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みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2010.09.23 Thursday - 08:33

初代教会の熱女 プリスキラ その10

プリスキラの人生はコリントで終わりではありません。パウロがこの地を去って次の土地エペソへ行くことになった時、なんとプリスキラ夫婦はパウロと同行するのです。プリスキラ夫婦のパウロへの強い思い入れがよくわかります。パウロの伝道を助け支えようとする心意気に燃えています。さらにパウロはエペソの伝道から次の新しい地を目指して前進しますが、このときはプリスキラたちはエペソにとどまります。パウロは二人にエペソ伝道を託したものと思われます。そのころになるとプリスキラ夫婦は一人前に伝道の働きができるようになっていたのでしょう。福音の奥義も十分自分のものとして、だれにでも解き明かすことができ、伝えることができたのでしょう。その証拠があります。

 

ある時アポロという伝道者がエペソに来ますが、彼の伝えている福音には欠けたところがありました。それを知ったプリスキラ夫婦はアポロを呼び入れて滞在させながら、パウロから学んだ福音をじっくりと教え導いたのです。プリスキラは人を育て教育する人になっています。プリスキラの家庭は信仰を教える塾です。寺小屋式神学校と名付けてもいいでしょう。さしずめプリスキラは女性教師、女性教育者です。人を教え育てるとはこれもまた女性特有の尊い働きです。たいていの女性は母になって子を教え育てます。教育は女性に適した働き、女性にとって天性の仕事です。女性の賢さのひとつはプリスキラのように人を支え教育することにあると信じます。賢い女性は広い心で人を支えることのできる人、またやさしく育てることのできる人といえます。

 

皆様、人を支えたり育てたりする働きをぜひともしようではありませんか。この働きは若い人よりもむしろ年を経てきた人に適しています。自分はもうその働きに直接かかわることはできなくなったという場合でも、その働きをする人を支えることならできます。たとえば宣教師や伝道者などを支援することはそれは自分では直接海外へ出かけて働くことはできない、またプロの伝道者になって奉仕することはできないけれど、支援することによってその働きに参加し、あるいは一端を果たしているのと同じことになるのです。働きを共有しているのです。これはなんと人生を豊かにすることでしょうか。

 

またクリスチャンなら祈りのサポート、祈りのスポンサーになることができますし、実はそれが最も大切です。神様も喜ばれるでしょう。とりなしの祈りに専念しておられる方はたくさんおられるでしょう。祈っていることを相手が知らない場合もあります。黙って祈ることも大切でしょうが、親しい人や近くの人なら、約束をかわし合って祈るのもいいものです。

 

皆様は緊急の時、祈りを依頼できる祈りのスポンサーをお持ちですか。また祈りのサポートを依頼されることがありますか。祈りの友がおられますか。

支えたり支えられたりの関係の場合、わたし、支える人、あなた、支えられる人とはっきり区別する必要はないでしょう。ある場合は支える人になり、ある場合は支えられる人になる、ある時は祈る人になり、ある時は祈られる人になる、こんな楽しいまた美しい交流はありません。

 

近年、私の耳に不快感を持って飛び込んでくるのは崩壊とか破壊という言葉です。家庭崩壊とは随分前から言われました。価格破壊はいいとしても人格破壊はいただけません。学級破壊という背筋が寒くなるような言葉もよく聞こえてきます。そのような砂漠化した世界の中で、たとえ小さくても家庭の扉を開くことによって、また祈り合うことによって、支えたり支えられたりする人間関係をひとつでもふたつでも増やすことができたらと願います。その灯火は小さくとも、きっと、社会という闇夜に生きる人々の心の目印となることでしょう。

 

イエス様はキリスト者を『あなたがたは世界の光です。』と定義されました。キリスト者である私たちには『世界の光』というラベルが貼られているのです。神様が自信を持って貼ってくださったラベルです。私たちは神様お薦めの商品なのです。造り主のお心にかなうように用いられたいと願いませんか。

 

最後の最後に、プリスキラとアクラ夫婦のその後をご紹介します。伝説によればこの麗しい夫婦は迫害によって殉教したそうです。ローマ・カトリック教会の殉教者の歴史によりますと、七月八日が二人の記念日になっているそうです。この意味でもプリスキラを七月の女性と名付けたのは無意味ではなさそうです。ローマにある最も古いカタコンベにはプリスキラの名があり、またローマの七つの丘のひとつアベンティーノにある教会にもプリスキラの名があるそうです。しかしそこにはアクラの名がありません。

