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みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2009.08.16 Sunday - 20:21

謳う賢女たち その7 『ファニー、ジェーン・クロスビー』―十九世紀のアメリカに生きるー

 

やがて同僚のバン・アルスタインと、この方も盲目でした、三十八歳で結婚し、子どもが生まれます。ところが、その子が死んでしまうのです。ファニーは絶望のどん底に突き落とされ、二度と歌は作れないと悲しみに沈みます。神様を疑い、盲目であることを嘆き、懊悩苦悩します。が、その試練の中で、さらに神への信仰が深まり、高められていきます。それが歌となってあふれでました。それらは讃美歌として歌われていきます。ファニーの作る讃美歌はおりから世界的に大活躍した大伝道者ムーディーとサンキーの集会で歌われ、アメリカはおろか世界中に広まって愛唱されるようになりました。

 

九十五歳で天に帰るまでのあいだ作詞を続け、その詩は八千にものぼると言われます。今私たちが使っています聖歌には二十四編も入っています。しかもフアニーは歌を作るだけでなく、信仰のあかしをして、アメリカ各地を講演してまわり、あるいは人々の悩みを聞き、相談に乗り、キリスト者として大活躍をします。

 

ファニーはたしかにふつうの人の持っていない豊かな賜物を持っていたでしょうが、それだけで歌を作ったのではありません。心にあふれる思いを自分の言葉で謳い表現しました。自分だけの新しい歌を謳いました。

 

以上、5名の女性をかなり早足で見てまいりました。五名の女性たちは三千五百年という時の大河のまにまに生きた人たちですが、共通項があります。それは謳う女性たちであったと言うことです。謳うとは、心に生まれたこと、感じたこと、考えたことを、大胆に言葉に言い表すことです。表現する人たちであったと言うことです。

 

言葉に表す、表現すると言うことは、勇気のいることです、立場や生き方や人柄や性格まで人に知られてしまいます、それに対して時には責任が伴いますし、特に評価がついて廻ります。裸の自分を見せてしまうことです。ごまかすことも、カムフラージュすることもできません。体裁も繕えません。プライドもかなぐり捨てなければなりません。そうしたリスクを負うことです。しかし彼女たちは敢えて謳いました。人の前に、神様の前に正直に生きたのです。率直に、すなおに、素朴に、しかし大胆に生きたのです。

 

私たちの国には、物言えば唇寒し秋の風、言わぬが花、沈黙は金、見ざる、聞かざる、言わざる、不言実行(言行一致がいいのでは?)などと、黙っていること、深入りしないことが美徳とされる風潮があります。

 

確かに、体勢に準じて、事なかれ主義でとおせば、風当たりも少なく、傷を受けることもなく、無事に過ごせるかも知れません。それも生き方の一つでしょう。いつもいつも自己主張していては、社会の中でも、家庭の中でも困りものになってしまいます。もちろん謳うとはそう言うことではありません。自己中心的な自己主張ではありません。周囲を破壊するような、不愉快にするような物言いのことではありません。また饒舌、おしゃべりとは違います。

 

ミリアムもデボラもハンナもマリヤもそしてファニーも共通して謳ったのは、神への賛歌でした。神様のすばらしさをそれぞれの人生から歌いました。別の言葉で言えば、あかしをしたのです。彼女たちの謳うは、あかしでした。自分の人生を通して、確信したもの、自分の手でつかんだもの、その体験、経験を、思い切ってあかした、それが謳うことでした。自己の傷も、弱さも、恥も、さらけ出して裸になっても、そうせざるを得ない内側からの欲求に突き動かされて、謳いました。それは魂の歌でした。ですから聞いた者たちは深い感動を覚え、忘れることができず、それらの歌は歌い継がれていったのでしょう。彼女たちの歌は歌い続けるひとりひとりの歌となって、つまり新しい歌となって、その人自身の歌となって、歌い継がれていきました。

 

