人生のただならぬ経験のさ中でこの書を開き、魂を揺さぶられるみことばに出会い、愛唱する箇所を持っていることでしょう。一年に一度ならず繙く書です。ここに改めて読み返してみます。使用する聖書は主に新改訳聖書第3版です。


詩篇第1篇 時が来ると実がなり…

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。
まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。

わたしの好きな箇所は《その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ》である。その日々でありたいと願う。そして《時が来ると実がなり…》の《実》について時々考える。神が私という樹にどんな実をならせて下さるのだろう。
Category : 詩篇を愛して

  • 2008.06.22 Sunday - 08:41

日曜日の朝に

バラ講壇

日曜日の朝に

梅雨前線が活発化し九州では豪雨による被害が出ているとか。さきごろの宮城・岩手内陸地震被災地にも雨は危険です。困難の中にある方々のために、陰がながら祈ります。

東京は今、雨足が切れました。しかし予報では午後から再び大雨になるようです。
日曜日の朝、今朝も思い立って、キリストの教会へ行きませんか。

創世記1章1節
『初めに、神が天と地を創造した』

世界に存在するすべてのものは、創造神である神様がお造りになったと聖書は断言し、
そこに世界の始まりがあるといいます。もちろん人間も神の作品です。

信仰は、自分の人生が神様によって創造されたと自覚することから始まります。
私の創世記を体験しようではありませんか。神様は人生の終り(死)にも責任をもってくださいます。
Category : 日曜日の朝に

  • 2008.06.18 Wednesday - 22:07

聖書そぞろ歩き  聖書の主人公は?


ある古典にはこう書いてあります。
『聖書は、神が、人間に対するご自身のみこころを文書にして啓示したものである。その中心主題は、イエス・キリストによる救いである』
旧約聖書にはイエス・キリストという名前は出てきませんが、旧約新約両聖書を通してイエス・キリストこそが正真正銘の主人公です。

こうも記されています。
『他の書物はすぐにも時代遅れになるが、聖書という書物はどんな世紀にも時代遅れになることはない。たいていの書物は読者の年齢に合わせて書かれるが、この書物は年取った人にも若い人にも同じように愛読されている。たいていの書物は、限られた地域の人にしか読まれない。しかしこの本はそうではない。世界中の人々に愛読されている』

『学問に王道なし、である。そして聖書を知ることにも王道はない。意志を持って聖書に注目しなくてはならない。今日聖書を読むことに注目しないのは、意志がないからである』

『キャンベル・モルガンはこう言った。「聖書は講壇で朗読するときの速度で読めば創世記1章から黙示録22章まで78時間しかかかりません」。事実、ある人は80時間内で読み終えた。我々は皆忙しい。聖書を読む時間は奪い取らなくてはならないのだ』
(ミアーズ 旧約聖書の概説より)

この不思議な書物である聖書そのものを、聖書についてではなく、聖書そのものをお読みになることを強くお勧めします。それと同時に、それ以上に、イエス・キリストの生きた身体である教会へ行くことをお勧めします。
Category : -

  • 2008.06.14 Saturday - 22:34

聖書そぞろ歩き

ばらロゴス

聖書ウオーキングを終え、聖書そぞろ歩きへ

聖書ウオーキングとネーミングして、旧新約聖書66巻、創世記から黙示録までをざっと繰ってみました。このシリーズは一応終了ですが、これからも《聖書の緑風》をお届けしたいと思います。聖書については海辺の砂のように、天の星のように、無数の書物が書かれています。いくら読んでも読切れません。

クリスチャンになって50年以上になりますが、机上には聖書に関する書物がないことはありません。1冊読み終えればじきに新しい一冊を求めます。もちろん聖書そのものを読まない日はありません。聖書があってこその、聖書を読んでこその、聖書関係書です。