プリスキラは文字通り、自分の生き方にいのちを賭けたのでした。その一途さ、徹底してスリムに生きて激しく死んだ、七月の女性プリスキラを見習いたいと思います。

(おわり)

 

 
Category : プリスキラ

  • 2010.09.13 Monday - 09:07

初代教会の熱女 プリスキラ その9

 

一人の人を支えるための具体的な方法としてプリスキラは家庭を解放しました。日常の世話をしたのです。「ひとつの釜の飯を食う」とは、得がたい関係を作るためになくてならない条件です。ところが少し触れましたが、今の私たちの周りから家庭を解放するという光景が影を薄くしています。私は昨今痛切にそのことを示され、考えさせられています。

 

かつてクリスチャンの間では家庭に呼び合うことがよく行われていたことでした。教会は率先してそれを行いました。牧師の家には青年たちが年中出入りして食事をし、宿泊したと話を聞きます。牧師の家の米びつが空っぽで奥さんが途方に暮れたという話もよく聞きます。また先輩のクリスチャンの家に青年たちがよく寝泊りし、夜を徹して話をしたということも聞きます。昨今はそんなことが少なくなりました。宿泊はともかくとしても、時に兄弟姉妹を招き合って交わることがどんなに互いの心を燃やすかもう一度思い直してみる必要があると思います。

 

対面や体裁をかなぐり捨ててもやるべきことのひとつかもしれません。プリスキラは家庭を開放してパウロたち伝道者を支えました。さらにプリスキラの家庭には信者になった人々も出入りして、集会が開かれていきました。聖書では『家の教会』と呼んでいます。今の家庭集会がそれにあたるのでしょうか。

 

キリスト教の初期はそこが教会になっていきました。家の教会はその家の主婦が影になり日向になってこまごまと準備をし、集会が開かれていったことでしょう。キリスト教は教会を母体として今日まで発展してきましたが、その大元のところで女性がすばらしい働きをしてきたといえます。そうした意味で、教会を生み出していったのは女性であると言えます。現在も家庭集会の多くは女性が中心になって開いています。

 

家庭集会の存在は大きいものがあります。単に伝道だけではなく、交わりの場、憩いの場としても有益です。食事をしながら、あるいはお茶をいただきながら、話をし、話を聞く、そんな交わりの中で、神様の真実を感じ、理解し、心が開かれていくのでしょう。家庭集会から教会へ行くようになり、イエス・キリストを信じたという方の例は数え切れないくらいです。皆様の中にも、もう長年、家庭集会を開いておられる方がおられるでしょう。そのご苦労は並大抵のものではないでしょう。しかしどうぞ、これからも心を強く持って続けてください。神様がどんなに喜んでくださっているかわからないと思います。祝福もまた大きい、大きいものがあるでしょう。そう固く信じます。

 

 

初代教会を飾る三人の女性のうちのルデヤはピリピの町の紫布の商人でしたが、救われると真っ先にパウロたちを自宅に招き『強いて泊まらせた』とあります。ルデヤもまた家庭を用いて神の人たちを支えました。そしてルデヤの家庭もまた『家の教会』になりました。それが『ピリピ教会』です。(つづく)

 

 

Category : プリスキラ

  • 2010.09.05 Sunday - 21:40

初代教会の熱女 プリスキラ その8

 

プリスキラがどんなにかいがいしく、支え、世話をしたかは聖書の記事のはしはしにはっきりと現れています。例をあげますと、夫婦の名を列記する時、普通なら夫を先に、妻を後にするものですが、ルカは最初は一節ではそうしていますが、一八節では当然のようにプリスキラを先にしています。パウロにしても、ローマ人への手紙一六節三節で『プリスカとアクラによろしく』といってプリスキラを先に記しています。

 

親しい仲にあるとはいえ、奥さんの名を先に出すのは礼儀を欠いていると思いますが、ルカもパウロも人並み以上の常識を備えていたはずです。礼儀もエチケットも十分承知のはずです。その上でなおプリスキラを先に思い出し、先に書かずにはいられない思いがあるのでしょう。彼らがいかにプリスキラから歓迎され、家族以上に世話をされて生活させてもらったかがよくわかります。

