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聖書の緑風『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。 聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
クリスマスメルヘン 降誕のあとさき その5★星を追って
ヨケベテが素早い決断をして同行した。タマルの悲惨な身の上に同情して持ち前の義侠心が働いたことも確かだが、心を駆り立てたもう一つの理由があった。 マリヤとヨセフが宿泊してから今日までに起こった一連の出来事が、ヨケベテの持つ常識の粋を破ってしまった。たいていのことは知り尽くしていると思っていた世の中に、未知の不可思議な世界がある。天女のような清らかなマリヤが馬小屋で産み落とした赤子のまばゆい輝きが、ヨケベテの心に聖なるものへの畏怖を目覚めさせたのだ。噂によれば、救い主ではないかとさえ囁かれている。もし、あの赤子がイスラエルがうめきつつ待望しているメシヤだとしたら、行ってこの目で確かめずにおられようか。 ヨケベテの心には若い時でさえ抱いたこのない熱い一途な思いが炎のように燃え始めていたのだ。 「おかみさん、行ってらっしゃいまし、しばらくなら、お留守をしっかりとお守りしますだ」 ゼルタの一声が決断に拍車をかけた。 先ずエルサレムの神殿に詣でて神に祈りを捧げてから、エジプトへ向かおうということになった。 その朝、手に手を取ってベツレヘムを発つヨケベテとタマルの足取りは軽やかだった。心は期待と興奮できりきりと音のするほど緊張している。 入れ替わるように、一団の兵士たちがまっしぐらに街道を駆けぬけ、すさまじい土煙を上げてベツレヘムの町へ雪崩込んで行った。救い主誕生の情報に震えおののいたヘロデ王が、生まれたばかりの男の子を一人残らず抹殺するために遣わした魔の手であった。 タマルとヨケベテはそれを知らない。 晴れ渡った青い空に星が一つ白く輝いていた。 「星のあとについていけばいいのね」 うなずき合う二人は、白昼に星が見える不思議さを考えようともしない。 見えない世界を信ずる者だけに見えた星であったのに。 (終わり)
Category : 降誕のあとさき
クリスマスメルヘン 降誕のあとさき その5★一夜の夢
『救い主』という言葉が耳もとに絶え間なく鳴り響いていた。飼い葉おけの中に寝ていた赤ちゃんが救い主だとしたら、自分はその父母に助けられたことになる。夫を奪われて、自分ほど不幸な女はいないと嘆き悲しんでいるが、神様は私をお見捨てになっていないのかもしれない。もしかしたら世にも稀な幸運な身かもしれない…… 星の瞬きのようなかすかな希望がリズミカルに全身に伝わっていった。その振動が心地よかった。 タマルは積み上げられた干し草の上にそっと伏した。含まれた太陽のぬくもりが体の隅々まで染み込んでいくようだった。 夢を見ていた……。 マリヤとヨセフが旅をしていた。ロバの背に揺られるマリヤの腕には赤子がじっと目を閉じて眠っているのだった。そのまわりに金色の光が柔らかに差し込んでいた。 三人の進む上空に大きな星が輝いていた。星は動いていた。ヨセフは時々星を見上げ、星の動きに従ってロバの手綱を引いていた。 ああ、マリヤさん、ヨセフさん、どこへ行かれるのですか、私を哀れんでください、どうかお祈りして下さい、夫に会えますように、カレブと一日も早く暮らせますように……。 目が覚めても、タマルは夢の中にいるような気がした。マリヤとヨセフがすぐそこにいるように思われた。二人を探すように暗闇の帳をじっと透かしてみると、すでに朝の白い衣の裾が見えかくれしながら近づいていた。 外に出た。 天の一隅から送り込まれた新しい空気が満ち満ちていた。顔に触れると跳ね返るような精気だった。 ふと、異様な光を見た。はっとして空を見上げた。大きな星が頭上近くで瞬いている。瞬きはゆっくりと規則的に繰り返され、まるでタマルに合図を送っているようだった。 (あっ、あの星は……) 夢に見た星ではないか。タマルは神の前に立ったような厳かな感動に全身を震わせていた。 (あの星を目指していけば、きっとマリヤさんとヨセフさんにお会いできる。そして、赤ちゃんにも……。 そうだわ、赤ちゃんは救い主かも……そうよ、きっと救い主だわ) またしても深い深い感動が大波のように襲ってきた。タマルの全身はいっそう激しく震えた。 肩に暖かな手が置かれた。ヨケベテだった。 「あの星はね、この馬小屋の上にずっと輝いていたの。毎晩何気なく見ていたけど、確かにあのご家族のいるしるしだったんだわ。こんな不思議なことがあるなんて…… きっと、噂のとおり赤ちゃんは貴いお方に違いない……」 タマルはヨケベテの手を握りしめた。 「おかみさん、私の行くところが分かりましたわ。あの星です。星のあとについて行ってみます」 「星の方向は、エジプトだよ……」 「エジプトですって」 「そう、あんたのご主人が連れていかれたのと同じ方角だとはねえ、不思議なことだねえ……」(つづく)
Category : 降誕のあとさき
クリスマスメルヘン 降誕のあとさき その4★失踪 「おかみさん、たいへんです、裏のお客さんがたが……」 背後からゼルタのうわずった叫び声がした。 戸口から差し込む一筋の夕陽が帯となってヨケベテの背を赤く染めている。かみつれのお茶がふつふつと湯気を揚げ、干しぶどうとアーモンドを刻み込んだ菓子を焼く匂いが立ち込めていた。タマルが目を覚ましたら、それを持って裏の家族を訪ねるためだ。ヨケベテは早くもその時の場面を脳裏に思い描いては、ひとり微笑んでいた。 「どうしたの、坊やでも具合が悪くなったの」 「それが……それが……ああ、わたしには何もわかりませんです」 「はっきりしなさいな」 「皆さん、おられませんです……」 「えっ、いないですって、どういうこと」 「はい、いつものとおり新しい干し草を持って馬小屋へ行きましただ。いつもなら、もう灯りがついていて赤ちゃんの元気な泣き声や、マリヤさんの子守歌や、ヨセフさんのお祈りの声が聞こえてくるんです。それが、今は、真っ暗ですだ。お呼びしたんですが何のご返事もねえです。変ですだ。おかみさん」 「それもそうだね、どれ、私が行ってみるよ」 ヨケベテは一番大きな灯火皿を取ると、勝手口を出た。 辺りはすでに闇だった。 馬小屋に入ると、暗闇と静寂が色濃く占領していて、残るものはかすかな干し草のにおいだけだった。ヨケベテは家族を丸呑にした大きな空間の前で立ちすくむほかはなかった。たしかにマリヤとヨセフは赤子を連れて立ち去ったのだ。 (どうして……どうしてなの。) 今の今まで、世にもまれな信仰の家族と信じて、敬い、愛していた。誇りにさえ思っていた。それだけに突然の失踪は合点がいかなかった。騙されたような屈辱を感じ、しだいに憤慨に変っていった。 (なぜ……なぜなの……せめて一言ぐらいお話があっても良さそうなものを……) 恨みたいようなやり切れなさとともに、母屋に寝ているタマルの顔が浮かんでくる。大切な邂逅の機会をむざむざと逃がしてしまったことが悔やまれてならない。 (タマルさんになんて言おう。とんでもない失敗をしてしまった……) ヨケベテは体の震えを抑えることができなかった。 灯りが二つ近づいてきた。ゼルタとタマルだった。 「タマルさん……」 「おかみさん……今、ゼルタさんから伺いました……」 「ごめんなさいよ……こんなことになるなんて……。すぐに会わせてあげればよかった……」 「……」 タマルもゼルタも返す言葉がなかった。無念なのは同じなのだ。 「いい年をして、私も分別がないねえ……」 ヨケベテはかえすがえすも残念なのだ。 闇の中の沈黙がなおいっそう三人の心を重くした。 しばらくして…… ようやくタマルが口を開いた。 「いいえ……そんなにご自分をお責めにならないで下さい。あの方々にお会いできなかったのはとても残念です。でも、おかみさんのせいではありませんわ。