女性の賢さを探る ダビデ王家の女性たち その10

  • 2009.12.30 Wednesday
  • 08:53
 

 サウル王の長女メラブはダビデの妻になれる好機を、父の圧力という状況に負けて、逃してしまいました。そして人形のように自分の意に反する人の元に泣く泣く嫁いでいきました。一方妹のミカルは、父の言うことを聞きませんでした。激しい戦いがあったでしょうが、意志を貫いてダビデの妻としての座を勝ち取りました。この時のミカルは父に負けなかったのです。一時ではありましたが、好きな人と結婚して女性としての最高の幸福を獲得しました。しかしその後のミカルは不幸です。夫ダビデの逃亡中に他の人に嫁がせられてしまいます。ダビデはなぜミカルをおいて自分だけ逃げたのだろうと思います。ほんとうに愛していたら連れて行っただろうにとも思います。

 

ミカルの後半生は曇り空です。再びダビデの妻の座に返り咲きますが、その時はダビデへの愛が覚めてしまったようです。ダビデの信仰をあからさまに侮辱し、形ばかりの妻になってしまいます。ダビデの行動についていけなかった事もあったでしょう、すっかり生きる情熱を失ってしまったミカルを見ます。ミカルはダビデの妻と言うより、サウル王の娘としての幻のプライドだけでかろうじて自分自身を保った人ではなかったでしょうか。アビガイルのようにダビデの信仰と、ダビデの上に注がれる神の導きを察知して、それに敬服する鋭いセンスがありませんでした。

 

アビガイルの賢さについては具体的に、縷々と見てきましたが、彼女の賢さは状況判断の賢さです。環境という重くまとわりつく衣服を思い切って脱ぎ捨てる勇気です。これが頑迷で行状の悪いナバルと言う夫から解放されて一国の王ダビデの妻になった大きな理由です。この賢さなくしてアビガイルに王妃の冠はなかったでしょう。王妃の冠は自動的に乗せられたわけではありません。ある日、ある時の賢い行動の結果です。

 

バテ・シェバはどうでしょうか。この人もまたダビデ王という強い圧力の前に無抵抗であった、ウリヤの妻としての立場を断固死守することができず、流されてしまったのです。しかし流されていったところが一国の王ですから、身分や立場がきわだってよくなりました。もし、強要された相手が名も無き人だったら、おそらく同意しなかったでしょう。王様だから逆らえないこともありましょうが、王様だから逆わなかったとも考えられます。その当たりは微妙です。想像するだけですが、バテシェバは環境、状況を利用したとも言えます。賢いとは言えないけれど、ほめることはできないけれど、巧妙な選択をしたと言えます。

 

 さて、私たちは自分を取り巻く環境や今置かれている状況をぐるりと冷静に見回してみましょう。環境ほど厄介な問題はありません。良きにつけ悪しきにつけ環境の中で生きているわけです。 しかし私たちは自分の環境、状況に満足しているわけではありません。このことがこうなったらとか、あのことがなかったらといつも、いつも心の片隅では考えています。もしかしたら一生続くのでしょうか。

 しかし私たちは環境の犠牲者、敗北者になってはいけないのです。不満を抱きながら、くすぶりながら大切な人生を終えるわけにはいきません。なんとかして環境という衣服を着換える努力が必要です。精一杯、悪い環境と戦うことが必要です。知恵を絞り、力を出して環境を変えるのです。

  ですが、ですが、どうしようもできないこともあります。人間の限界があります。その時どうしたらいいのでしょうか。不完全燃焼の煙で苦い涙を流すだけなのでしょうか。それでは少々お粗末ではないでしょうか。

 

ここにとっておきの方法があります。

 自分の力ではどうしようもないとき、泣く泣くそこにいなくてはならないとき、例えば、思いがけない重い病気を宣言されたとき、家族や周辺の無理解や不当な扱いが続いているとき、そんなときどうしたらいいのでしょうか。

 

もし、私たち自身の心という環境が変わったら、外側が同じでも強く明るく生きていけます。外を変えることは至難の業です、自分が変わったらどうでしょうか。しかし自分を変える、これもまた大変難しい問題です。自分のことだから何とかできる、いいえ、自分ほど扱いにくいものはありませんね。でもほかならぬ自分が変わったとき、どうなるでしょう。自分が変わると言うことは今までの考え方や物事の見方が変わることです。例えばいやなこと、我慢ならないことが、そう思えなくなったら、それはもう、完全解決です。

 

申し上げたいことは、私たちの創造主に自分のいのちを、人生を預けてしまうことです。創造主とはだれでしょう。イエス・キリストにほかなりません。

 イエス・キリストを自分の人生の主人公に、心の王座に、自分の最高の友に、最愛の夫に、指導者に、人生の旅の道連れに、なっていただくのです。この方とともに生きるのです。キリストは知恵となり、義となり、贖いとなられたとあります。このお方を信じるとき、環境は問題でなくなります。自分自身さえ問題でなくなります。すでにこのお方とともに生き抜いてこられた方々は確かな実感と数々の体験をおもちでしょう。