 

主婦プリスキラはさっそうとさわやかに不自由な旅を続ける伝道者たちの心身をくつろがせ、また支えたのです。プリスキラは年齢の関係はともかくとして、彼らの『暖ったかいおっ母さん』だったのです。さらにパウロは彼らを『私の同労者』とも呼んでいます。単に自分の働きを支えてくれたというのではなく、いっしょに同じ働きをしたというのです。これはパウロの愛の心から出た感謝の言葉だけなのか、本当にそうであったのか、ですが、おそらく実際に同労者と呼べる働きをしたのでしょう。『この人たちは自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです』と言っていますから、二人はパウロのいのちの恩人でもあるのです。

 

人を支える、支援する、とはまさに女性ならではの働きです。

 

とくに生活の面で、すなわち衣食住で支えるとは女性の独壇場です。女性ならば特別に気張らなくても背伸びしなくても、もとから自分の内にある力でできるのです。『支える』とは『助け手』の別名です。『助け手』として創造された女性の本領発揮の場といえます。それは当然ともいえる『女性の賢さ』のひとつではないでしょうか。

 

聖書の他の箇所にも伝道者を支えた女性がいます。

旧約聖書列王記には、シュネムという町に住む一人の裕福な家庭婦人が出てきます。当時エリシャという神の預言者がいましたが、この婦人は夫に頼んで自分の家の一角にエリシャのために一室を作らせます。エリシャが町に来た時は、いつでも自由に使い、宿泊して神の働きができるように支援したのです。裕福だったからできたのでしょうか。もちろんそれもあるでしょう。しかしそれ以前に、この女性は自分にできることをして一人の人を支えたのです。

 

もうひとつ同じ列王記に、エリヤという大預言者を養った貧しいやもめの話があります。そのころ激しい飢餓が続いて国中が餓死寸前になったとき、貧しきやもめの家ではついに食料が底をつき、幼い息子と最後の食事をとると、もう死を待つばかりという時でした。そこへエリヤが転がり込んでくるのです。やもめは二人分の食事を三人で分けます。それからも婦人は神様に助けられながらですが、どん底の中でエリヤを支え続けました。支えるという働きはありあまる中でしかできないのではないという証拠です。心があればできるのだと思います。つづく

 

Category : プリスキラ

  • 2010.08.28 Saturday - 13:29

初代教会の熱女 プリスキラ その7

ここで一つ考えたいことがあります。

人を自分の家庭に招くこと、宿泊させること、家業にも携わらせ、しばらくではあっても同居するという時、いちばん負担を感じるのはだれでしょう。いわずもがなその家の主婦です。その労力と気遣いは大きいものです。夫の方は細かい部分にまであまりタッチしませんから妻の苦労は案外わかりません。よく「家に来なさい、泊まっていきなさい」などと気軽に誘う男性がいるようですが、主婦としては困る場合もあります。一昔前までは妻の負担など考えもしないで一方的にお客を連れてくる夫たちがいたようです。昨今では妻の発言力が大きくなったせいでしょうか、その力に比例してかどうかわかりませんが、人を招いたり宿泊することが減少しているようです。

 

プリスキラの場合ですが、彼女は喜んでパウロを迎え、喜んで世話をしたようです。夫アクラが言い出したから従ったのではない、むしろプリスキラの方が率先して積極的に迎えたように思えます。パウロとの出会いではプリスキラはアクラよりも強く心を動かされたようです。そのときのプリスキラの状況は先程から見てきましたように、信仰の炎こそ燃えていましたが慣れない土地の見知らぬ人々の間で、戸惑いの多い生活をしていたところでした。

 

幸い、夫アクラがテント作りという職業を持っていたので、衣食に事欠くことはなかったでしょうが、心の底には落ち着かない、中途半端な、不安な思いがいつもあったと思います。そんな時はマイナス思考の罠に陥りがちで、暗い方へ消極的な方向へと考えや感情が走っていきます。プリスキラも例外ではなく、満たされない空虚な心を抱いて煩悶していた、彼女の心はハングリーであった、飢え渇いていたといえます。

 

無意識のうちにもその空虚を満たしてくれる何かを激しく求めていたのではないでしょうか。ちょうどそこへパウロがやって来たのでした。それはまさに神様の時でした。パウロの出現はプリスキラの心に強くぶつかります、刺激を与えます。

