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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
聖書ウオーキング 申命記まだオープンしたばかりですが、日々開いてくださりありがとうございます。神様に祈りつつ心を込めて綴っていきます。 申命記(34章)律法の再確認 内容 約束の地カナン入国を直前にして、ヨルダン川の手前モアブの草原で、モーセが民に語った決別の説教が主なもの。民は出エジプト以来40年を経ているので、紅海での主の奇跡や シナイ山での十戒ほか律法の授受を知らない新しい世代であった。モーセはもう一度神の律法を教える必要があった。 著者 モーセと言われる。創世記から本書までをモーセ五書とも呼ぶ。 有名な箇所 4章40節、8章2節、10章12、13節 『きょう、私が命じておいた主のおきてと命令とを守りなさい。あなたも、あなたの後の子孫も、しあわせになり、あなたの神、主が永久にあなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生き続けるためである』 『あなたの神、主がこの40年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない』 『イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求められる事はなんであるか。ただこれだけである。すなわちあなたの神、主を恐れ、そのすべての道に歩んで、彼を愛し、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主に仕え、また、わたしがきょうあなたに命じる主の命令と定めとを守って、さいわいを得ることである』 マタイによる福音書6章33節 『神の国とその義とをまず第一に求めなさい』 私感 時には立ち止まって 毎日、毎日、馬車馬のように走らねばならないのが、私たちの現実。それが義務的であろうと、自分の理想に向かう道であろうと、突進前進しているのが現実です。座するよりも、立って、歩いて、走ることの方が多いし、行動していることで満足感を覚え足りします。。 しかし、時には立ち止まり、時には座することが必要ではないでしょうか。 静思して、過去を思い出し、現在を確認し、将来を展望して、新しい希望を見出し、心身をリフレッシュして、立ち上がるのです。キリスト者は神の前に座し、神の愛と救いを再確認し、神とともに立ち上がり、ともに歩き出すのです。イエス・キリストは最高の道連れです。
Category : 聖書ウオーキング
聖書ウオーキング 民数記民数記(36章)神の民の奉仕 内容 シナイ山で十戒を中心とする律法を授けられたイスラエルの民が、モアブの草原に着くまでの荒野の旅の様子が記されている。民はカデシュで大失敗をする。約束の地カナンの情報を前にして、不安が先に立ち、不信仰を起こして神に反逆し、その結果、40年間も荒野をさ迷うことになった。 40年後、すでに120歳になったモーセがカナンを目前にして民に向かって再び律法を示し、異教の地に入っても、神の民として生きるように訴える。ここでモーセは死を迎える。後継者、ニューリーダーとしてヌンの子ヨシュアが任命される。 著者 モーセと言われる。 有名な箇所 13章27節、30節、14章1節、4節、8節、9節 『彼らはモーセに告げて言った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きまし た。そこはまことに乳と蜜が流れています。(肥沃で豊かな土地)」 『そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って 行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから」』 『私たちはあの民のところへは上れない。あの民は私たちより強いから』 『私たちはエジプト(もと居たところ)で死んでいたらよかったのに』 『さあ、ひとりのかしらを立てて(別のリーダー)エジプトに帰ろう』 『私たちが主の御心にかなえば、それをくださるだろう』 『その地の人々を恐れてはならない。主が私たちとともにおられるからだ』 私感 判断と決断 モーセは、目的地カナンの直前で各部族から一人ずつ選び出された12人の調査隊(斥候)を派遣しました。彼らはそれぞれ自分の目で見たこと、調べたことを詳細に報告しました。提供された情報と見解は10対2の、真二つに分れてしまいました。民の心は10人の否定的消極的意見に同調しました。神の意志と守りを信じて初心を貫こうとする積極的見解は完全に拒否されてしまったのです、 人生には必ず岐路があります。その後の明暗は選択にかかっています。 現代は手軽に情報を入手することができ、周囲にも多くのアドバイザー、カウンセラーがいます。しかし、最終的決断は自分自身がくだすのです。情報が多ければいいとはいえません。多数の意見が必ずしも正しいとは限りません。卑近な例ですが、健康法や病気の治療法一つにしても、なんと迷うことでしょう。 最適最善最高の道が鮮やかに示され、迷うことなく決断できたらどんなにいいでしょう。そんなことは不可能だと言われそうです。迷いながら悩みながらもどちらかを選択し前進していくのが人生かもしれません。しかし、確かに、完全で安全な道があるのです。じっと耳を澄ませば神の声が聞こえてくるのです。 ヨハネによる福音書14章6節 『私は道であり、真理であり、いのちなのです』 エレミヤ書33章3節 『わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう』
Category : 聖書ウオーキング