今日の学びで発見しました女性の賢さとは、自己を謳う、表現する、クリスチャン言葉でいえばあかしすると言うことです。

賢い女性は歌が好き、と結論したいとおもいます。その歌は創作でなくてもいい、歌い継がれてきた歌でもいい、自分の歌としてうたったらそれは自分だけの新しい歌であり、謳うことです。また、愛唱の歌がおありでしょう。それを歌いましょう。

 

思い出しませんか、若いときは今よりよく歌いませんでしたか。最近は大きな声で歌わなくなったと。歌を忘れたカナリヤになっていませんか。

カナリヤはどうして歌を忘れてしまったのでしょう。カナリヤを再び歌わせるためには、銀の櫂でこぐ象牙の船に乗せ、月夜の海に浮かべればいいといっています。象牙の船、銀の櫂、月夜の海、それは私たちにとっては何に当たるのでしょう。

 

先ほどから見てまいりました五人の女性たちもある時期、歌を忘れたカナリヤであったでしょう。しかしあることから歌えるようになった。彼女たちにとっては象牙の船、銀の櫂、月夜の海があったのです。

さあ、歌い足りない、謳っていないとおもわれたら、その原因を探りましょう。原因がわかったら取り除きましょう。

 

聖書の言葉を借りますと、銀の櫂は信仰でしょうか、象牙の舟は希望でしょうか、月夜の海は神の愛でしょうか。信仰の櫂で希望号をこぎ、愛の大海へ出ていくのです。その時、高らかに歌が生まれるのです、歌えるのです。

 

歌いましょう。クリスチャンには讃美歌がありますから、すばらしい環境にいます。それはたいへん幸いなことではないでしょうか。

 

『雅歌』にある詩も忘れられません。

 

ほら、冬は過ぎ去り、

大雨も通り過ぎていった。

地に花が咲き乱れ

歌の季節がやってきた。

山場との声が私たちの国に聞こえる。

いちじくの木は実をならせ

ぶどうの木は、花をつけてかおりを放つ。

わが愛する者、美しいひとよ。

さあ、立って、でておいで。

 

イエス・キリストは神様ですが率先して詩を謳いました。それも、ここにありますように私たちへの愛の詩を謳いました。この詩を、この愛の歌を聞いて、私たちも謳わずにおれません。それが賢女たちが謳う詩です。

 

私たちもそれぞれの口で謳い、歌いましょう。

この地上に命を受け、生かされていることの幸いをまず歌いましょう。クリスチャンの方はイエス・キリストに愛され、選ばれ、救われ、神の子とされているこの特権を歌いましょう。まだ、神の愛と救いを体験していない方々がおられますか、キリストがあなたを引き寄せておられることを知り、考え、魂に響かせてください。


                         謳う賢女たち 終わり 
Category : 謳う賢女たち

  • 2009.08.14 Friday - 11:06

謳う賢女たちその6『ファニー、ジェーン・クロスビー』―十九世紀のアメリカに生きるー




ファニーは一八二〇年、今からざっと百八十年ほど前、アメリカ、ニューヨーク州の北部バトナム郡、サウス・イーストの町に生まれました。

生後六週間目に、目に腫れ物ができ、医者の指示によって家族は温湿布をしましたがその処置はよくなかったことから、失明してしまいました。今の時代でしたらおそらくこうした悲劇は防げたことでしょう。生後六週間ですから盲目で生まれてきたのと同じかも知れません。

 

十五歳の時ファニーはニューヨーク市立の盲学校に入学します。当時としては合衆国でもっとも優れた盲学校で、開校したばかりでした。ファニーは非常に優秀な生徒でした。ここで八年を過ごし、さらに十五年、母校で教鞭を執ることになります。この学校は寄宿舎制で、教師も、生徒も生活を共にする学校でした。

 

ファニーには特別の才能がありました。詩を作ることでした。ファニーの作った詩に曲が作られて、アメリカ中で愛され歌われました。ファニーの詩は多くの人の心を揺さぶりました。天分が豊かに備わっていたばかりでなく盲目であるという深い傷と悲しみが人々の情感をそそったのでしょう。また、物理的に見えない分、見えない世界を感じる感情や感性が鋭く、人々の心の奥底に沁みこんだのでしょう。たいへんもてはやされ有名になりました。でもそれは讃美歌ではありませんでした。いわゆる流行歌、日本で例えたら演歌のたぐいだったようです。

