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みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2017.06.05 Monday - 21:39

サムエル記を愛して その2

【サムエル記】は第一が三一章、第二が二四章、合計五五章から成ります。

分量から見ると、「創世記」の五〇章にほぼ匹敵します。

 ざっと区分けしてみます。

 

★サムエル記第一

一章から七章 預言者サムエル

八章から一五章 預言者サムエルとサウル王・不一致と確執

一六章から三一章 サウル王とダビデ

★サムエル記第二

一章から四章 ユダの王ダビデ

五章から八章 統一王国の確立

九章から二〇章 王位継承争い

二一章から二四章 付録

 

 サムエル記の時代はごく大まかに見て、BC一〇〇〇年ごろです。日本はまだ縄文式土器の時代、かのローマ帝国でさえかたちもありませんでした。そんな大昔の出来事が、つい昨日のことのように記されている『聖書』にいまさらながらに驚きます。一冊の本として読めることに言い知れぬ感動を覚えます。

                            

 

 

サムエル記第一・一章 ハンナの懊悩と涙の祈り

 

『エフライムの山地ラマタイム・ツォフィムに……エルカナというひとりの人がいた。……エルカナにはふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ……』1節。

 国家的巨人サムエル、サウル、ダビデを中心にした壮大な【サムエル記】が、一市井のしかも珍しくもない家庭騒動からスタートするのに驚きます。そこには神のどのようなおこころが秘められ、どんな意味があるのでしょうか。この冒頭の語り出しに「むかしむかしあるところに……」を連想して興味津々、またたく間に引きこまれます。

 

 第一章を見ていきます。

 エルカナの二人の妻のうち、ペニンナには十人の子どもがいましたが、もう一人の妻ハンナには一人さえいないのです。今風に言えばハンナは不妊の女性です。当時は、不妊は神から呪われているとの迷惑な烙印を濫用した時代でしたから、当事者の痛みと嘆きはいかばかりだったでしょう。

 

 しかも十人の子を持つペニンナは、勝利者気取りでハンナに嫌がらせをします。同性をいじめるのです。ハンナにとっては傷口に塩をすり込まれるような苦痛でした。夫エルカナに『私はあなたにとって十人の息子以上の者ではないのか』8節、と慰められてもその屈辱を和らげる役には立ちませんでした。悲しいかな、エルカナはハンナの深い苦悩が理解できないのです。そこがまたハンナの嘆きを深くしたことでしょう。

 

 エルカナは毎年家族を連れてシロの神殿へ礼拝に出かけます。家長としての信仰であり、家族にとっては楽しいイベントでもあったでしょう。神に多くの捧げものをし、神のみ前で家族の祝福を求めて祈り、感謝の宴を催すのです。広い神殿内には家族ごとに輪になって、あちらでもこちらでもお弁当を広げる、ピクニックのような風景が繰り広げられたと思われます。辺りは賑やかで華やいだ雰囲気に満ちていたでしょう。ところがハンナにはなによりもそれが苦痛でした。信仰の深いハンナですから神殿に行くのは抵抗がなかったとしても、ペニンナやその子どもたちと同じ輪に入ることは、喜びの宴ではなく、針の筵に座るようでした。

 

 その年、ハンナは涙にあふれて食事が出来ず、やがて席から離れてしまいます。ハンナの苦悶は頂点に達していました。ハンナはそのうめきを神に向けたのです。夫にさえ理解してもらえない苦悩を、ハンナは神のみ前に持ち出したのです。ハンナの選んだその方法こそが、問題解決の糸口になりました。平たく言えば運命の転機になりました。もしハンナが自己憐憫の穴に落ち込み、自暴自棄になり、ペニンナに嫉妬し、夫を憎んで泣いているだけだったら、聖書に登場することもなく今に至るまで信仰者の鏡として尊敬されることもなかったでしょう。

 

 ハンナを一躍神の表舞台に引きだしたのはわずかな心の働きでした。神に向けた心と一筋の細い小さな意志でした。ハンナが立ち上がると同時に神様が立ち上がります。ここを起点として神様が鮮やかに働き出します。神様はこの時までじっとハンナを見つめ、この時を待っていたのかもしれません。『ハンナが立ち上がった。そのとき、祭司エリは、主の宮の柱のそばに座っていた』9節。神はハンナの行動の見えるところに、祭司エリを派遣したのです。ご自身の使者として遣わしたのです。エリは神の代理人といえます。

 

『ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた』10節。

『ハンナが主の前で長く祈っている間、エリはその口もとを見守っていた』12節。

 ハンナはあたりの喧騒に気付かないほど、時間の経つのも意識にないほど、ひたすら祈り続けます。ときどき嗚咽が肩を震わせ、唇はわなないていたでしょう。ハンナは「神と我」の世界に没入していました。その様子を、神の代理人エリがじっと見ていたのです。しかしエリはハンナの何を見たのでしょう。何を感じたのでしょう。流れ落ちる涙を、背中をよじる嗚咽の波を見たのでしょうか。 

 

『いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい』14節。

 エリがハンナにかけた第一声には仰天します。かりにも彼は祭司ではありませんか。一人の女性がうめきながら祈る姿を酔っていると見て疑わないのです。当時、神聖な主の宮の中ですら、酔っている人がいたのでしょうか、神の民も祭司も同様に信仰は形ばかりだったようです。二一世紀だからと言ってのんきに彼らを笑ってはいられないのかもしれませんが。それにしても、エリはイスラエルの歴史を変える夜明けの、一筋の黎明の役目を与えられたはずです。その名誉ある地点に立たされながら、ハンナの心を見抜けなかったのはお粗末千万です。しかし神はこの老祭司をご自身の器として用いられました。

 

 ハンナは、エリを祭司と信頼すればこそですが、切々と心情を打ちあけます。まるで祈りの続きのようです。エリはようやくハンナを理解します。そして、神の器になりきって祭司として役割を果たします。『安心していきなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように』17節、と適切な言葉をかけてハンナを励まし希望を与えます。さすがは祭司エリ、ここには年季の入った牧会者の的を得た働きが細々ではありますが表れています。

 

 神の前に自分を粉々に砕いて祈りを捧げ、神の代理人、祭司エリから過分な祝福を受けたハンナはそのときすでに別人になっていました。祈りのなかで変えられたのです。『それからこの女は帰って食事をした』18節、気が晴れて、食べ物がのどを通るようになったのです。

 

 このときハンナは、自分の祈りがかなえられると確信したわけではないでしょう。エリも保証したわけではありません。『願いをかなえてくださいますように』と希望の励ましを与えただけです。しかし、ハンナは積年の煩悶から解放され、まるで願いがかなったかのように『彼女の顔は、以前のようではなかった』18節、のです。頬に明るい紅が差し、瞳が輝きはじめていたのでしょう。『以前のようではなかった』のひとことはキリスト者の勲章です。他の人から『以前のようではな』い、と言われてはじめて証しが立つというものです。

 

 その後のハンナにはペニンナのいじめも意味がありません。ペニンナはいじめ甲斐のないハンナに二度と同じ矛先を向けることはなかったでしょう。まもなくハンナは神の介入によって男の子を産みました。この子こそサムエルです。

 


  • 2017.10.04 Wednesday -

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