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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
聖書ウオーキング エレミヤ書&哀歌エレミヤ書(52章)&哀歌(5章)神さまの愛の涙 内容 感傷の涙ではない。外敵バビロンに滅ぼされる祖国と神の都エルサレムに対する哀悼の涙である。また、どんなに叫んでも訴えても神への反逆を止めない同胞への悲憤である。 エレミヤの涙はすなわち神さまの涙である。神さまはご自分の心をエレミヤに託した。エレミヤは神の口となって、涙を流しながら神の愛と警告を民に語り続けた。 著者 エレミヤの書記バルク 哀歌は不明 私感 神さまの愛は親が子を思う情愛に似ています。非常に生々しく、熱くはげしいものです。燃えたぎる釜のような愛です。親の手を振り切って放蕩に走る我が子への涙の絶叫のようです。 特に31章は神さまの切々たる神の愛の絶唱です。それがわかったとき感激の涙が堰を切ってあふれ流れます。 『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに誠実を尽くし続けた』 『わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない』
Category : 聖書ウオーキング
聖書ウオーキング イザヤ書イザヤ書(66六章) 神の愛の大きさよ! 内容 旧約聖書23番目のイザヤ書から最後39番目マラキ書までは預言書と分類される。 時代はBC9世紀からBC4世紀の500年間。イスラエルの暗黒時代であった。この間、聖書には16人の預言者の書が収められている。そのトップが預言者イザヤの書である。 預言者は時代の警鐘であるから、激しく厳しい物言いをした。しかしそこには神の愛が燃えさかっていた。預言者は神の愛の代弁者であった。 この書には700年後に現れるイエス・キリストが予言されている。 7章14節 『それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける』 9章6節 『ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる』 この2つはマリヤがイエス・キリストを生むことを指している。 まただれもが慰められ励まされ、生きる力を与えられた有名な言葉がある。 41章10節 『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る』 43章1節〜4節 『あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。 わたしが、あなたの神、主、…、あなたの救い主であるからだ。…。 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している』 私感 聖書はなんと神の愛で満ち満ちていることでしょう。読むたびに涙があふれ、熱い思いが体中に広がっていきます。その愛は再生の力です。今日を生きぬき、明日への確かな希望を生みだしてくれます。
Category : 聖書ウオーキング
聖書ウオーキング 雅歌雅歌 神様からのラブレター 内容 歌の中の歌と呼ばれる。神の愛、人間同志の愛のすばらしさが歌われている。 著者 ソロモン 私感 そもそも聖書は神さまからのラブレターです。命がけの愛の告白です。この書は神の実相を物語ってくれます。神の愛ががどんなに血肉の通った、細やかな、切ない、息苦しいほどの情愛に満ちたものであるかが切々と伝わってきます。この書の一言一言からイエス・キリストの十字架の愛が見えてきます。 2章10節〜13節 『わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。いちじくの木は実をならせ、ぶどうの木は、花をつけてかおりを放つ。 わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。 岩の裂け目、がけの隠れ場にいる私の鳩よ。私に、顔を見せておくれ。あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい』
Category : 聖書ウオーキング
