『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
サムエル記を愛して その28

 

 

2019年新年おめでとうございます。

いつも小さなブログ「聖書の緑風」をご愛読くださり感謝申し上げます。

できるだけスピーディーにアップしたいと存じます。

どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。

イエス・キリストの恵みが豊かにありますように

お祈り申し上げます。

 

サムエル記第一・第三一章(終章)ペリシテとの戦い サウルもヨナタンも戦死

 

 いよいよ最終章に入ります。ざっと振り返ってみますと、サムエル記第一は、サムエルの誕生にまつわる麗しいエピソードで幕を開けました。サムエルは、イスラエル民族最後の士師として、神のことばを預かる預言者、王政の前の最高位の政治的指導者でした。

 

 ハンナの祈りや少年サムエルの祈りに続いて、少年ダビデとペリシテの巨人ゴリヤテの一騎打ちがあり、国中の人々の血を沸かす戦士ダビデの活躍がありました。

 

 しかし、初代の王サウルの不信仰と愚行によって、国の空は暗雲に覆われ、英雄ダビデは命を狙われて逃亡の月日を送らねばなりませんでした。この書の後ろ三分の一はダビデの逃避行記です。たった一人の人の、たった一人の人への嫉妬とねたみによる精神の狂乱が聖書の世界を圧しています。一見、無意味に思えますが、神には深いお考えがあってのことだと思います。それは、今、聖書を開く私たちに大事なメッセージを発信しているのでしょう。聴き取り読み取る信仰と知恵が必要だと思います。

 

 さて、最終章です。ダビデがペリシテの僻地ツィケラグに留まっている間に、ついに戦闘の火ぶたは切って落とされました。

 戦況は残念ながらペリシテが優勢です。イスラエルは敗走し、ギルボア山で次々に戦死します。まず、サウルの息子たちのヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアが打たれます。さらにサウルは一斉攻撃を受け重傷の中で自ら命を絶ちます。これはサムエルの予言通りです。サウル家の勇士は全員死に果てるのです。

 

 ダビデはこの戦争には加わっていません。この章にはダビデの姿は片鱗も現れません。サウルの死についてはダビデは指一本係わっていないと強調しているようです。事実、これは後々ダビデが次期の王に就くためには極めて重大なことなのです。ダビデはサウルの死に関しては潔白であることがすべての人にあきらかにされねばなりません。神はそのように導かれたのです。荒野の流浪の中で、ダビデは洞穴に潜みつつも一貫して主張してきたとは『主に油そそがれた方に手を下すことなど、主の前に絶対できないことだ』24章6節、また『主に油そそがれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう。主は必ず彼を打たれる。その生涯の終わりに死ぬか、戦いに下って行ったときに滅ぼされるかだ』26章9、10節、です。この忍耐はだれも真似が出来ないでしょう。

 

 サムエル記にはダビデの弱さや足りなさから生ずるミスや狡猾さがいくつか見られますが、全体として光るのは主への畏怖と信頼です。主への徹底した従順です。人の心を見る神は、ダビデの砕かれた悔いた心を喜ばれたのだと思います。

 

 イスラエルの指導者を打ち取ったペリシテは、その遺体から武具をはぎ取ってアシュタロテに奉納し、遺体はベテ・シャンの城壁に曝します。イスラエル側のヤベシュ・ギレアデの人たちはかつてサウルにアモン人から救われたことを覚えていて、夜通しあるいて遺体を降ろして、町の柳の木の下に葬ります。

 一大悲劇はひとまず幕となります。それにしてもヨナタンの死には涙がこぼれます。 

                                        (つづきます)

 

 

サムエル記を愛して - -
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