プリスキラはパウロの行き方に感動します。パウロはアテネ伝道が不成功に終わって気落ちしていたものの、伝道そのものに希望を失っていたわけではありませんでした。この偉大な伝道者の伝道熱を消すことのできるものは天下のどこにも存在していません。

 

プリスキラ夫婦に出会って、歓迎されて、パウロは大いに励まされます。以前のパウロに戻って火だるまのようになって伝道します。あるいは火のように祈ります。命がけでイエス・キリストを伝えます。

 

世の中に人を感動させるものはいくつもあるでしょうが、一つのことに命を賭ける、人生をかける、脇目も振らずに打ち込んでいる、その姿ほど美しいものはないでしょう。側にいる人に強い刺激を与え、圧倒するほどに感動させるものです。パウロは『私にとって生きるはキリスト、死ぬことも益』と言い切って人生すべてをキリストにささげ切っている人でした。その単純でスリムな一筋の生き方にプリスキラは魂を奪われるのです。この人こそ福音のために神が遣わした尊い働き人だと確信します。その時、プリスキラの心に新しい一つの思いがふつふつと音を立てて生まれてきました。

 

それはパウロを支えたいという思いでした。この神の人を側面から、背後から、真正面から援助しょう、それが自分にできる、自分に与えられた神への奉仕ではないかと思うようになります。プリスキラはパウロの生き方を通して自分自身の生き方の方向を見いだしたのです。

 

コリント滞在が単なる仮住まいであり、明日にもこの地を離れるかもしれない中で、敢えてパウロを同居させます。本来なら他人をどうこうする場合ではないでしょう。自分のことで精一杯でしょう。しかしその時のプリスキラには明日の日を思い煩うという灰色の心はすっかり消えていました。夫アクラに自分の思いを詳しく語り、アクラももちろん妻の意見に同意して、二人は心を合わせて物心両面から全面的にパウロを支えます。(つづく)

 

 
Category : プリスキラ

  • 2010.08.20 Friday - 13:43

初代教会の熱女 プリスキラ その6

 

当時パウロは何歳くらいであったのか正確なことはわかりませんが、中年を過ぎていたでしょう。彼らの目に映ったパウロはあまり見ばえのしないしかも病身らしい初老の男性でした。説教も立て板に水というような雄弁家ではありません。

 

しかしイエス・キリストを宣べ伝えるために命を賭けていることが伝わってきます。ひとたび口を開くと、まるでイエス・キリストの恵と愛の化身になったように全身で語り出す、火のようになって、炎のようになって、燃えつきてしまうのではないかと思うほどに魂を注ぎ出して語り出す。それを聞いているうちにこちら側にも火がつき、体も魂も熱く燃え始める。だんだんと信仰の目が開かれて、今まで信じていた神がいっそう明確に見えてくる、イエス・キリストによって救われたということがどんなに大きな事件であったか恵みであったかこれこそ神の奇跡だということがわかってくる。うれしくて、うれしくて、喜びが突き上げて踊り出したくなり、感謝があふれてくる。魂が燃えに燃えてじっとしてはいられない。感動と興奮でいっぱいになる。他の人に伝えないではいられない語らないではいられない、そんな思いがあふれてくる。

 

イエス・キリストの福音とはまさにそのように、いのちの弾ける、生命力にあふれた良き知らせではないでしょうか。

 

イエス・キリストの愛を知る時、いままでの価値観が変わってくる、人生観が変わってくる、その結果、生き方が変わる、背負っていた重荷やしがらみから解放される、一番やっかいな隣人である自分自身から自由になれる、心の根っこにいつもあった暗やみにキリストの愛の光が差し込んで、魂の大掃除が始まるのです。掃除機はイエス様が十字架の上で流された血、裂かれた肉、つまりイエス・キリストの犠牲の死です、イエス・キリストのいのちです。

 

パウロはイエス・キリストを自分自身の体験からリアルに話します。パウロこそ人生を根底から変えられた人、イエス・キリストによって新しいいのち、新しい生き方、新しく生まれた人でした。

 

