詩篇を愛して その16 詩篇27篇  一つの願い

  • 2008.11.06 Thursday
  • 08:58
菊の花 ロゴス氏より
ロゴス氏より

主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。
たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。
私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。
それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ。
今、私のかしらは、私を取り囲む敵の上に高く上げられる。私は、その幕屋で、喜びのいけにえをささげ、歌うたい、主に、ほめ歌を歌おう。
聞いてください。主よ。私の呼ぶこの声を。私をあわれみ、私に答えてください。

詩篇は150篇ある。当然、好みのものがある。自分の状況にぴったりのに出会うと忘れられなくなる。こうしてお気に入りの篇が年々増えていく。

『私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。
それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ』

ここはお気に入りの中でも特に好きな箇所である。この前でどんなに立ちつくしたことだろう。振り返ってみると状況が一番厳しいときであった。終わりのないような闇の細道を辿っていた。助けも解決も見えなかった。神さまに祈り他は何もできなかった。

長く苦悶の祈りが続いたが、あるとき、神に近づき祈ることそのこと自体が喜ばしく楽しくなった。神さまのそばにいることがこんなに楽しいなら、この苦闘が長引いてもかまわないと、そんな思いにまでなった。

私は口ずさんだ。《私は一つのことを主に願った。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために》
《主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい…》
以来今日まで、この歌は我が歌となっている。

詩篇を愛して その15 詩篇26篇 

  • 2008.08.23 Saturday
  • 12:21
  
詩篇26篇  主こそ私の弁護者

私を弁護してください。主よ。私が誠実に歩み、よろめくことなく、主に信頼したことを。
主よ。私を調べ、私を試みてください。私の思いと私の心をためしてください。
あなたの恵みが私の目の前にあり、私はあなたの真理のうちを歩み続けました。
私は、不信実な人とともにすわらず、偽善者とともに行きません。
私は、悪を行なう者の集まりを憎み、悪者とともにすわりません。
主よ。私は、あなたのおられる家と、あなたの栄光の住まう所を愛します。
主よ。私は手を洗ってきよくし、あなたの祭壇の回りを歩きましょう。
感謝の声を聞こえさせ、あなたの奇しいみわざを余すことなく、語り告げましょう。

時に思ってみないような誤解と曲解と批判を受けることがある。身に覚えのない時、大きな動揺に襲われる。悔しい思いをし、言訳したい衝動に駆られる。しかし渦中に飛び込んでいけばいよいよ状況は悪化するだろう。火に油を注ぐような結果になりかねない。

詩人がどんな苦境にいるのか知らないが、その憤懣を抱えながら、主の前に出て行き、主よわたしを弁護してくださいと膝を折ることができるのは、なんと幸いであろう。
神さまはすべてを見ておられ、すべてを知っておられ、すべてに正しい決着をつけられるお方だと信じればこそ、そう言えるのだと思う。

詩人は、自分には全く落ち度がなく100%正しいと主張しているのではない。ただ神様の前だけは精一杯、誠実に歩み、信頼しました、その点だけはまちがいありません、調べてくださっても結構ですと、神さまの愛の瞳にすがりついているのだ。

『あなたの恵みが私の目の前にあり、私はあなたの真理のうちを歩み続けました』
神さまが恵み深いお方であり、恵みで覆ってくださるから、不利になっても悪と肩を並べることはできないと詩人は悪を憎み、きよい道を選び取ります。そして『主よ。私は、あなたのおられる家と、あなたの栄光の住まう所を愛します』と大胆な愛の告白に行き着きます。

わたしの目の前にあふれている神さまの恵みによって、誠実に歩み、神さまのおられるところに居させていただくことをこの上ない慕い求める日々でありたい。

詩篇を愛して その14 詩篇25篇  

  • 2008.08.16 Saturday
  • 16:36
花火

詩篇25篇1節から5節  神の真理の小道を求めて  

主よ。私のたましいは、あなたを仰いでいます。
わが神。私は、あなたに信頼いたします。どうか私が恥を見ないようにしてください。私の敵が私に勝ち誇らないようにしてください。
まことに、あなたを待ち望む者はだれも恥を見ません。ゆえもなく裏切る者は恥を見ます。
主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。
あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです


突如として降りかかってくる思いがけない厄災や、どう考えても理不尽としか思えないことに遭遇したとき、真っ直ぐに主を仰ぎ、主に信頼できたら、ことの半分はすでに解決したようなものだ。頭ではその原理が分かっている。でも、そうできないで、いたずらにうろたえ騒ぎ、結局はから周りしてしまう。そんな愚かなことが多い。

詩人のように、一日中主を待ち望み、主に祈り通せたら、なんと幸いだろう。
『主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください』と祈って主の方法で、神の真理で、問題に当たることができたら、どんなにいいだろう。

『あなたの道』『あなたの小道』とは美しい表現ではないか。この小道はどこにあるのだろう。遠くにあるのではないだろう。茂みに隠れているかも知れないが、よくみれば、もしかしたら、すぐ足元にあるのかも知れない。それは『狭い門』から入る道であろう。

恨んだりつらんだり、すねたりふくれたり、時にかっかと怒ったり、悲嘆の谷に沈んだりを、やめて、一日中主を待ち望み、信頼の瞳にしか映らない『あなたの小道』を見いだして、歩みたいものである。きっと、イエス・キリストが門を開け、だれがいなくてもともに歩んでくださるだろう。

詩篇を愛して その13 詩篇24篇 

  • 2008.08.07 Thursday
  • 18:32
ロゴス氏
ロゴス氏より拝借

詩篇を愛して その13 詩篇24篇  主の山に上り、聖なる所に立てる人とは?

ダビデの賛歌
地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。
まことに主は、海に地の基を据え、また、もろもろの川の上に、それを築き上げられた。

だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。
手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。

神様のおられるところ、聖なる所に、立てる人がいるだろうか。自分の生き方や心持ちを隅から隅まで点検して、大丈夫だと胸を張って出て行ける人がいるだろうか。神と互角になれる人がいるだろうか。そんなこと不可能だってことくらい分かり切っていると開き直っても、神様が出てきなさいと言われたらどうするだろう。

手がきよく、心のきよらかな者、その魂をむなしいことに向けず…とある。
自分を見れば手がきよいなんて言えたものではない、まして、心は薄汚いと自覚する。

《その魂をむなしいことに向けず》なら、多少なりとも努力できるのではないか。
若い日にこのフレーズに捕らえられた。さんざんむなしいことに向けて、むなしさを知ったあとだったが。
以後、ことあるごとに自重するようになった。うまい話、得する話、持ち上げてもらえそうなチャンスなどが、首一つ縦に振ればいいのだと迫ってくるが、いや、いや、乗るまい、乗ってはならないと戒めてきた。その魂をむなしいことに向けず、ではないかと。

神様は、人一倍自制心が弱く、おいしい話にすぐ負けてしまう私を、守り助けるために、このみことばを守り刀のように懐に入れてくださったのだ。危ういとき、必ずこのみことばの刃がきらりと光る。危ない、危ない、魂をむなしいことに向けず、ではないか。

生まれつきの姿で神さまの前に立てる人は一人もいない。自分の義で神さまと争える人はいない。神様と人間との間には越えがたい罪の淵がある。罪が解消されない限り、自力では義にはなれない。
イエス・キリストの十字架だけが、罪の淵を埋め、神様の前に立てる道を設けてくださる。

明日は日曜日。思い切って教会へ行きましょう。いつの日か神様の前に引きずり出されるとき、恐れなく、喜んで、イエス様にお目にかかれるために。

『門よ。おまえたちの頭をあげよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の主が入ってこられる』

詩篇を愛して その12  詩篇23篇  死の陰の谷も恐ろしくはない

  • 2008.08.02 Saturday
  • 17:54

2008年8月2日 アップ

詩篇23篇  死の陰の谷も恐ろしくはない

詩篇23編 ダビデの賛歌

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。


詩篇の中でいちばん有名で、いちばん愛されているのがこの23篇。みんなこれだけは暗誦する。せずにはいられない魅力がある。5歳の孫娘Mちゃんも時々大きな声で口ずさんでいる。