聖書ウオーキング 伝道者の書伝道者の書(12章)究極の真理に到達 内容 多くの人生経験をした人の悟りの言葉集 著者 ソロモン 私感 聖書66巻中21番目に位置する本書は、一見すると、聖書とは思えない内容です。哲学エッセイとでも言えましょうか。著者は箴言と同じソロモン王です。王朝最盛期に即位したので、富も栄誉も権力もほしいままにし、その上、知恵と知識にも富み、比類なき賢者でもありました。その彼が多くの人生経験からついに発見した究極の真理が披瀝されています。 書き始めは『空の空、すべては空』です。また『知恵が多くなれば悩みも多くなり、知識を増す者は悲しみを増す』とあります。この書の言葉は広く世界に行き渡り、多くの人の心に留まり、引用されてきました。 有名な3章から抜粋します。 『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。 黙っているのに時があり、話をするのに時がある。 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。 12章1節 『あなたの若い日にあなたの創造主(神)を覚えよ。わざわいの碑が来ないうちに、また「なんの喜びもない」と言う年月が近づくまえに』 12章13節 『神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ、悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ』 ソロモンの到達した真理は『神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである』でした。箴言の冒頭は『主を恐れることは知識の初めである』です。彼は、神様を考えに入れない人生は空しいと言っているのです。神は初めであり、終わりであると言うことです。 究極の真理を我がものとして、限りある人生を生き抜きたいものです。
Category : 聖書ウオーキング
日曜の朝に今日の日曜日は、キリスト教会にとってクリスマスと並ぶ特別な日です。イースターまたは復活祭と言って、イエス・キリストのよみがえりを喜び祝う記念日です。 クリスマスのシンボルはクリスマスツリーですが、イースターには、エッグ(ゆで卵)が登場します。卵をカラフルに染めたり、絵や文字を書いたり、シールをかぶせたりします。こどもたちは卵探しのゲームに興じます。もちろん全員に配られます。 あなたも礼拝に参加したらイースターエッグをいただけますよ。なによりも、死を打ち破って復活したイエス・キリストの恵みをいただけます。ぜひお近くの教会におでかけください。 「イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」ヨハネ11:25〜26
Category : 日曜日の朝に
聖書ウオーキング 箴言箴言(31章)良薬は心に苦し、知者の金言集 内容 ソロモンの知恵の言葉 著者 イスラエル王国三代目の王ソロモン 私感 ソロモンは父親だけでなく神さまにも愛され、父の位を継いで王となりました。世にも幸運な人です。富も名声もほしいままにしたのです。そのうえ神さまは彼にたぐいまれな知恵を与えられました。その彼が、豊富な人生経験と知恵による悟りから、蜜のように練り上げたのがこの箴言です。ただし甘くはないのです。どこを取って読んでも心打たれ、心にしみいるのですが、時に苦く、辛いのです。が、苦さと辛さが心を健康にしてくれます。食物のように毎日少しづつ摂取するといいのでしょう。 箴言は解説する書ではなく、読んでそのまま受け入れればいいのでしょう。詩篇のように。 読むたびに傍線を引きたくなる句を紹介します。 1章7節 『主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ』 3章4節〜6節 『神と人との前に好意を聡明を得よ、心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。 あなたの行くところどこにおいても主を認めよ。そうすれば主はあなたをまっすぐにされる』 15章17節 『野菜を食べて愛し合うのは肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる』 16章18節 『高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ』 16章24節 『親切な言葉は蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする』 17章1節 『一切れのかわいたパンがあって平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる』 25章15節 『忍耐強く説けば、主領も納得する。柔らかな舌は骨を砕く』
Category : 聖書ウオーキング