これからは、それらの書物からの引用や私感を記していきたいと思います。

ある注解書の序文には次のような一文がありました。17世紀イングランドで活躍した牧師、神学者のリチャード・バクスターのことばです。
『性急な者よ、静かに座してヨブと交われ。一徹な者よ、モーセとペテロの記事を。軟弱な者よ、エリヤを見よ。心に歌のない者よ、ダビデに聞け。政治家よ、ダニエル書を読め。失意と暗黒の中にある者よ、イザヤ書に親しめ。心の冷ややかな者よ、愛の使徒ヨハネに近付け。信仰の薄い者よ、パウロに目を注げ。安逸を貪る者よ、ヤコブ書を忘れるな。将来に望みのない者よ、黙示録を読んでビジョンを!』(実用聖書注解 いのちのことば社)

バクスターは旧約聖書、新約聖書を自由自在に使って、的確なアドバイスをしています。旧約と新約は分けて考えるものではなく、両方で1冊です。66巻を収める神の図書館であるとも言われます。
『新約は旧約の中にあり、旧約は新約の中にある。
 新約は旧約の中に隠れ、旧約は新約の中に現れている』
(ミアーズ 旧約聖書の概説より)
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  • 2008.06.06 Friday - 12:45

聖書ウオーキング ヨハネの黙示録 終回

ヨハネの黙示録 その3

天国とはどんなところであろうか。みころばをみるのみである。

21章3,4節
『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである』

23節
『都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである』

人はどうあっても必ず死ぬ。どんなに健康でも死を免れることはできない。ことあるごとに死後の世界の有無について論じ続けている。死後が心配だからこそではないか。神さまは人に、永遠を思う思いを与えられた。

天国の存在を信じることができて幸いだと思う。そこに入れる恵みに大いに喜ぶ。単なる現実逃避ではない。御国ほど慕わしいところはない。最大の理由は、愛する主イエス・キリストに直にお会いできるからである。主とともに永遠に生活できるからである。

主は言われる。22章12節〜14節
『見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。… 自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである』

聖書には希望の風が軽やかに、涼やかに、絶え間なく、そよいでいる。神の用意してくださった新天新地、天国では、もう希望の風はいらない。希望の風の実体であるイエス・キリストがおられるのだから。

この地上で生かされる限り、希望の風なるお方を慕い求め、そのそよぎを喜び楽しみ、天に帰る日を最大の望みとしたいものである。

ここまでの参考図書
『新改訳聖書第3版』 いのちのことば社
『文語訳聖書』 日本聖書協会
 『チェーン式聖書』 いのちのことば社 
 『実用聖書註解』 いのちのことば社
 


 以上で旧新約聖書66巻の聖書ウオーキングを終了します。創世記から黙示録まで、長い道のりをおつき合いくださりありがとうございました。

聖書の魅力は、生涯読み続け、研究し続けてもゴールはないでしょう。ですから、また、違った視点で探り続けていきたいと思います。続いて『聖書の緑風』をお訪ねください。感謝を込めて。

  • 2008.06.04 Wednesday - 14:09

聖書ウオーキング 黙示録その2

ヨハネの黙示録 その2

ヨハネは迫害されて地中海の孤島に流されたが、決して失望落胆したわけではなかった。同じように迫害されているアジアの諸教会を励まし、堅く信仰に立つようにと、この手紙を送ったからである。

ヨハネの信仰はますます強まり、イエス・キリストへの愛はいっそう高まったのではないだろうか。1章から3章までは7つの教会宛てであるが、私たちの教会へ、いや、私個人に宛てて書かれたように鋭く心に食い込んでくる。説教にもよく引用される有名なみことばがたくさんある。

1章8節
『神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである」

2章4,5節
『しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい』

2章10節
『死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう』

3章15、16節
『あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう』

3章20節
『見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする』

ヨハネの黙示録は難しいのだけれど、みことばの一つ一つは旬の食材のように、みずみずしくておいしい。もりもり食べると、健康増進、体力増強まちがいなしである。

4章から20章までは、天上のことやサタンとの戦い、最後の審判など未来のことなので、十分には理解できないが信じて読み進むことにしている。神さまの完全勝利にはハレルヤと賛美の声をあげ、最後の審判では粛然として襟を正される。

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