プリスキラ夫婦は、ああ、もっともっとパウロの話が聞きたい、もっともっと福音のすばらしさを教えてもらいたいと、切なる思いに燃やされます。また、パウロは安息日ごとに、つまり一週間に一度は会堂に行ってイエス・キリストを伝えますから、そこに集まってくる人々にも、もっともっと時間をかけて詳しく話をしてもらいたい、自分たちが話すよりずっと効果があると思ったことでしょう。もう、パウロなしではいられないのです。

 

そこで彼らは抱きかかえるようにしてパウロを自宅に招き、滞在するようにもちかけたのでしょう。一方パウロにしてみれば、思い掛けなくも一組の夫婦、しかもクリスチャンの夫婦から歓迎され、家庭に迎えられ、テント作りの仕事も分けてもらって、ともに生活ができ、安息日ごとに心置きなく伝道ができるものですから願ってもない好都合でした。パウロはこれこそ神様の導きだと、どんなに感謝したことでしょう。

                          つづく

 

Category : プリスキラ

  • 2010.08.15 Sunday - 08:09

初代教会の熱女 プリスキラ その5

 

コリントは経済的に非常に繁栄した都市で、芸術など文化の程度も高く多くの外国人が流れ込んで来ていた、当時の国際都市でした。ギリシャの都市ですから偶像礼拝も盛んでアフロディトという神を祭る大きな神殿があり、そこには神殿娼婦が千人もいたという悪徳の町でもありました。そこへパウロがやってきました。パウロはアテネから来ました。初代教会史から見ますと、第二次伝道旅行といわれる時期でした。

 

アテネでの伝道はあまり芳しいものではありませんでした。有名なアレオパゴスの丘での説教も不発に終わり、パウロは少なからず心に痛手を受け、いわば「アテネ・ショック」からコリントへ来たと思われます。ともに旅をしてきたシラスとテモテは後から来ることになっておりパウロはおそらく単身でやって来たようです。ちょうどそこにローマを追われたプリスキラ夫婦が「ローマ・ショック」からの先の見えない不透明な暮らしをしていたのでした。しかしパウロとプリスキラ夫婦はその時点ではまだまったくの知らぬ者同士です。大都会で彼らはどのようにしてめぐり合ったのでしょうか。

 

そのきっかけに二つのことが考えられます。彼らがそれぞれに持っていたものですが、それが共通項となり、出会いを作ったと考えられます。ひとつはキリスト信仰であり、もうひとつはテント作りという職業です。

おそらくパウロはこの町にはいると安息日にはシナゴグと呼ばれるユダヤ人の会堂を探したはずです。そこには必ずユダヤ人たちが集まるからです。パウロはそのユダヤ人たちにイエス・キリストを伝道します。それがパウロの伝道方法のひとつでした。そのシナゴグにプリスキラ夫婦がいたのです。いやもしかしたら彼らの方が先に伝道していたのかもしれません。

 

ところがです。彼らはパウロの伝える福音の素晴らしさにすっかり驚いてしまったのではないでしょうか。二人はローマでイエス・キリストを信じたと思われますが、どんなレベルの福音を聞いたか、どのように福音を理解していたか、疑問です。聖書はしるしていませんが、パウロのような福音の解き明かしは聞いたことがなかった、それは確かです。パウロは今現在私たちが新約聖書のパウロ書簡から学んでいることを、まさにそのことを、二人の前で直に語り教えたのです。二人がすっかり心を奪われてしまい、もっともっと話を聞きたい、学びたいと思うのは当然です。(つづく)

 

 

Category : プリスキラ

  • 2010.08.07 Saturday - 13:05

初代教会の熱女 プリスキラ その4

 

ローマで新家庭を始めた二人は非情な皇帝命令によってローマを去らねばならないのです。なぜクラディウスがユダヤ人を追い出したのかといいますと、歴史によくあるユダヤ人迫害の一種です。どうしてユダヤ人はいつもいつも迫害の標的にされるのでしょう。これも歴史で学ぶことですが、ローマという国家は異国の民を建国以来のローマ人の寛容でどんどん受け入れます。けっして差別しないのです。昨日の敵は今日は同じローマ市民なのです。英雄ユリウス・カエサルすなわちジュリアス・シーザーは『寛容政策』を一層拡大して、だれでもかれでもと言っても言い過ぎでないほどに、征服した民族にローマ市民権を与えていきます。誉れ高きローマ市民権のバーゲンセールのようです。一定の条件さえ受け入れればたいていの他民族は優遇されます。