聖書ウオーキング 詩篇詩篇(150篇) 内容 神さまへのさんびと祈り 著者 ダビデ他 私感 詩篇は聖書のリビングルーム 詩篇は聖書の真珠と言われます。それほどに高貴な光を放つ巻です。その品位と格調を落すつもりはありませんがむしろ聖書のリビングルームと言いたいのです。気負わず、ふだん着のままで出入りできるような親しみがあるからです。 聖書にはちょっと緊張を要する威厳に満ちた巻もあれば、祖先の系図や名前が延々と続く戸籍台帳のような巻もあります。ドラマチックで一篇の小説とまがうほどの巻もあります。 詩篇はいつでもドアに手をかけて飛び込みたい部屋です。招きの声が聞こえるようです。時々むしょうに読みたくなります。ひどく失望落胆したとき、希望の風が感じられないとき、傷口がひりひりと痛むときは特別に慕わしい書です。 詩篇は論ずるものではないと思います。詩人の魂の発露である感性と信仰スピリッから生まれたのですからただ読めばいい、そのまま祈ればよい、そのまま歌えばよい。そのままうなずき、そのまま喜べばいいのです。 朝、読むのにふさわしいし、昼、繁忙の合間に読めたら落ちつくでしょう。就寝の床で心ゆくまで読むと、すぐそばに神さまのおられるのがわかります。お気に入りの何篇かを心のポケットに忍ばせておくのは楽しく豊かです。 第一篇全部を掲げます。 『幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる』 夜に読みたい詩篇 主を恵み深さを味わう 夜の闇と静寂は、不安と孤独感を募らせる過酷な時と感じる人がいるかもしれません。しかし主イエス・キリストと深く結びついている魂は別のとらえ方をします。詩篇の一篇を味わいながら、神さまを思い、こうべを垂れていると、ひたひたと潮が満ちてくるように、平安と喜びに包まれます。 詩篇34篇 『私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。 私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。 私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。 私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。 この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は』 朝に読みたい詩篇 神の愛の中にいる証拠 暖かい朝でも冷たい朝でも、きちんと目が覚めて、自分の新しい一日があるのは、奇跡中の奇跡ではないでしょうか。今、病床に、不和の中に、誤解の中に、孤独な暮らしにいるかもしれませんが、今日のいのちがあるのは、いのちを造られた神さまの愛の中にいる証拠ではないでしょうか。生かされている貴さを噛みしめたいものです。 詩篇19篇 『天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。 昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。 話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。 かし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた』
Category : 聖書ウオーキング
聖書ウオーキング ヨブ記ヨブ記(42章) 人生の苦しみを真に解決するには 内容 ヨブはその地方きっての富豪であった。『潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた』ふたりといない紳士であった。何よりも神さまご自慢の信仰者だった。 その彼が一夜にして人災、天災によって7人の息子と3人の娘を同時に失ってしまう。さらに彼自身が足の裏から頭の頂きまで悪性の腫物に冒され、灰の中に座って土器のかけらで我が身をかく始末。妻には悪態をつかれ、積年の親友たちからは因果応報だと裁かれる。ヨブは心身共に瀕死の淵に立たされ、初めて不可解な人生の深淵に引きずり込まれていく。 なぜ正しい者が苦しまねばならないのか。神はどうして味方してくださらないのか。黙っておられるのか。ヨブは親友たちと論戦するだけでなく、神さまにも挑戦する。 著者 不明 有名な箇所 ヨブ記1章21節 『私は裸で母の胎から出て来た。また、裸でかしこに帰ろう。主は与え、主はとられる。主の御名はほむべきかな』 私感 ヨブがいてよかった 絞りに絞って、聖書には、いてくれてよかったと思える人がふたりいます。一人はイエス・キリスト(イエス・キリストは神であるから、正確にはヨブと同列には置けないが)、そして、もう一人はヨブです。理由は、ふたりとも私たちとは桁違いの辛酸を嘗め尽くしたからです。 イエス・キリストの十字架のお苦しみを思ったら、私たちの苦しみなんぞものの数ではないとよく思います。また、ヨブの身に降りかかった厄災の過酷さの前には、自分の問題など比較のレベルではないと思うのです。そうした意味でもこの二人は、どん底を照らす光であり、心身の傷を癒す妙薬であり、絶望との戦いになくてならぬ武器です。また、忍耐と励ましと希望を与えてくれる不思議な最高のカウンセラーなのです。 ヨブの言い分はよくわかります。悲嘆にも失望にも憤りにも共感できます。彼に親近感が涌いてくのです。ヨブが苦しんでくれたおかげで、どれほどの人が孤独な戦いからから救われたことでしょう。ヨブがいてくれてよかったのです。ヨブは苦しむ人の代表になってくれました。 苦悩のヨブが身をよじって絶叫することばが耳底にこびりついています。 『ああ、今、できれば、私のことばが書き留められればよいのに。