calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>

profile

selected entries

categories

archives

recommend

links

search this site.

sponsored links

others

mobile

qrcode

powered

みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2016.12.13 Tuesday - 07:45

利根川の風 その7 日本の女医第一号 後期試験合格、婦人科荻野医院誕生

★後期試験合格、婦人科荻野医院誕生

 

 明治十八年三月二十日、後期試験を経て、ついに発表の日である。吟子は合格者の中に自分の名を見つけた。『荻野吟子』、『荻野吟子』、『荻野吟子』。

 吟子は見ては目を閉じ、開いては見た。消えてしまいそうで、吹き飛んでしまいそうで、何度も何度も確かめては脳裏に刻み心に収めた。とうとう女医になったのだ。患者を看られる資格が自分のものになったのだ。吟子は一度に体中の緊張が解けて行くのを感じた。ふわふわと宙に浮くようであった。二十歳で実家に出戻って以来、実に十五年近くが過ぎ、吟子は三四歳であった。

 

 ついに日本で初めての第一号の公認女医が誕生したのである。吟子がこじ開けたこの門こそ大きな意義があった。すぐ後ろには続々と志高き有能な女性たちが押し迫っていた。彼女たちは吟子の苦闘に感謝しながらこの門をくぐり、女医ならではの貴い働きに従事した。

 ――もう、だれにも妨げられずに堂々と患者が見られる。女性たちの喜ぶ顔がみたい。彼女たちを救うのだ。さあ、一刻も早く医院を開こう――

 

 吟子は感慨に更ける暇もなく早速医院開業に着手した。事は終わったのではなく始まったのである。吟子の名はあっという間に広まり、一躍有名人になった。今までの支援者に続いて、ぞくぞくと手が差し伸べられた。しかし吟子は浮かれはしなかった。なるべく人の好意に甘えず乗らず、本郷三組町のしもた屋を借りて診察のできるように改装した。『産婦人科荻野医院』の看板が掲げられると吟子は時を忘れて見つめた。体の奥深くから喜びが込み上げてくる。それは女医の免状に勝るうれしさであった。

明日、最初に医院の戸をたたく人はだれであろう。自分にとって第一号となる患者はどんな人であろう。安心して受診できるように、信頼してもらえる女医にならねばと、吟子は患者受け入れの心構えまで考えたことだろう。

 

 今でいえばマスコミに大々的に取り上げられた女医第一号のニュースを聞きつけて、物見高い江戸っ子、東京人たちはぞくぞくと荻野医院に押し寄せてきた。「産婦人科」と看板に銘打ってはあるものの内科も外科も小児科も扱ったので、患者は女性ばかりではなかった。診察時間の制限はない。患者が来ればどんな早朝でも迎え深夜まで拒まなかった。吟子は連日連夜の診察に疲労過労に陥っても、時に持病が起きても、患者を看られる喜びと使命感に燃えて、持ち前の一途さでひたむきに従事した。

 

 地名を頼りに、場所をたずねてみた。『三組坂下交叉点』あたりとのことである。

都バス錦糸町から大塚駅行きへ乗車し湯島三丁目で下車した。近くには全国的に有名な湯島天神がある。『産婦人科 荻野医院』跡とは文献にあるだけで、実際の地に何一つ記念のものはない。案内板すらない。文京区の怠慢ではないかとさえ思う。医院があったとされるところは、上野から銀座、新橋を南北に走る中央通りの一本西を並行して走る都道452号線を南に250mほど下った地点である。そこには現在があるだけである。私がカメラを上に向けて道路標識を写しているのを、ガソリンスタンドの店員さんが、一瞬視線を向けただけであった。辺りは湯島天神を抱えている土地柄なのか、飲食店や小さな宿泊場所がびっしりと重なり合うように軒を並べていて、表通りにはない独特の雰囲気が漂っていた。

 

 急に、初老の女性と中年女性の二人組に「あの、湯島天神はどこでしょう」と声を掛けられ、すぐ先の木々のこんもりした高台を指さしたが、吟子「ぎ」の字も見当たらないのは寂しかった。無表情な都道452号線を眺めながらも、涙が滲んでならなかった。

 

 ここで余話を一つ。

 世には、日本初の女医は楠本いね子との説がある。いね子はかのオランダ人医師シーボルトの娘である。母は長崎の芸妓である。父が帰国して以後、混血児として好奇の目、蔑みの目、差別扱いされながらも男性世界の中で吟子のように道なき道を血の涙を流しつつ医術を学び、明治三年、東京築地居留地の近くで産科を開業した。

当時はまた明治政府公認の開業試験制度はなかった。いね子は吟子より二八歳上である。いね子も立派な医者であったが、公認の女医第一号は荻野吟子なのだ。ついでながらいね子を主人公にした小説『ふぉん・しいふぉるとの娘』が吉村昭氏の著にあるが、史実を丹念にたどった超大作である。

 

Category : 利根川の風

  • 2017.10.04 Wednesday -

スポンサーサイト

Category : -