きっと、きっと、深い大きなわけが急に起こったに違いありません」 「そ、そうかもしれないね」 「お世話になったおかみさんに一言のご挨拶もせずに出て行くわけがありませんもの」 タマルの冷静な判断は波打つヨケベテの心にいささかの慰めとなった。 「私は今、お二人に腹を立てていたんだがね……あなたの言われるとおりかもしれないね」 明かりをかざして奥を見回っていたゼルタが叫んだ。 「おかみさん、ちょっとこちらへお出で下さいまし」 「どうしたの」 「これ、何でしょうか」 赤子がいつも寝ていた飼葉おけの中に、布で包んだ小さな包みが置かれていた。 駆けよって三人の灯りを近づけてみると、中から宿賃にしては多すぎる金銀と、乳香が出てきた。 「こ、これは……どういう意味なんだろう」 「きっと、お礼のつもりなんですわ。黙って発つわけが言えないので、この包みに思いを託したに違いありません」 「おかみさん、あの人達はこんな金持ちには見えませんでしたがなあ」 ゼルタはいかにも腑に落ちないというように大きく溜め息を漏らした。 「不思議な方たちだったねえ。でも、わたしはこんなに多額な物、頂くことは出来ませんよ。お返ししたいくらいだよ」 「おかみさん、町の噂をご存じでしょうが……救い主が生まれたとか、メシヤがきたとか。 赤ちゃんが生まれた夜、ここに来た羊飼いたちが町中をふれて歩いとりますよ」 ゼルタが気をとりもどして言った。 「救い主ですって」 タマルが叫ぶと、持っていた灯が揺らいで炎が大きく明るさを増した。 「救い主って、誰のことかい、あの赤ちゃんがかね」 そう叫んだとき、ヨケベテは心の真ん中に鋭い光の塊が転がり込んできたような衝撃を受けた。(つづく)
Category : 降誕のあとさき
聖書メルヘン 降誕のあとさき その3★タマルの話 「どのくらい時が経ったでしょうか、若いご夫婦が通りかかりました。優しいご主人と、美しくまだ少女のようなかわいい奥様でした。奥様は大きなおなかをしていらっしゃいました。お二人は私をたいそう気の毒に思って、それはそれは親切にしてくださいました。まるで、神様のお使いのようでした」 それはマリヤとヨセフに違いないとヨケベテは思った。 「それで……」 「はい、お二人はベツレヘムのお役所に行く途中とのことでした。ご主人はたいそう落ち着いた方で、私の話を聞きながら、その男たちはエジプトのガレー船に夫を売るつもりではないか、今、ローマとエジプトは戦争をしようとしているらしいからというのです。そして私に、すぐぺレヤに帰って家族に事情を話したほうがいいと言われました。 私はそのままエジプトへ夫を探しに行きたいと思ったのですが、思い止って故郷に帰りました。お二人のおっしゃることのほうが正しいのです。励まされて帰る気になったのですが、本当は死んでしまいたいくらいでした。泣きながらヨルダンを渡って戻りました」 「夫の両親は息子の一大事にも心を乱さず、かえって私をいたわって下さいました。幾晩も寝ずに考え、両親とも相談した結果、私はカレブを両親に託して、夫を捜すためにエジプトへ行くことにしました。このまま何もしないで安閑と暮らしていく気になれませんでした。カレブを置いてくることは最後まで迷いましたが、私一人の子ではありません、あの家にとって大切な跡取りです。私はどうなっても構いませんが、あの子は無事に成長してもらわなくてはなりません、幸い、両親はまだ元気ですし、生活もわりに豊かなほうですし…… 精一杯旅銀を作って私を送りだしてくれました。 気を張って家を出たのですが、一日、二日と経つうちに寂しくて、心細くて気が狂いそうになってしまいました。 私を助けて下さったご夫婦の姿が懐かしく思い出されました。あの優しさ、あの暖かさ、それが心から離れなくなりました。あのとき助けて頂いたお礼も申し上げたいし、私の次第も知って頂きたいし、なによりもこれからどうしたらいいかお知恵をいただきたいと思いました。私のこと知っていらっしゃるのはこの世であのご夫婦だけですもの。 お別れする時、お二人は私のために、奪われた夫のために、幼いカレブのために熱心にお祈りをして下さいました。