 

ファニーはけっして暗い陰鬱な人ではなかった、明るくてユーモアに富む快活な性格であり、非常に活動的でした。一方で、ファニーは、作詞家として有名になり世間から大きな称賛を浴びていたにもかかわらず、心には真の喜びや平安がありませんでした。盲学校の親友が、讃美歌を書いたらとしきりにすすめます。しかしファニーはほんとうの意味で神を信じ、神を喜ぶクリスチャンではなかったようです。ですから、讃美歌を書く思いもなく、また書けなかったのです。

 

あるとき、親友に勧められて教会の伝道集会に導かれます。しかしそこでもまだなかなかほんとうの信仰を持つことができなかったようです。

その親友がコレラにかかって死んでしまいます。ヨーロッパで大流行したコレラがアメリカにも流行りだして、ばたばたと人々が死んでいったことがあったそうです。盲学校の生徒も死んでいきました。そうした悲劇の渦中に身を置いて、ファニーの信仰は本物になっていきます。もう流行歌になるような詩は作らない、自分の作った詩が、酒場やダンスホールで歌われるのはたまらないと思うのです。しかしもって生まれた詩心はとどまるところを知らず、それが信仰の歌、讃美歌を産むことになりました。(つづく)

 

 
Category : 謳う賢女たち

  • 2009.08.09 Sunday - 09:03

謳う賢女たち その5――『イエスの母マリア』――

次はハンナからおよそ一千年を経て、今からは二千年前に神の特別な光に捕らえられ、神の最も大切な働きを託された女性、イエス・キリストの母となったマリヤを見ましょう。

 

マリヤの名が出てきますと、クリスマスを連想してしまいます、そしてもちろん続いてイエス・キリストの降誕が浮かび上がってきます。マリヤにいちばん似合う姿は幼子イエスを胸にした聖母マリヤです。これがいちばん自然に思い出されます。

しかし今ここで見ようとするマリヤは、イエス・キリストを宿す若き妊婦マリヤです。

 

マリヤは御使いガブリエルから神の子を宿していることを知らされ、さらに親類の老女エリサベツも六ヶ月の身重であることを知らされます。有名な受胎告知の時のマリヤと御使いとのやりとりなどは省きますが、その後です、マリヤは思い切ってエリサベツを訪問します。マリヤの住むイスラエルの北方ナザレから、エリサベツの住んでいる南のユダ地方の山里まで、直線距離で百二、三十キロの道のりでしょうか、マリヤは一心に旅をしていきます。


 マリヤはエリサベツと感動的な対面をします。エリサベツはマリヤを一目見るなり、『あなたは女の中の祝福された方、あなたの胎の実もまた祝福されています。私の主の母が私のところに来られるとは、何と言うことでしょう』と最大級の歓迎の言葉かけて、迎え入れます。おそらく駆け寄って抱き合ったのではないでしょうか。

 

マリヤは受胎告知以来、この旅の間もずっと、心も体も緊張しきっていたでしょう。マリヤは受胎告知の時に御使いガブリエルに『私は主のはしためです。おことばどおりこの身になりますように』と決意のほどを表明し、その信仰の上に立ち上がったのですけれど、自分に与えられた役割の大きさに恐れおののき、あるいは武者震いをするような、張りつめた心境であったとおもいます。そうした尋常でない心と体をむち打つようにして旅を続けてきたのです。

 

エリサベツの暖かいあふれるような愛に満ちた歓迎がどんなにマリヤを慰め励まし、力づけたことか、想像にあまりあります。マリヤはそれまでの緊張や束縛からいっぺんに解放されてしまいました。心が開けて魂が高められて、胸が弾んで、それが歌となってほとばしりでたのです。それが有名なマグニフィカート・マリヤの賛歌です。

 

