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みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2017.06.29 Thursday - 10:02

サムエル記を愛して その4  

サムエル記第一・第三章 主よ。お話しください。しもべは聞いております。

 

 聖書の中には特別に記憶され、親しまれ、折に触れて引用される重宝なみことばがいくつもありますが、少年サムエルのこの祈りの一句はあまりにも有名です。教会の公の祈りの場で、必ず冒頭にこれを掲げて祈りを始める方を知っています。また、少年サムエルの祈る姿をかわいらしく描いた聖画はキリスト教の書店にはどこにも見られますし、カードや絵はがきも作られています。見ているだけで、祈りの姿勢と思いを正されます。

 

 三章の舞台はエリとサムエルに集中しています。神はエリを罪ゆえにもはやご自分の器としては用いることができず、さばきの宣告をして退けようとしておられます。代わる器は幼いサムエルなのです。神は老齢者を退けて若い人を用いるのでしょうか、神がそんな月並みな物差しをお持ちでないことは自明のことです。

 

 ある夜神は、エリのそば近くに仕えていた少年サムエルに、声を掛けます。夜遅くに人の声がすれば師エリ以外にいません。サムエルは飛ぶようにエリのところに駆けつけます。子どもではありますが、サムエルはある種の緊張感を持ち、あるいは強い霊をいただいていたのでしょう。すぐに目覚めたのです。エリは言います、『私は呼ばない。帰って、おやすみ』5節。エリは温和な祖父のようです。同じことがまたありました。さらにもう一回ありました。サムエルはそのたびに疑いもなくエリのところに行きます。ここにサムエルの純粋さが現れていると思います。三回も全く同じことするのは簡単なようでなかなかできることではありません。

 

 一方、エリは、はたと悟ったのです。サムエルを呼んでおられるのは主であることを。神は自分ではなくサムエルを呼んでおられることを。三回目でわかったのかもしれません その時のサムエルの瞳はわずかなともしびの下でも澄み輝いていたことでしょう。エリはサムエルの顔を覗き込むようにして言います。『今度呼ばれたら、「主よ、お話しください。しもべは聞いております」と申し上げなさい』9節。

 

 しばらくして『主が来られ、そばに立って「サムエル。サムエル」と呼ばれた』。サムエルは「お話ください、しもべは聞いております」と申し上げた』10節。

 この箇所こそサムエル記の真骨頂でしょう。預言者サムエルのデビュー、初舞台です。神に直接声を掛けられた者が、真正面から直接聞き、預かった言葉をそのまま直接人に伝える、これが預言者の働きなのでしょう。とはいえ、サムエルが聞いたことはあまりにも深刻で、幼いサムエルにはとうてい負いきれない重いものでした。すでに二章で、神がエリに告げたと同じ内容で、エリの家への厳しいさばきの宣告でした。サムエルは尊敬する先生エリに語るのを恐れました。預言者としてのサムエルの苦悩が始まりました。

 

 二章と三章の間にはどのくらいの時間が経過したかわかりませんが、もし、エリが、二章での神の警告を聞いて悔い改め、息子たちをしっかり諭し、息子たちも遅まきながらも神に従っていたら、神様もサムエルもこれほど心を痛めることはなかったでしょう。

 

 エリは夜の明けるのを待ちかねてサムエルにすべてを話させます。サムエルは震えながらもけなげに残らず語ったのです。それを聞いたエリは『その方は主だ』18節、と全面肯定します。エリもまた震えていたことでしょう。

 


  • 2017.11.28 Tuesday -

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