 

ところがユダヤ人だけは時々トラブルを起こします。ユダヤ人はいつもトラブルメーカーなのです。それなりの大きな理由があるのです。ローマ・ギリシャを初め地中海周辺の民族は多神教です。複数の神々を拝むのに抵抗はありません。その神々も人間を神格化したもので、神と呼び信仰の対象とします。ところがユダヤ人は一神教です、それも実に頑固なまでに一神教です。その神の律法に命がけで生きている民です。ローマに征服されようともローマの神々も律法も習慣もこと律法に反することとなると受けつけません。統治者としては困った存在です。

 

前回学んだエステルの事件もそうでした。エステルはローマの前のペルシャ時代の人でしたが、ユダヤ人モルデカイが王の命令に従わず時の大臣ハマンに敬礼しなかたことから、ユダヤ人撲滅の陰謀が企てられたのでした。ユダヤ人はいつの時代にも信仰の戦いから迫害に遭います。反対の側から見ると、ユダヤ人はちっとも政策に協力しない、扱いにくい民と言うことになります。

 

皇帝クラウディウスが紀元四九年に出したユダヤ人退去命令の内容は、ある歴史家の説によると「クレストスの指導のもとに絶えず反乱を起こすユダヤ人をローマから追放した」とあります。しかしこの勅令は生命まで危険にさらされるといった過激なものではなく、集会を禁じたようです。反乱の指導者クレストスと言う人物が何者なのかはっきりしたことはわかりませんが、クレストスという音を聞いているとなにやらキリストと聞こえないこともありません。もしかしたらキリストの名のもとに集まる集会を禁じたのかもしれません。これではクリスチャンたちはローマにとどまるわけにはいきません。そこでクリスチャンアクラとプリスキラはローマを後にしたとおもわれます。

 

 

信仰を貫くためとは言え、住み慣れた土地を離れることは並大抵のことではありません。おそらくそれまで築いてきたもの、所有していたもの、家も親族も、友人も、すべてを捨ててのことであったでしょう。ほとんど身ひとつでローマを後にした二人は、何らかの事情でコリントに滞在したようです。それは一時的な滞在であったのかもしれません。(つづく)

Category : プリスキラ

  • 2010.08.02 Monday - 16:27

初代教会の熱女 プリスキラ その3

 

さて、ローマ皇帝はアウグストからティベリウス、カリグラを経てクラウディウスになります。ついでながらキリスト教徒を迫害したあの暴君ネロはこの次の五代の皇帝です。これもついでながら、四代のクラウディウスは妻のアグリッピーナに毒殺されています。アグリッピーナはネロを連れての再婚なのですが、連れ子のネロを皇帝にしたいばかりに夫を毒殺するのです。

 

ネロ以後、キリスト教はローマ帝国とその皇帝たちの政策に密接な関係を持っていきます。ネロを初めとして幾人かの皇帝たちはキリスト教徒を残忍な方法で迫害します。しかし四世紀の終わりには時の皇帝コンスタンティヌスが自らキリスト教徒となり、キリスト教はローマ帝国の国の宗教、国教にまでなります。クリスチャンとしてローマのお国の事情を知っておくことは広い意味での福音理解に貢献してくれることでしょう。

 

四代目の皇帝クラウディウスがローマにいるすべてのユダヤ人に退去命令を出すのが紀元四九年です。その命によってプリスキラも夫アクラといっしょに都を後にしたようです。住み慣れた都を追われて彼らはどこへ行こうとしていたのでしょうか。夫アクラはポント生まれのユダヤ人とありますから、夫の故郷であるポントを目指していたのかもしれません。しかしポントは小アジア半島を越えて黒海沿岸の地域です。現在はトルコに入るのでしょうか、ローマから見るとはるかにはるかに遠い場所です。すべての道はローマに通ずですから、想像以上に道路事情が良かったかもしれませんが、ポントを目指していたかどうかそれは疑問です。ともあれ彼らはひとまずコリントに腰を落ち着けたようです。

 

プリスキラという名前ですが、ルカはそう呼んでいますが、パウロはプリスカと呼んでいます。プリスカは正式名ですがプリスキラのほうが少し砕けた言い方、ニックネームのようです。例えばプリスカはプリスさんで、プリスキラはプリスちゃんというように、です。

