- 2023.07.12 Wednesday -
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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
聖書そぞろ歩き 一年の初めに 伝道者の書3章1節から8節
前年に何があったとしても、年月の区切りがあるのはいい。 一年ごとに区切りがあるのはいい。 春夏秋冬と季節があるのもいい。 一か月の単位があるのもいい。 一週間ごとがまたいい。 日曜日があるのがいい。 夜があるのも、昼間があるのも、朝があり夕があるのもいい。 神の作られたものは、みな麗しい。 一年の初めは、一年の終わりと同じように多くのことを考えさせてくれる。 終わりより初めがいい。先がわからいだけに希望がある。希望は夢をはらんでいる。 時に、途方もない夢を見る。決して人には言えないような。 人に言う必要はない、言ってわざわざ笑われることはない。 そのおかしさを一番よく知っているのは自分だ。 笑いながら希望を抱き、夢を見る。 見果てぬ夢はむなしいのか、 見果てぬ夢でいいではないか。 かなわぬ希望でいいのか、 かなわないから希望なのだ。 希望は失望に終わることはないと、全能者は言われるではないか。 希望を抱き、夢を見る。 それこそ神の霊を宿す人間の人間たる証拠だ。 この年も大いに希望を抱き、大きな夢を見たい。 夢の中に希望の風はそよいでいる。 聖書を味わいたい。伝道者の書3章1節から8節 3:1 天の下では、何事にも定まった時期があり、 すべての営みには時がある。 3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。 植えるのに時があり、 植えた物を引き抜くのに時がある。 3:3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。 くずすのに時があり、建てるのに時がある。 3:4 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。 嘆くのに時があり、踊るのに時がある。 3:5 石を投げ捨てるのに時があり、 石を集めるのに時がある。 抱擁するのに時があり、 抱擁をやめるのに時がある。 3:6 捜すのに時があり、失うのに時がある。 保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。 3:7 引き裂くのに時があり、 縫い合わせるのに時がある。 黙っているのに時があり、話をするのに時がある。 3:8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。 戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
Category : 聖書そぞろ歩き
聖書そぞろ歩き・一年の終わりに
私たち一人一人にとっても、一言で言い括ることのできない多種多様な現実があり、それを解く考え方があります。高見から見下ろすような観念的な杓子定規を振り回されれば、とても受け入れることはできず、かえって嘲笑したくなります。と言って、刹那的な俗説をにはついていけません。そこには生きる力がないからです。 一年を振り返り、自分を照らす鏡になるのは聖書のみことばだけではないでしょうか。
幸いなことよ。 悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、 罪人は、正しい者のつどいに立てない。 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。 しかし、悪者の道は滅びうせる。 自分を吟味するとき、神のみ前に正しい者と評価されるでしょうか。悪者でしかないでしょうか。聖書という鏡の前で、しっかり自分を写してみたいと思います。はたして、逃げ出さないで凝視できるでしょうか。もし、わだかまることがあれば、逃れの道はただ一つ、悔い改めてイエス様の血で清めていただくことです。
Category : 聖書そぞろ歩き
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