わがたましいは主をあがめ、

わが霊は、わが救い主なる神をよろこびたたえます。

主はこの卑しいはしために

目を留めてくださったからです。

これから後、どの時代の人々も私をしあわせ者と思うでしょう。

力ある方が私に大きなことをしてくださいました。

 

ここは、先のガブリエルの前での応答より『私は主のはしためです……』よりさらに完成された、主への応答ではないでしょうか。

 

救い主を宿し、産むという前代未聞の大役を全身で受け止め、それだけでなく、自分を選んでくださった神を喜び、ほめたたえるまでに意志が高められ強められたこと、後々の人が自分を幸いな女と呼ぶだろうと、そこまで神の御業を信じ喜んで、それを言い表しているのです。大胆に謳っている、そこにマリヤの信仰の大きさや、信仰がもたらすゆとりを感じます。

 

この歌は讃美歌に入って、代々の人々に歌い継がれています。私たちもマリヤを思ってこの歌を我が歌として謳おうではありませんか。

歌が生まれる、歌が歌えるとはどのようなときでしょうか。歌が出ない、歌えないときとはどのようなときなのでしょうか。

 

歌どころではない、のんきに歌など歌ってはいられない、また苦しみや悲しみが深すぎて歌いたくても歌えない、歌心が奪い取られて、歌を歌うなんて久しく忘れていた。そんな時もあるのではないでしょうか。

 

童謡ある『歌を忘れたカナリヤ』を思い出しませんか。このような歌を久しく歌わなかったのではないでしょうか。でも忘れてはいないでしょう。口ずさんで見るのもむだではないでしょう。

 

 

 

 

 
Category : 謳う賢女たち

  • 2009.08.04 Tuesday - 07:16

謳う賢女たち その4 『ハンナ』―サムエル母―

 

時代順には、ハンナです。

ハンナは中年の主婦です。ただし子どもがいません。時代は、先のミリアムの頃より三、四百年過ぎた頃です。出エジプトしましたイスラエルの民がカナンの地、いまのイスラエルにすっかり落ち着いた時代です。ハンナの周辺状況はわりに平和です。ミリアムの時のように民族の興亡に関わるような出来事が起こったとは記されていません。また、デボラの時代のように戦時下でもないようです。

 

一つの家庭の問題と、その渦中で悩み苦しむ一人の女性として、ハンナが登場しています。ハンナは子どもがいないこと、そのためにもう一人の妻、こちらにはいく人かの子どもがいます、一夫多妻の習慣のある時代です、ハンナはこの女性にことある毎にいじめられるという苦しみのただ中にいます。

 

ハンナの夫エルカナはなかなかの人格者のように記事からは判読できるのですが、ハンナを愛しながらも、もう一人妻を持ち、いっしょに生活しています。エルカナが子どものある妻よりも、子どものできない妻ハンナをより愛していることから、事態はより複雑で深刻になってきます。愛されていないと直感する子沢山の妻が、なにかにつけハンナをいびるわけです。子どもが生まれないことをさげすみ、辱めるのです。

 

ハンナは懊悩苦悩します。女性としての価値まで疑われ、自分の存在理由が霞んできて、夫の愛もその傷を癒す力や真の慰めにはなりません。

ハンナはその苦悩を全能なる神に向け、ひたすら祈ります。

 

ハンナの祈りについては省略しますが、祈りに祈って、ハンナは積年の煩悶から解放されます。神が自分のすべてを知っておられる、神に全人生を預けた、それを神が全能の力と愛で受け止めてくださったことを信仰で確信し、ハンナは問題からまったく解放されました。

 

やがて、ハンナは男の子を産みます。

しかしハンナはわが子サムエルをずっと手元に置いておくことはせずに、幼いうちに神殿に預けます。将来、神の役に立つ働きができるようにと、幼いときから準備教育を始めようとするわけです。

 

そのハンナが、かつて泣いて祈った神殿に幼子サムエルを連れて行き、その時慰めてくれた祭司エリの前で、幼子を示しながら、神様をほめたたえて、祈りの歌を捧げます。それがハンナの賛歌として有名になりました。以後イスラエルの女性たちはハンナを女性の鏡として敬慕し、憧れ、ハンナの賛歌を歌い継いでいきました。ハンナの継ぎに取りあげますマリヤの賛歌も、ハンナの賛歌が原型になっているそうです。ハンナは次のように歌い出します。