 

私はどちらを使おうかと少しばかり迷いましたが、プリスキラが愛称の意味を含んでおり親しみを表しているとしたら、敢えてプリスキラの方を使おうと思いました。彼女をそう呼ぶことによって、お互いの距離が縮まる気がしましたので。

 

プリスキラはアクラの妻です。聖書は『アクラというユダヤ人とその妻プリスキラ』と言っていますから、アクラはユダヤ人です。が、ふとプリスキラはユダヤ人ではないような気がしてきます。手元にある数種類の聖書をよくよく見ていますとそう思えます。

 

一説には「プリスキラはローマの上流社会の著名な家柄の人で、ユダヤ人と結婚した時に、その社会的地位を失ったという暗示がカタコンベの碑文にある」そうです。(ハーレイの聖書ハンドブック)

 

また他に、アクラはプリスキラの家の奴隷であったという説もあります。これらを思い巡らしますと一組の夫婦の背後には秘められたドラマがあることに気がつき、好奇心をそそられます。

 

二人がどのようにしてイエス・キリストを知ったのか、信じるようになったのか、アクラが先かプリスキラが先なのかなどと想像したくなります。聖書には妻であるプリスキラの方を先に出している箇所もあります。そこを理由に、プリスキラのほうが先にクリスチャンになったのだとか、アクラよりプリスキラの方が活躍して有名であったとか推論されています。

 

ドラマめいたものもありました。ご紹介しますと。アクラはローマのプリスキラの邸宅に住む奴隷であったが、ある時、キリスト教の信仰を持つようになった。プリスキラはアクラを慕うようになりやがて二人は恋におちた。アクラの伝道でプリスキラもイエス・キリストを信じ、二人はイエス・キリストを中心にして家庭を持とうと決心し、ついに結婚したというのです。想像の翼を広げると二人が小説の主人公のような気がしてきます。(つづく)

 

 

Category : プリスキラ

  • 2010.07.31 Saturday - 06:56

初代教会の熱女 プリスキラ その2

 

『使徒の働き』(この書を書いた『ルカ』は、ギリシャ人です、ユダヤ人ではありません、の医師で、パウロの良き協力者となり、ともに伝道旅行をした人です。(18章を見ますとまず一節で、パウロはアテネからコリントへ行ったと書かれています。

 

アテネといえばいまではギリシャの都ですが、当時は都市国家の時代ですからアテネはひとつの国と考えていいでしょう。コリントはアテネから真西へ約50キロのところに位置しています。ギリシャ本土とペロポネソス半島を結ぶポイントになる町で、陸路、水路のかなめの町です。そこにプリスキラは夫のアクラといっしょに住んでいたようです。

 

しかし彼らはコリント人ではなく、『近ごろイタリアから移ってきた』人たちです。地図を見ていただくとわかりますが、アドリヤ海という海を隔てておなじみのイタリヤ半島が見えます。イタリヤ半島は長靴、ブーツのような形をしていますが、ブーツのすねに当たる部分に都ローマがあります。プリスキラ夫婦はイタリヤと言ってもおそらくローマから来たと思われます。なぜイタリヤからしかも当時世界一を誇る都を出てきたのかと言えば、時の皇帝クラウディウスがローマにいるユダヤ人を全員追放したからです。なぜユダヤ人が追放されたのでしょう。

 

時の皇帝はクラウディウスですが、彼はローマ四代目の皇帝です。ローマはこの時期は建国八〇〇年になりますが、皇帝制度を採用してからはたかだか五〇年ほどしか経っていません。ちなみに初代皇帝はアウグストといい、なんと彼は『ルカの福音書』に登場してまいります。人口調査を命令した皇帝で、もっとも人口調査は一回だけでなく彼の治世でも何回か行われていますし、他の為政者もしていたようです。ユダヤはその時代、ローマの属州でしたので皇帝命令に従わなければなりませんでした。ナザレのマリヤとヨセフは住民登録のために本籍地であるベツレヘムまではるばる旅をすることになります。

 

ちょうどベツレヘムに着いた時マリヤはイエス・キリストを出産しました。もしアウグストが勅令を出さなかったらマリヤは旅行することもなくナザレでイエス様を生んだでしょう。それでは神様の台本とはちがってしまいます。イエス・キリストがナザレではなく、ベツレヘムで誕生するという予言は七〇〇年も前から旧約聖書の中で言われてきました。ローマ皇帝アウグストはユダヤの国の昔の言い伝えなど知る由もありません。まったく自分の考えから自分の国の政策として人口調査をしたのです。