ああ、書き物に刻まれればよいのに。鉄の筆と鉛とによって岩に刻みつけられたい』 誰にも理解されない孤独な戦いを、書き刻んでおきたいというのです。ここに、文学の原点があると思います。。 ヨブの懊悩はさらに深まっていきます。闇の極みまでいったと思われるその時、ヨブは仲保者また贖い主となってくれるお方がいることを確信し、その存在を信じるようになります。 『私は知っている。私を購う方は生きておられ、後の日にちりの上に立たれることを』 これは救い主イエス・キリストを暗示しているのです。ヨブはだれに伝道されたわけではないのに、苦しみの中から福音の光をみつけました。イエス・キリストが誕生するはるか昔に、ヨブは自力でこの真理に到達しました。(19章25節) 突然、死の闇を破って、沈黙していた神さまが語り出しました。神さまの偉大な顕現の前で、ヨブは一瞬にしてすべてを悟ります。神さまがわかったのです。神さまを見たのです。すべての問題解決の鍵がここにありました。 『わたしはあなたのうわさを耳で聞いていました。 しかし、今、この目であなたを見ました。 それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています』(42章6節)
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聖書ウオーキング エステル記エステル記(10章) ペルシャ帝国の王妃になったユダヤ人娘の民族救済物語 内容 本書は旧約聖書歴史部分の最後の書である。しかし年代順なら前記のエズラ、ネヘミヤの方が後になる。ペルシャ帝国内には、初代の王クロスの帰還命令が出てから も、そのまま残留しているユダヤ人が大勢いたようである。第一回目の帰還がBC536年、エステルが王妃になったのがBC478年である。 残留組のユダヤ人孤児エステルは養父モルデカイの勧めで時の王アハシュエロスの王妃募集に応募する。やがて王の寵愛を受けて王妃になる。そのころ、ユダヤ人嫌いの悪大臣ハマンがユダ人絶滅の残虐な陰謀を企てる。エステルは王妃の座を用いて王に直訴し、逆にハマンを滅ぼし、民族の危機を救う物語である。 著者 不明。一説にBC400年頃ペルシャに住んでいたユダヤ人が書いたとある。 有名な箇所 4章14節〜16節 『あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない』 エステルはモルデカイに返事を送って言った。 行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます』 私感 聖書のシンデレラ、エステル 使命とは命を使うこと この書の芯になるところは、養父モルデカイが、悪大臣ハマンのユダヤ人虐殺の陰謀を知り、王妃に上がっているエステルに、救済のために立ち上がるように促すところと、これに応えてエステルが三日三晩の断食の末、禁令を破って直訴を決意するところです。帝国の法令では、妻といえども王の許可なしには王に近づくことができませんでした。王の意に叶わない場合は即刻死が待っています。エステルは、死を覚悟して謁見の間に赴くのです。 モルデカイは『あなたがこの王国に来たのは、…この時のためである…』とエステルに迫ります。エステルはわけもなくシンデレラになったのではなく、使命があったのです。モルデカイの進言はエステルだけのものではありません。信仰の心で捕えてみると、神さまが一人ひとりに語りかけ、期待し、行動せよと背中を押しておられるのです。それは、エステルのような特別な立場や地位にいる人だけではなく、富んでいようと貧にいようと、健康だろうと病に伏していようと、あらゆる人に適用されるのです。 エステルはモルデカイに迫られて自分の使命に気がつきます。自己存在の理由がわかったと言っていいでしょう。王妃の座が同胞救済のためであったとわかったとき、エステルは強くなりました。 『私は、死ななければならないのでしたら、死にます』と公言し、死を覚悟で、王のもとに向かいます。拒否されればその場で命はありません。しかし歴史の神は王に働いたのです。許可のしるし金の杓がエステルのほうにすっと差し伸べられたのでした。第一関門突破です! 自分の生き死にの時と場所を的確に察知して、神さまからいただいた志に堅く立ち、使命を果たしていきたいものです。 ガラテヤ2章20節 『私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです』
Category : 聖書ウオーキング
日曜の朝に教会は今日も一日門を広く開いて、訪れる人を待っています。人生の諸問題の真の解決はイエス・キリストにあります。さあ、立って、教会へ急ぎましょう。 『神は我らの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け』詩篇46篇
Category : 日曜日の朝に
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