 

私の心は主によって誇り

私の角は主によって高く上がります。

私の口は敵に向かって大きく開きます。

私はあなたの救いの喜ぶからです。

 

これはハンナの魂のそこから噴き出したものです。ハンナが作詞し、それを自ら歌い上げたものです。ハンナという女性をよくよく見ていると、単に、子どもがいなくて、いじめられて泣きとおし、神様にすがりついて祈ったところ、神様のあわれみで子どもをいただいた、そんな通り一遍の姿は消えてしまいます。

 

神殿で家族一同がお祝いの宴会をするシーンがありますが、ハンナは泣いて食べようともしません。夫エルカナが最高の愛を示して慰めても、そんなことでは妥協しません。席を立って一人祈り続けるのです。長い時間唇を動かすだけで座り続けるハンナの様子を不思議に思った祭司エリが声をかけると、『つのる思いといらだちのため今まで祈っていたのです』とストレートに心を披瀝し、状況をしっかりと説明しています。

 

こうした状況からハンナという女性を判断しますと、ハンナは理由のはっきりしない問題、つまり、どうして自分には子どもができないのか、子どもがないためにどうしていじめられなければならないのか、また子どもがないのは神様から呪われていることなのかなどに、徹底して悩み、いい加減なところであきらめたり、妥協したりしない、そうした心の強さを持った人であったと思われます。

 

やがてサムエルを産んだとき『私がこの子を主に願ったから』と公言しています。主からいただいたことはわかっているでしょうが、私が主に願ったからと言ってそうした意味であるサムエルという名前をつけるなどとは、たいした行動力、自己表現力ではないでしょうか。自分の思いや行動に信念と確信をもっていることが窺われます。そして、それらをはっきりと言葉にしています。つまり謳っています。

 

ハンナがこれだけ強く、大胆になれたその根底には、全能なる神が自分のバックにおられる、その方の後ろ盾があるという確信から来る強さであり、ゆとりのなせるわざではないでしょうか。

 

 

Category : 謳う賢女たち

  • 2009.07.30 Thursday - 08:41

謳う賢女たち その3 『デボラ』―女性の士師・イスラエルの母―

 

近代において、政治の世界で一国を治め、世界にも名を馳せた女性と言ったら、イギリスのサッチャーさんがおられますね。ほかにも国中の信頼を集め、男たちをも向こうに回して一歩も引けを取らない女性がいるでしょうか。日本では今現在、そうした女性は出現していませんし、出現させない風土なのかも知れません。

 

戦いはイスラエルの母デボラが戦場に赴いたことで志気が上がり、何よりも将軍バラクが安心して采配を振るうことができたからでしょうか、イスラエルに有利に働き、敵軍をうち破ってしまいました。

 

ところが肝心の敵将シセラは一人逃げてしまいます。シセラはとある一軒の家に助けを求めてかくまわれるのですが、その家の主婦であるヤエルは、敵の将軍であることを見抜いて、大胆にも寝入っている時に、頭に釘を打ち込んで命を奪ってしまいます。こうしてイスラエルは大勝利を納めます。その時に、イスラエル軍は勝利の勝ち歌を高らかに歌い上げます。

デボラが真っ先に歌います。

その歌の一節にこうしたフレーズがあります。

 

私、デボラがイスラエルに母として立つまでは

イスラエルに隊商は絶え、農民は絶えた。

目ざめよ、目ざめよ、デボラ。

目ざめよ、目ざめよ。歌声をあげよ。

主の民は私のために降りてきた。

つかさたちはデボラとともにいた。

 

おそらく軍隊の行くところこの歌声がこだまし、住民たちも歌声に合わせて、勝利を喜び、神様をほめたたえたことでしょう。デボラは自ら歌詞を作り、歌声をあげて、自分を人々の前に表現しました。実に旗色の鮮やかな生き方をしています。