この詩からは、かのダビデ王がまだ一介の羊飼いの少年であった頃、豊かな牧草地で羊たちを遊ばせながら、竪琴をかき鳴らしている姿が浮かんでくる。確かに、ダビデにはそうした美しい思い出があったろう。しかし、ダビデの生涯のほとんどは、戦いの連続であり、いつもいのちの危険と隣り合わせであった。
ダビデは危機迫る中で、つまり、《死の陰の谷を歩》き、《私の敵の前》なのに、主がともにいてくださるので、そこは《緑の牧場》であり《いこいの水のほとり》なのだと、高らかに吟ずるのである。

この詩を貧困の中にいる友に、病苦の中にいる友に、愛を喪失した友に、誤解や中傷に苦しむ友に、送ることがある。また、送られることがある。どんな人をも慰め励まし勇気づける、いのちあふれる詩である。インマヌエル(神我らとともにいます)の主のそばにいることほど幸いなことはない。そこはまさに緑の牧場である。
希望の風がそよいでいることは言うまでもない。

詩篇を愛して その11 詩篇第19篇 

  • 2008.07.30 Wednesday
  • 15:19
ロゴス氏ひまわり
ロゴス師より拝借

詩篇第19篇  どこにでもおられる神様

天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。
話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。
しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。

主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。

だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。

私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。
わが岩、わが贖い主、主よ。

《天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる》
天も大空も神様を雄弁に語っている。それも競うように。自然は実に素直に神さまを喜び誉め讃えている。

《主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ…》
聖書もまたどのページを開いても神さまを語り、みわざを証している。

《どうか、隠れている私の罪をお赦しください。あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください》
ひとたび目を転じて自分をみれば、神さまに助けを求めずにはいられない弱さや汚れに気がつき、祈りが吹きだしてくる。
神さまは遠くにおられるお方ではない。ごく身近なところにおられる。ひとひらの風の中にも。神さまのいのちに触れてきよめられ、一瞬一瞬をすがすがしく生きたいものである。








詩篇を愛して その10 詩篇第18篇 

  • 2008.07.25 Friday
  • 20:59

ロゴス氏カサブランカ
ロゴス師より拝借


詩篇第18篇 叫び求めれば、助け出してくださる神

主のしもべダビデによる。主が、彼のすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、この歌のことばを主に歌った。

彼はこう言った
主、わが力。私は、あなたを慕います。
主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。
わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。

死の綱は私を取り巻き、滅びの川は、私を恐れさせた。
よみの綱は私を取り囲み、死のわなは私に立ち向かった。
私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。
主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。

主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。
主は、ケルブに乗って飛び、風の翼に乗って飛びかけられた。

主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕え、私を大水から引き上げられた。
主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから。

神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。
まことに、主のほかにだれが神であろうか。
私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。
この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。
彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。
あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした。

主は生きておられる。ほむべきかな。わが岩。
あがむべきかな。わが救いの神。
それゆえ、主よ。私は、国々の中であなたをほめたたえ、
あなたの御名を、ほめ歌います。

ダビデは旧約聖書中最大の英雄と言っていい。しかしその人生は波瀾万丈であった。平穏なときより危険と苦難のほうが多かったのではないか。百戦百勝の戦士であったが、どんなときもまず神の助けを求めた。危機一髪のところで救われたこともたびたびあった。ダビデはその一つ一つを思い出して神の真実を確かめ、感謝し、証している。

《主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩
わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら》
ダビデをまねて、感動と信仰を持って我が歌として告白するとき、心は燃え、勇み立つ。

《主は、天を押し曲げて降りて来られた》
経験者でなければ表現できない言い方ではないか。

《あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした》
これも実にユニークな表現ではないか。才能で作った歌ではない。神の恵みの体験がダビデを天才的詩人にしたのだと思う。














詩篇を愛して その9 詩篇16篇 私の幸いはあなた(キリスト)の他にはありません。

  • 2008.07.22 Tuesday
  • 09:08
詩篇第16篇 

神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。
私は、主に申し上げました。
「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」