見ず知らずの私のために、真心こめて一心に祈って下さいました。そうなのです、お二人は涙を浮かべて祈って下さったのです。あんなに真実な祈りは聞いたことがありません。まるで、すぐそばに神様がおられるように感じました。あの方たちは、特別に神様に近い人達にちがいありません。 どうしてもお会いしたい……。 その思いが日に日に強く大きくなっていくのです。 お二人がベツレヘムへ登録に行くとおっしゃっておられたのを思い出しました。あれからずいぶん日が経っていますから、とてもお会いできるとは思いませんが、もし、赤ちゃんが生まれていたら、まだおられるに違いないと思い、この町に立ち寄りました。赤ちゃんの誕生に私の運命が係っているように思えてきました。どうかベツレヘムで赤ちゃんが生まれますようにと祈りながらここへ参りました」 タマルはそこまで語ると、張り詰めていた心が緩んだのか床の上に両手をついてうずくまった。 「ひどい目にお遭いになったのね。どんなに辛かったでしょう。でも、神様はあなたのお味方ですよ。私が保証します。だから安心してお休みなさい。ゆっくり休んだら、どんどん良くなりますよ」 「ありがとうございます……。神様はきっと私の願いを聞いて下さると信じます。旅の途中でこんなに親切にしていただけるんですもの。 この町に私の訪ねるご夫婦がおられるでしょうか。そんな噂をお聞きになりませんでしたか……」 「マリヤさんとヨセフさんのことなら十分承知していますよ。後で会わせましょう」 ヨケベテは自分が大きな手柄を立てたような晴れがましい気分を押さえ切れずポンと胸を叩いて言った。 「えっ、ど、どちらに」 タマルははっと飛び起きた。 その身体を押しとどめて、むりに寝かせてから、ヨケベテはマリヤとヨセフの子細を話して聞かせた。 夕食を済ませたら、一緒に伺いましょうと言い聞かせて、ヨケベテはまだ快復していないタマルを休ませることに心を砕いた。もうすぐ会えるという喜びは、どんな薬よりもタマルの体にいいに違いない。数時間のうちに、喜びの効力が身体のすみずみまで行き渡って、思いがけなく体力が出てくるものだと、ヨケベテは人生経験の袋からそんな知恵を取りだして考えていた。 「おかみさんのおっしゃるとおりにいたします……」 タマルは母親の胸の中の幼子のように信頼しきった眼差しをヨケベテに注ぐと、深い深い眠りに落ちていった。(つづく)
Category : 降誕のあとさき
聖書メルヘン 降誕のあとさき その2★病床で 三日三晩、タマルは高熱にうなされて苦しみ続けた。ヨケベテは、素性の分からない病人に当惑しながらも、看病しないではいられなかった。この時期、泊り客が少なかったので、ほとんど一日中病人のそばに付き切りだった。冷たい水に浸した布 で何回となくタマルの顔を拭き、震えの止まらないほてった両手を固く握っていた。 ゼルタも気が気ではないのか、ヨケベテのそばを離れないでいる。 「おかみさん、今晩はわたしが付き添いますから、おやすみになって下さいまし。無理をしなさると、今度はおかみさんが倒れてしまわれますよ」 「この人は一体どんな人なんだろうね。早くそれが知りたいよ」 「悪い人ではなさそうです。優しそうなきれいなお顔をしとりますよ」 「そうだね、熱に浮かされながら、涙が流れていた……。きっと、ひどく悲しい辛い目にあったんだと思うよ」 「いやなご時世ですからね……」 「私は、何だかこの人がいとおしくなってきた……」 「おかみさんのお人好しがまた始まった、余計なことですが……」 「ゼルタ、病人の話は裏の人達には内緒だよ。先ず、この人の素性が分かってからのことにしよう」 裏の人達とは、マリヤとヨセフのことであった。 (一体、タマルは彼らとどんな関係があるのだろう……) 今や、両方に愛を感じているヨケベテは気がせいてならなかった。 四日目の朝、タマルはようやく起き上がれるようになった。ゼルタが運んできた大麦のミールと、いちじくの実を口にするうちに、頬と唇にほんのりと赤みがさし、細面の美しい顔に生気が戻った。