 

この二人の女性、ミリアムとデボラは特別な立場におり、特別な能力を神様からいただいて活躍した女性です。彼女たちの生き方は胸のすくような爽快な気分をあたえてくれます。

 

古代の世界で、男性カラーの濃い時代のただ中で、女性としての持ち前を失うことなく、これはどういうことかと言いますと、ミリアムは美しく歌い美しく踊った、デボラは母として慕われ、母として君臨したということです。男に成り代わったわけではないのです。男勝りではないのです、女性でありながら、本物の女性として認められながら、しかし大胆に自己を表現し、謳い、歌って活躍しました。

 

さて、それでも彼女たちを特別だと思うなら、私たちと同じ、社会や家庭の中にモデルを捜してみましょう。 (つづく)

 

Category : 謳う賢女たち

  • 2009.07.22 Wednesday - 16:36

謳う賢女たち その3 『デボラ』―女性の士師・イスラエルの母―

 

二人目の女性としてデボラをみます。あまり聞かれない名前ではないでしょうか。教会のメッセージにもめったに登場しない女性です。私も信仰生活50余年になりますが、記憶違いでなければ一度も聞いたことはありません。ところがこの女性、よく読みますとたいした女性なのです。女傑なのです。

 

聖書は士師記四章です。

『そのころ、ラピドテの妻で女預言者のデボラがイスラエルをさばいていた』とあります。さばいていたとは治めていた、支配していたと言うことです。当時の社会では最高位におり、政治と宗教で民を治めていたということでしょう。

 

ミリアムはモーセの姉という強いバックがありましたが、デボラはラビドテの妻であると記されているだけで、当のラピドテがどのような人物なのか、聖書からはわかりません。聖書の他の箇所で活躍している人でもありません。と言うことは、デボラはひとりの人の妻だと言うだけの立場で、世間もそれをよく承知した上で、デボラの政治に服していたことがわかります。もちろん、だれもが納得のいくようなカリスマ性を備えていて、デボラの政治的宗教的指導力にはだれもが一目おいており、だれも異論を唱えることなどできない、そうした超一流人であったのです。

 

ある時デボラは神様から、外敵カナンと戦うようにお告げをいただきます。そこで軍隊の将軍バラクを呼び寄せて檄を飛ばし、出陣を促します。ところが将軍バラクはデボラに意外な依頼をします。自分といっしょに戦線へ行って欲しい、同行して欲しい、デボラが行かないなら出陣しないと。これは驚くべき発言です。男子の力の見せ所である戦争の先頭に女性に立って欲しいとはどうしたことでしょう。つまり、それだけデボラの存在は大きいのです。デボラはおそらく中年か、もう少し加齢した熟年女性だったとおもわれますが、バラクの申し出をうけて戦場に出ていきます。後に謳う凱旋歌の中では、イスラエルの母デボラとありますので、自他共に一国の母として認めていたのでしょう。

つづく

 

 
Category : 謳う賢女たち

  • 2009.07.19 Sunday - 06:58

謳う賢女たち その2 『ミリアム』­―モーセの姉、女預言者

『ミリアム』­―モーセの姉、女預言者―

 

 

そのミリアムが大活躍する場面が、歌い踊る箇所なのです。

ナイル川の出来事があってから八十年の歳月が過ぎました。

モーセの指揮のもとにエジプトに寄留していたイスラエル民族およそ二百万人が脱出しまして、パレスチナへ向かいます。逃げる民をエジプトの戦車部隊が追いかけます。海際まで追いつめたとき、なんと海が二つに割れて海底に道ができるのです。民はそこを歩いて対岸へたどり着きます。最後の一人が渡りきったそのとき、また水が元に戻って、海底を追いかけてきたエジプト軍は全員海の藻屑となってしまったという、かつて見たことも聞いたこともない奇跡が起こったのです。それを目の当たりにした民たちの興奮はいかばかりだったでしょう。世界に誇る最新鋭の戦車と屈強なエジプトの兵士たちが海の中でもがきながら沈んでいく光景を見たのです。息をのむような壮絶な場面です。