 

それがちょうどイエス・キリストの誕生の予言にぴったりと重なったのです。アウグストは神様の予言の成就に用いられたことになります。歴史が神様の小道具として自由に使われていることがよくわかります。さらに一言追加すれば、最強の帝国ローマに初めて皇帝が即位したころ、宇宙を含めて世界の王の王であるイエス・キリストがベツレヘムの家畜小屋でひっそりとお生まれになったというこの事実は神様特有の皮肉に満ちたドラマですが、ここからは歴史を通して語る神様の無言のメッセージが聞こえてくるようです。(つづく)

 

 

 

Category : プリスキラ

  • 2010.07.24 Saturday - 21:43

初代教会の熱女 プリスキラ その1


 梅雨明け10日とは今年にこそ似合いの言葉ではないでしょうか。遠慮会釈なく照りつける太陽が、少しも迷わず堂々と自分の使命に生きている崇高な姿に思えきて、言いたかった恨み言も忘れてしまいました。 夏は夏らしくなくてはと思えてくるから不思議です。
 しばらく、初代教会の花であるプリスキラ(プリスカ)を見ていきたいと思います。

 

プリスキラ(夫はアクラ)は新約聖書の女性と言いましても、イエス様時代の、つまりイエス様に直接出会った女性ではありません。イエス様が十字架上で死なれたのが紀元三十年ごろですが、それからおよそ二十年あとの人です。そのころになりますとユダヤから始まったキリスト教は地中海の海岸沿いにアジアの西へ西へと前進し、現在のヨーロッパにも渡り、ローマの都にも入っていきます。そして各地にいわゆる教会、現在の教会の原型になるものが誕生していきます。キリスト教の歴史では初代教会の時代と言います。中心になるリーダーにパウロという伝道者が担います。彼はローマ帝国が作った道路や海路を使って広範囲にわたって伝道していきます。

 

今日のヒロイン、プリスキラはこのパウロと密接にかかわりながら初代教会の時代にすばらしい働きをした女性です。彼女は一女性であり、一家庭婦人にすぎませんが、女性なるがゆえに男性とは種類のちがった女性ならではの働きをします。それは女性が本来持っている特質をそのまま使ったものです。プリスキラはごく自然体でその働きをしています。そこから、私たちが忘れているいくつかの大切な事がら、特に『女性の賢さ』について学ぶことができると思います。プリスキラは『賢い女性』のトップを走る人と言えます。

 

プリスキラに「初代教会の熱女」という肩書きをつけました。熱女と読んでくださったでしょうか。ある方から『熟女』ですかと言われて、まちがって読まれているかもしれないと気がつきました。熟年の熟ではなく熱心の熱、熱情の熱、エネルギーの熱です。プリスキラを考える時、彼女からは特に暖かい心の熱を感じましたので、使ってみました。しかし熱女などと言う言葉が辞書にあるのかどうか知りません。しかし新しい言葉を作っていけないことはありません。

 

初代教会に活躍した女性として、聖書にはプリスキラの他に二名の女性が記されています。『紫布の商人でルデヤ』と『ドルカス』です。プリスキラとともに彼女たちは初代教会を飾る三姉妹です。もっとも三人は一度も顔を合わせたこともなく、生活した地域も違います。キリスト教の夜明けの時代に、女性たちの名が堂々と記されているのは明るいニュースです。やはりイエス・キリストが来られて時代はこうした意味でも変貌したのがよくわかります。

しかし何と言っても二千年前のことです。女性の地位は低く社会的にも立場のない時代でした。プリスキラは上流階級に属していたわけでもなく、特別な才能があったわけでもない、平凡な一家庭婦人です。夫に仕えながら家庭を切り盛りしていた、どこにでもいる主婦の一人でした。

しかしひとつの大切な働き、生き方と言ってもいいでしょう、を通して、今日までも話題を提供しているのですから並の女性ではありません。
いったいプリスキラはどのように自分自身の人生を用いたのでしょうか、まずプリスキラの身の上、経歴から見ていきたいと思います。

                         つづく

 

 

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