大きな黒い瞳に光が見えた。 ヨケベテは安堵の胸を撫でおろした。潮のような喜びが押し寄せてくる。その思いはちょうどマリヤが出産を終え、愛らしい赤子を抱いて微笑んでいる姿を見たときと同じだった。 「身元もわからない私に厚いお情けを下さって何とお礼を申し上げていいのやら……。ありがとうございます」 「タマルさん、思ったより早く元気になれてよかったわね」 「どうして私の名を……」 「あなたはね、お名前だけ言うと倒れてしまったんですよ」 「まあ、そうでしたか、ずいぶんご迷惑をおかけしたんですね。どこまで私のことお話したのでしょうか……。 私、人を訪ねています。若いご夫婦で、臨月と思われる奥様とご一緒なのです。奥様のほうはたいへんお若くて、それはそれは清純な方です」 タマルは思い詰めたように語りはじめた。 「その方々のお名前は何と言われるのですか」 ヨケベテはそっとタマルの様子をうかがった。 「それが……知らないのです……」 タマルは悲しそうに目を伏せた。 「お名前さえ知らない方を捜しているなんて、きっと深いわけがおありなのでしょうね」 ヨケベテの心から少しづつタマルに対する疑いの思いが消えていった。 「どうぞ、話をお聞き下さい。そしてお力をお貸しください」 「あなた、どこの方なの」 「ヨルダンの対岸の地ぺレヤの者でございます。住民登録をするために夫の先祖の地へブロンまで参ることになりました。夫と一緒になったばかりの息子カレブをつれて初めて旅をしました。それはなかなかに楽しいものでした。親子水入らずとはこういうものかとしみじみと幸せをかみしめました」 「住民登録もあなただけにはまんざら悪法ではなかったようですね」 「いいえ、あんな法律さえなかったら……。 エリコからエルサレムへ通ずる街道を通っていたときでした。御存じでしょうか。細く険しい山道が続く所があるのです。突然、私たちの前に数人の男たちが飛び出してきたかと思うと、男たちは夫を後ろ手に縛ってロバの背にのせ風のように、連れ去ったのです……。 ほんとうに、あっという間の出来事でした。何が起こったのか、どうしていいのか分かりませんでした。声も出せずカレブを抱き締めて震えているばかりでした」 「まあ、何と恐ろしいことでしょう、あの街道には時々、強盗が出るってことは聞いていましたが、人を、しかも男の人をさらって行くなんて初めて聞きますよ。その男たちって私たちの国の人達ですか」 「そうだと思います。少なくともローマ人ではありません。その人たちは、エジプト、ガレー船、奴隷、戦争、ローマなどと聞き慣れない言葉を口々に叫んでいました」 「それからどうなさったの」 「はい、しばらくは体中の力が抜けて、そのまま動けませんでした。悪い夢を見ているんだ、これはうそだと自分に言い聞かせていました。すぐにでも夫が戻って来るように思えてなりませんでした。いいえそこを離れたら、二度と夫に会えないような気がしました……」 タマルの声がとぎれた。込み上げてくる嗚咽が抑え切れないのだ。ヨケベテはにじり寄ってタマルの肩を抱き寄せた。(つづく)
Category : 降誕のあとさき
聖書メルヘン 降誕のあとさき その1
今年2012年も12月クリスマスの月を迎え、キリスト教国でもないわが国でも、どこもかしこもすっかり定着したクリスマスムードで満ち満ちています。もう、だれも違和感を持たないでしょう。しかし、思えばおかしな現象です。 クリスマス・イブには、一日だけの信者が教会に急ぐでしょう。ひごろ、どんなに声をからしても世の人が訪れることの少ない教会は、戸を広く開けて、喜んでお迎えするでしょう。この日だけでもいい、まことの神、救い主、イエス・キリストを紹介できますから。 今回から数回にわたって、聖書の降誕の記事をベースに、小さな読み物を掲載します。クリスマスメルヘンと名付けました。あくまで想像の産物です。 楽しんでいただけたら、作者としてはこの上ない幸せです。 ★夕闇の訪問者 マリヤとヨセフはなおしばらくベツレヘムに滞在していた。 