 

救われたイスラエルは勝利に酔いしれます。だれだって飛び上がって踊り出したくなるでしょう。喜び、歓喜がすぐに歌となりました。だれが歌い出したのか、だれが踊り出したのか、いつの間にか声は一つになり、踊りの列ができ、輪が広がりました。その先頭を切ったのがミリアムでした。ミリアムはタンバリンをもって歌い奏で、踊ったのです。続いて女性たちが手に手にタンバリンを持ち、美しく歌い、美しく舞い踊りました。

 

おそらくミリアムは大指導者モーセの実の姉と言うことで、早くから民に信頼され、女性ではありますが指導的立場にいたのでしょう、また神様から特別な霊的賜物を与えられていたことでしょうから、女性リーダーとしてモーセを助けながら、よい働きをしていたと思われます。

ミリアムを先頭に女性たちや民が歌った歌は次のようなものです。

出エジプト記十五章一節から

 

主に向かって私は歌おう。

主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込  まれたゆえに。

主は、私の力であり、ほめ歌である。

主は私の救いとなられた。この方こそ、わが神、私はこの方をほめたたえる。

 

聖書はこの場面の最後に念を押すように、記しています。 

アロンの姉、女預言者ミリアムはタンバリンを手に取り、女たちもみなタンバリンをもって、踊りながら彼女について出てきた。

ミリヤムは人々に答えて歌った。

 

主に向かって歌え。

主は輝かしくも勝利を収められ、

馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。

 

これらの記事を総合して想像してみますと、大勝利の興奮でわきかえっている時、人々は口々に喜びの言葉を交わしたり歓声を上げたりしている中で、女預言者と呼ばれるミリアムは言葉の人だったのでしょう、歌うにふさわしい、語呂のよいフレーズを繰りかえし繰りかえし叫んでいるうちに、近くの者たちがそれにあわせ、次第に先のような歌になっていったと考えられます。

 

口の重いモーセや少し軟弱な長男アロンが先頭をきって歌い出したとは思えません。もちろんこれらは想像ですが、聖書には歌ったり踊ったりしている写実的な場面に、具体的に女性たちの名がはっきりと記されています。

 

ミリアムに代表される女性たちは、実にはっきりと自己の内側を表現しました。率先して歌にして、踊りにして言い表したのです。ここに着目したいと思います。

 

この時代は今からざっと三千五百年ほど前でしょうか。女性が社会や家庭でどれほどの存在とされていたのかわかりませんが、けっして男性の上をいくことはなかったでしょう。しかしミリアムたちは『喜びも悲しみも一人胸に秘めて耐え忍ぶ』という姿勢ではありません。民の先頭にたって、大胆に勝利を喜び、それをすべて神様への栄光としてほめたたえたのです。なんと生き生きとした、また素朴な姿でしょう。

 

恐らくミリアムもそれに続く女性たちも、とっておきの晴れ着やアクセサリーを取り出して華やかに装い、色彩も豊かに装飾されたタンバリンを手にして歌い踊ったことでしょう。彼女たちの歌声は民族全体の喜びに火をつけ花を添え、戦勝の事実とともに深く深く感動的に人々の胸に刻まれたのはないでしょうか。謳う、歌うと言う行為の力は大きなものです。               つづく

 

 

 

Category : 謳う賢女たち

  • 2009.07.15 Wednesday - 10:56

謳う賢女たち その1 『ミリアム』­―モーセの姉、女預言者―

 

今回のタイトルは『謳う賢女たち』です。

対象となる女性は旧約聖書からモーセの姉ミリアム、サムエルの母ハンナ、女預言者士師デボラ、新約からイエス母マリヤ、それに近代(十九世紀)からアメリカの盲目讃美歌作詞家ファニー・ジェーン・クロスビーの五名です。

