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みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2017.04.11 Tuesday - 10:25

利根川の風 その14 十二年ぶりの帰京 墨田区本所小梅町へ  

 ★十二年ぶりの帰京 墨田区本所小梅町へ 

 

 志方の死後、吟子はなお三年瀬棚にいた。瀬棚は吟子には生まれ故郷の俵瀬につぐ、長期に住んだ土地であった。戦い激しかった、また、栄光の東京には、順天堂に入院の時から数えると二四年になるが、医者として活動したのはわずか六年に満たない。瀬棚で開業していたのは十一年に及ぶ。吟子は北海道の人になっていた。思えば、志方も吟子も世渡りの下手な人たちであった。これは否めない事実である。

 

 が、吟子はついに帰京することにした。

 吟子が渡道する時は、反対の声の渦巻く中を突っ走った。しかし、離道に際しては、瀬棚町の人たちが別れを惜しんでくれた。この町でこそ、吟子のキリストのスピリットは大きく開花したのだ。聖句の様に、吟子から愛を受けた人たちが別れを惜しみ涙した。

 

『人 其の友の為に己の命を損なう

      之より大いなる愛はなし』(ヨハネ伝一五章一三節)

 

 明治四一年十二月、吟子は五八歳になっていた。

 

 吟子は友子が用意したであろう隅田川の東岸、本所小梅町に住むようになった。かつての本郷や下谷はあえて避けたのかもしれない。吟子が初めて上京してから、また東京を不在にした十年余りの間に、明治の世は、特に東京はフルスピードで姿変わりをした。医学界の女性の活躍は目覚ましかった。明治十八年に吟子が初の公認の女医になったときはたった一人であったが、吟子の開いた門には洪水のように女性たちが押しよせた。明治三三年には、二七番目の女医、吉岡弥生が東京女医学校を開いている。三五年には十一番目の女医前田園子の声で日本女医会が設立された。女子教育も開かれていた。津田梅子が津田英語塾を、さらに翌年には日本女子大が開校した。女医界も女性教育も飛躍的に前進した。

 

 吟子は目がくらみそうであった。医学そのものは日進月歩、吟子が学んだ医術はもう過去のものであった。

――私は女浦島太郎――

 しかし吟子は過去の栄光をなつかしみ、感傷に更けり、立ち止まり座り込む人ではない。

もとより野心はない。道なき道を前へ前へと進む人である。婦人矯風会も過去の一ページ、再び訪れる気持ちはない。

 吟子は心身に老いを感じながらも、小梅町の自宅に医院を開設した。在京時代に深く係わった人たち、女医になるまでに支援してくれた多くの人たちと旧交を温めあうことができたであろうか。ある資料には、吟子の身内が近寄ってきて、小梅町の家に親しく出入りしたとある。姉友子の仲立ちによるものであろう。

 

 残念ながら俵瀬の実家は紆余曲折の内に没落して跡形もない。そのかわり、上京している者が幾人かいた。

荻野家の血筋の者たちは、一門から日本初の女医が出たことが大きな誇りであったようだ。吟子と友子とトミのおんな三人暮らしの家は結構賑やかであった。

 

 『荻野医院』であるが、吟子の手に負えない病気もあったが、今までの処方で間に合う患者も多くいた。今でいえば『かかりつけ医』、『ホームドクター』である。人々は気軽に吟子の医院を訪れ、喜んで診察を受けた。

はからずも、『信仰に生きている吟子の、自然ににじみ出るような徳性は人を引きつけずにはおかなかった』と、ある吟子研究者の証言を目にして、胸が熱くなった。

 

 ★吟子の最期

 小梅町での穏やかな五年余りが過ぎた大正二年(一九一三年)三月二三日、吟子は肋膜炎を併発して病床に臥した。さらには、姉の友子、養女トミを初めとする近親者の必死の看病のさなか、五月二三日は脳卒中を起こし、一か月の後の六月二三日、吟子は波乱の人生を終えて神の御元に旅立って行った。六二歳であった。

 『人 其の友の為に己の命を損なう

      之より大いなる愛はなし』(ヨハネ伝一五章一三節) 

  

 吟子は神の命ずるように、何にも勝って、神を愛し人を愛する人であった。

Category : 利根川の風

  • 2017.07.17 Monday -

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