聖書ウオーキング レビ記レビ記(27章)神の民の礼拝 内容 神がモーセを通して啓示された律法が事細かに記されている。 そもそも神がイスラエルの民をエジプトから救い出したのは、彼らをこの世から聖別して神の民、礼拝の民として整え、神に仕え、この世に神をあかしするためであった。そのためには、宗教的に道徳的に社会的に多方面からの律法が必要であった。 著者 モーセと言われる 有名な箇所 19章10節、28節、38節 『あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈り取ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。またあなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない』 『あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい』 『もしあなたの国に、あなたといっしょに在留異国人がいるなら、彼をしいたげてはならない。…彼をあなた自身のように愛しなさい』 私感 隣人を愛する レビ記は法律の書のように、始めから終りまで規則が記されています。するべきこと、してはならないことが命令調で語られます。一見無味乾燥ですが、ひとつひとつをよくみると、神の愛と配慮に満ちた人生の指南書なのです。 なかでも、隣人や弱者への心遣いは、現代でも大いに模倣とすべき貴重なお手本です。 人生の旅路を行くとき、近くに助けを必要としている人々がいることに気がつきます。また、自分自身が助けてもらわなければならないときがあります。愛するとは、机上の理論ではありません。ほんとうの愛は行為です。 イエス・キリストは、自分自身を十字架につけて愛を示されました。イエス・キリストに見習って、勇気をいただき、自分にできる小さな愛を誠実に実行していきたいものです。
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聖書ウオーキング 出エジプト記出エジプト記(40章)神の民の贖い 内容 1〜19節 イスラエルの民がエジプトを脱出してシナイ山に来るまで。 20〜24章 シナイ山で与えられた十戒とその他の律法について。 25〜40章 幕屋とその備品作製の指示。 著者 モーセと言われる。 有名な箇所 12章41節 『430年が終わったとき、ちょうどその日に、主の全集団はエジプトの国を出た』 13章21節 『主は、昼は途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの中を進まれた。彼らが昼も夜も進んでいくためであった』 20章2節、3節 『わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から、連れ出した、あなたの神、主である。あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない』 私感 新しい世界へ、人生の出エジプト 人生には、生活形態や生き方を選び取らなければならないときがあります。新しいことに挑戦するべきときがあります。古きを捨てるべきときがあります。 自分にとっての『ちょうどその日』はいつでしょうか。冒険は若い人だけの特権ではありません。『430年が終わったとき』とは、長い長い歳月ではないでしょうか。長く人生を歩んできたとしても、出エジプトして冒険の旅に出る日があるのです。 賢者のことばを思い出します。 「年老いているということは、もし人がはじめるということの真の意義を忘れていなければすばらしいことである」 もし、神様を信じて出エジプトするならば、(イエス・キリストを信じる決断は、人生最大の出エジプトです)神様はその旅路を四六時中守り続けてくださいます。神様とともに冒険の旅へ出発することをお勧めします。
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聖書ウオーキング 創世記 はじめに サイトのコメントやプロフィールにも書きましたが、このブログの主旨は神(イエス・キリスト)の生きたことばである『聖書』を紹介することです。知識的なことは教会や専門機関で学んだことがベースです。時に私の信仰体験や私感も加えます。聖書学者でも教職でもありませんが、聖書とともに五十余年を生きてきた経験をよすがに、実人生のただ中に生きて働く愛と赦しの神イエス・キリストを紹介したいのです。 『みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます』ヤコブ1章21節 しばらくは聖書66巻の中を足早に歩いてみます。聖書ウオーキングとでも言いましょうか。聖書という大樹が生み出す緑陰の風を感じていただけたら幸いです。 旧約聖書について 旧約聖書とは聖書66巻のうち初めの39巻を言います。あとの27巻が新約聖書です。旧約聖書は救い主イエス・キリストの降誕以前、新約聖書は、イエス・キリスト誕生以降百年間ほどの神の働きを記しています。聖書全巻を貫く主題は神の愛と赦しによる人間の救済であり、救い主イエス・キリストの十字架と復活です。 創世記(章の数は50章)神の民の選び 内容 1章〜11章 神による天地宇宙万物の創造と一人の人アブラハムの選び。 12章〜50章 アブラハムに始まる、神が選ばれた家族血縁イサク、ヤコブ、ヨセフの物語。 著者 モーセと言われる。 有名な箇所 1章1節 『初めに、神が天と地を創造した』 17章1節 『わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ』 22章14節 『主の山には備えがある』 私感 神様が天地を造り、人間をお造りになったことから、物事には神様の明確なご計画による初めと終りがあることを知ります。人の一生もまたしかりだと思います。神様は大勢の人の中からたった一人の人アブラハムに目を留めて選び出し、彼の家族を恵み、一大民族イスラエルの民を作り上げていきます。そこには人間の側の信仰より先に、神様の無限の愛があったことがわかります。神様は今も、無数の人間のなから私一人を、あなた一人を選び出して、特別な愛の対象とし、家族、子孫にまで恵みと慈しみを注いでくださるのです。 黙示録20章13節を思い出します。 『私はアルファーであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終りである』
Category : 聖書ウオーキング
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