地にある聖徒たちには威厳があり、私の喜びはすべて、彼らの中にあります。
ほかの神へ走った者の痛みは増し加わりましょう。
私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、その名を口に唱えません。

主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。
あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。
測り綱は、私の好む所に落ちた。
まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
私は助言を下さった主をほめたたえる。
まことに、夜になると、私の心が私に教える。

私はいつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる
私の身もまた安らかに住まおう。

あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。

詩篇は150篇からなる。どれも皆夜空にきらめく星々のように美しく、いとしい。しかし強いて好きな10篇を上げよと言われたら、この第16篇を外すわけにはいかない。かの有名な23篇にもまさって、愛唱せずにはいられない。

《あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません》
100%心底からそう言いたい。神への愛の告白として。そのとき、心は震えるような甘美な喜びで満たされる。これこそキリスト教信仰の目指すところ、奥義中の奥義である。
《私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない》
人生の根っこさええぐり取られるような激しい風雪の中でも、このフレーズを口ずさむと、下腹に力が入って揺るぐことがなくなる。圧倒的な主の臨在の中で平安の潮が満ち満ちてくる。

《あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります》

キリスト誕生の聖書箇所のひとつを思い出す。
『見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついにおさな子のおられる所まで進んでいき、その上にとどまった。その星を見て彼らはこの上もなく喜んだ』マタイ2章9,10節

詩篇を愛して その8  詩篇14篇

  • 2008.07.19 Saturday
  • 08:51
詩篇14篇 神はいないという愚か者とは?

愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。
彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない。
主は天から人の子らを見おろして、
神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。
彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。


神を信じているから自分は愚か者ではない、このことばは信仰者以外の人たちに向かって神が放たれた矢であると、高みの見物を決め込んでいるとしたら、それこそ高慢の罪を着込んだ愚か者である。

信仰者でも、神よりも自分の考えや欲心を先行させるとしたら、神を否定することになる。神の存在を求めない無神論者と同じである。神は外見や形式は問題にしない。いつも心の奥底をご覧になる。神の視線をごまかすことはできない。
神を信じていない人はむろんだが、信じている人も愚か者にまちがいない。だから、神は『善を行なう者はいない。ひとりもいない』と断言し、嘆いておられるのだ。

神の嘆きを喜びに変えるのはただ一つ、自分こそ愚か者ですと御前に進み出て、主イエス・キリストを我が心のゆりかごに迎えることではないだろうか。

きよしこの夜 星はひかり
救いの御子は まぶねの中に
ねむりたもう いとやすく

詩篇を愛して その7 詩篇第12篇

  • 2008.07.15 Tuesday
  • 21:19
ぐんまの田園

詩篇第12篇 社会の悪が勢力を振るうときに

主よ。お救いください。
聖徒はあとを絶ち、誠実な人は人の子らの中から消え去りました。
人は互いにうそを話し、へつらいのくちびると、二心で話します。
主が、へつらいのくちびると傲慢の舌とを、
ことごとく断ち切ってくださいますように。
彼らはこう言うのです。「われらはこの舌で勝つことができる
われらのくちびるはわれらのものだ。
だれが、われらの支配者なのか。」

主のみことばは混じりけのないことば。
土の炉で七回もためされて、純化された銀。

あなたが、主よ、彼らをお守りになります。
あなたはこの時代からとこしえまでも彼らを保たれます。
人の子の間で、卑しいことがあがめられているときには、
悪者が、至る所で横行します。

社会に起ることは、あちらを見てもこちらを見ても寒々とした思いにさせられ、時に怒り、時には深い悲しみをもたらす。しかし弱き者は憂さの捨て所がない。詩人は神のみまえに持ち出した。すると神は天の窓を開いて祈りを聞かれ励まされた。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」

なにかと心騒ぐ師走の日々だが、時に天を仰ぎ、開かれている窓から聞こえてくる神のことばを静かに聞き分けたいものである。
《主のみことばは混じりけのないことば。土の炉で七回もためされて、純化された銀》なのだから。


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