まず『謳う』と言う文字に視線を留めてください。なぜこのような字を使うのかとお思いになられたことでしょう。

最初に、この言葉についてすこし見てみます。国語の時間のようになりますが、辞書を開いてみました。まず広辞苑では

もともと謳うには、多くの人々が一斉にうたうという意味ですが、そこから発展して、三つの使い方が一般化しています。

      多くの人々がほめ、もてはやす。ほめたたえる、たとえば『天才と謳われる』と使います。

◆,△襪海箸鬚気んに言い立てる。主張すると言う意味で、『自己の立場を謳う』と言う風に使います。

      公の書類などを書き表す。表明する。ということで『憲法は主権在民を謳う』と使います。

角川国語辞典は手軽で分かりやすい説明をしています。

 《歌う》は、言葉にメロディーやリズムをつけて声に出す。

 《謳う》は、はっきりと言葉や文章で強調して述べる。です。

 これらを総合してみますと、謳うはごんべんがついているように中心は言葉で言い表すことで、歌うの中心は節を付けて歌う、いわゆる歌唱することだと考えられます。以上のようなことを予備知識としながら、五人の女性たちの謳い、歌いぶりをとくと眺めそこから彼女たちの賢さを探りたいとおもいます。

 

 

『ミリアム』­―モーセの姉、女預言者―

 

まずはミリアムです。この女性はモーセとアロンの姉に当たります。聖書は出エジプト記です。出エジプト記は、モーセ、この方は旧約聖書ではダビデと並ぶ偉大なリーダーですが、モーセが、自分の民族イエラエル人をエジプトから脱出させて、エジプトでは奴隷として人格を認められないまま牛馬のごとく過酷な労働を強いられてのですが、今のパレスチナ、イスラエルの地に導いていくプロセスを記した波乱に富んだ歴史の記録です。そのモーセの実の姉が、ミリアムです。

 

モーセは生まれてまもなく、ナイル川に捨てられました。当時のエジプト王パロの命令で、イスラエル民族の男の子は全員殺されることになってしまいました。モーセの母ヨケベデは自分の子をむざむざと見殺しにすることができなくて、思案の末、ナイル川に流しました。川に流すなどとは自分の手で殺すよりも残酷だと思いがちですが、それには母親としての賢い愛の計算がありました。母親はヨケベデと言います。

 

ヨケベデはいとしいわが子モーセをパピルス製のかごに入れてナイル川に流します。そのとき、長女のミリアムに見張り役をさせます。ミリアムは十歳くらいの少女だったと思われます。ナイル川に流したといいましても、その場所は岸辺を葦が覆っていて、ときどき宮殿からパロの娘が侍女たちを従えて水浴びに来るところでした。ヨケベデもミリアムもそれを知っていたと思われます。

 

まもなくするとパロの娘が水浴びに来るという時間まで確かめてから、かごを葦の茂みに置きます。流したのではなく、そっと置いたわけです。とうぜん、かごは見つけられて、赤子だということがわかります。ところがパロの娘は赤子がヘブル人の子だと知りながら、拾い上げて助け、自分で育てようとします。そのときです、すかさずミリアムが飛びだし、お乳の出る女性を知っていると言って、なんと自分の母親、つまり、モーセの母を紹介するのです。

 

パロの娘はミリアムの提言を受け入れてヨケベデを乳母として採用し、さっそく採用した乳母に赤子を託します。おそらく多額のお手当を支給したことでしょう。と言うわけで、ヨケベデは、一度は死を覚悟したわが子を再び胸に抱くことになります。しかも自分の子を育てるのに宮殿の王女様からお手当をいただき、子どもの安全を保証されながら育てることができました。その手柄を立てたのが少女ミリアムです。少女ながら大胆な行動力には驚きます。もしかしたら、モーセを川に流すことについてのアイデアもミリアムが出し、うろたえる母を励ましながら実行したのかも知れません。母は強いようで弱いものです、でも少女は純粋です、よけいな恐れごころもなく、まっしぐらに体当たりできたのでしょう。またミリアムとはそうした大胆な性格だったのでしょう。ミリアムは後に女預言者と呼ばれますから、指導力や行動力また一種独特の霊的感性があったと思われます。  つづく

 

 

 

 
Category : 謳う賢女たち

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