ひとしきり住民登録の宿泊者でごった返していた町も、手続きを終えた人々がそそくさと立ち去った後は、静けさの漂う片田舎の風情を取り戻していた。 宿の女主人ヨケベテはたびたび二人のところに足を運んで、馬小屋から母屋のほうへ移ることを勧めた。そこは生まれたばかりの赤子と産婦に適した場所ではなかったからだ。 「ここで十分でございます。すっかりご厄介になってしまいました」 ヨセフはいかにも申し訳なさそうに言うばかりで、いくら勧めても静かに断わり続けるばかりだった。 乾いた風がめっきり人通りの少なくなった町を吹き抜けて行った。薄い夕闇が忍び足で近寄ってきたとき、鋭い寒気が迫ってきた。 (赤ちゃんが風邪をひくわ。今夜こそ、こちらへ移っていただかなきゃ……) ヨケベテは勝手口から馬小屋のある中庭へ走って行った。 「ご親切はありがとうございます。本当にここでいいのです。マリヤの清めの期間が終りましたら、都に上ってイエスの宮詣でをするつもりです。それまでもうしばらく、お世話にならせて下さい」 ヨセフはまたも深く頭を下げて辞退した。かたわらで赤子を抱いたマリヤが笑みをたたえて会釈を返した。ヨセフを頼り切っている様子がありありとわかる。マリヤには出産した女性とは思えない少女のような面影があった。 「そうですか。……。遠慮は禁物ですよ。じきにもう一枚夜具を持たせます。大分冷えてきましたから、赤ちゃんをお大切に……」 外に出るとヨケベテはいつもと同じことをつぶやいていた。 (なんと美しい家族だこと。マリヤさんは可愛いし、ヨセフさんは頼もしい。そのうえ、赤ちゃんの麗しいことと言ったら、まるで天使のようだよ。これを神々しいって言うんだろうね……。 いったいどんな方たちなんだろう。深い事情があってご身分を隠しておられるんだろうか。旅銀がないのだろうか。そんな心配はいらないのに……) 気を揉みながら母屋に戻ったときだった。 表に人の気配がし、かすかな声が聞こえてきた。 「どなた様で……。お泊りでございますか」 下働きのゼルタが走って戸を開けた。 「お尋ねしたいことがあるのですが……」 若い女が立っていた。 「こちらに出産の近いご夫婦がお泊りではないでしょうか。もしかしたら、もう赤ちゃんが生まれたかもしれませんが……」 女は思いつめた様子だった。 赤ちゃんという言葉を耳にするや、ヨケベテは弾かれたように立ち上がるとゼルタを押し退けて女の前に立った。 「おいでなさいませ。どちらかにお宿が決まっておられますか。よかったらお入り下さいませ」 (この女からご夫婦のことがなにか聞きだせるかもしれない、でも、用心しなければいけない、敵か味方かわからないもの、あの美しい家族を不幸な目に遭わせるようなことになったらたいへんだもの) ヨケベテはそっと女を観察した。 「お一人ですか、どなたかお連れのかたは……」 「……」 女は無言のまま深く首を垂れたが、すぐ心を決めたように言った。 「ここのおかみさんと拝見いたしました。私の探しておりますお二人のことを御存知ですのね。ぜひ教えて下さい、どうしてもお会いしなければなりませんから」 女は少し上半身を傾けて真深く覆った被衣を脱いだ。目鼻の整った細面の顔が現れた。頬に走る深い陰が苦悩と疲労を物語っている。ともしびの炎が揺れる中で、女は黒い瞳を見開いてヨケベテをみつめた。 「ゼルタ、お客様に熱いお茶をさし上げて。とてもお疲れのご様子だから。それに何やら込み入った事情がおありのようだよ。長年宿屋をしているけど、独り旅の若いご婦人なんぞにお目に掛かったことはないからね」 「私、けっして怪しい者ではございません。ご迷惑をおかけするようなことはないと存じます。」 女は顔を曇らせると、強くかぶりを振ってすがりつくように言った。 「私はタマルと申しまして……ベレヤ地方の者でございま……」 糸が切れるように言葉がとぎれると、タマルの上体が大きく揺れた。 (つづく)
Category : 降誕のあとさき
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