 

最近、私の関係しているある団体で集会がありまして、一人の方にあかしをお願いしました。今までの人生で患難困難に出会って、それを乗り越えた体験をお話ししてほしいとお願いしました。そのときその方は、私はイエス様を信じたときから、どんなことも苦しいと思わなくなりました。ですから患難困難などありませんと。しかし外側から拝見しますかぎり、けっして人もうらやむような環境にいたとは思えません。むしろ大変厳しい状況の中を懸命に生きてこられたように拝見します。しかし彼女は私には患難困難はなかったと言われます。この方には不動の信仰がありました。イエス・キリストへの愛と信頼があふれていました。その信仰ゆえに、諾々と、楽々とすべてを乗り越えることができたのでしょう。なんとすばらしいことかと思いました。

 

イエス・キリストは私たちにとって最高の環境になってくださいます。時には私たちの内側だけでなく、外側の問題にも力を振るってくださって、困難や患難を取り除いてくださるのです。イエス・キリストを信じておられる方はいよいよ熱心に信仰に励みましょう。半信半疑では決してキリストのほんとうのおいしさを味わうことはできないでしょう。本気になることです。人が何と言おうと、本気を出すことです。

 

イエス・キリストを信じていない方がおられるでしょうか。この集会では、私はいつも、いつも最後にはキリスト信仰をアッピールしてしまいます。でもいままで、それがいやなのだと言う声を聞いたことがありません。ですから今回も言わせていただきます。

 先にお話ししました四人の女性でうらやましく思ったのがアビガイルであったら、その方にはイエス・キリスト信仰が必要です。アビガイルの《聡明で美人》は神様からいただいたものです。その結果、神にも人にも好意を持たれ賢い女性と認められたのです。一回きりの人生を美しく、心楽しく、何よりも神様の知恵に満たされて賢く生きてください。(おわり)


ご挨拶
 昨年の11月から掲載しています『聖書の賢女たちシリーズ』を、ご愛読いただき厚く感謝申し上げます。
 これは、過去20回に亘って開催しましたセミナーの講演原稿で、参加者の皆様の前で語ったものです。このシリーズはあと少しありますので、新しい年も続けたいと思います。



皆様の新しい年2010年の上に
イエス・キリストの恵みが豊かにありますようにお祈りします。 

 

 

 

 

女性の賢さを探る ダビデ王家の女性たち その9

  • 2009.12.27 Sunday
  • 16:10

 

バテ・シェバ有罪論は神様の御手にお任せするとして、ダビデは後に自分の犯した罪に苦しみ、徹底した悔い改めに導かれ、旧約時代には珍しい罪の赦しの恵みを体験します。有名な詩篇51篇にはダビデの心境と信仰があふれています。

 

バテ・シェバにはそのような場面はありません。聖書は彼女を『非常に美しかったと』とは記していますが、アビガイルのように『聡明で美人』とは言っていません。聡明の文字がありません。バテ・シェバは『美人』だったけれど、聡明さ、すなわち賢い女性ではなかったようです。ですから残念ながら私たちはバテ・シェバから女性の賢さを見出すことはできません。

 

ところが月日は流れて、ダビデが老人になり、次の王を選ぶことになったとき、神様はバテ・シェバの生んだソロモンを選びます。ソロモンは非常に神様から愛されるのです。この辺りは聖書はとても不可思議です。どうして聡明で美人のアビガイルの子でなくて、美しかったけれど何かと曰くのあるバテ・シェバの子ソロモンが選ばれたのでしょうか。今はそれを詮索するときではありませんが、神様に直にお聞きしたいところです。でも今は神様のなさることには万が一にも間違いはなく、きちんと納得できる正解があると固く信じ、それに従いたいとおもいます。

 

 以上、バテシェバまでダビデ王家の女性たちを見てきました。まだまだ数多くの王家ゆかりの女性たちがいます。妻だけでなく息子たちにまで範囲を広げれば、興味深い女性たちもいますが、全員をみるわけにはいきません。あの女性のことは聞いてみたかったと思われる方もおられるでしょうが、おゆるしください。

 

いままで、メラブとミカルの姉妹、アビガイル、バテ・シェバを見てきました。この四人の中で胸を張って賢いと言えるのはアビガイルだけです。残念ですが、他の三人には賢さという勲章をつけてあげるわけにはいきません。賢いとは言えない、むしろ愚かな女性たちもいます。では彼女たちの愚かさはどこに原因があったのでしょうか。一言で言い切ることはとても無理でしょうが、今、一つのことが考えられます。それは彼女たちが、自分を取り巻く環境やその時の状況に勝てなかったことです。主体的に判断し、決断できなかったことです。

 

 環境に原因がある、そう言いますと、ああ、それでは仕方がない、環境は一個人の力ではどうすることもできない大きな大きな力だから、とてもとても太刀打ちできるものではない。それが環境と言うものだと言いたいところです。現に私たちも一人一人違った環境に取り囲まれ、あるいは縛り付けられて、嫌も応もなしにその中で生きています。ある方は人もうらやむ恵まれた環境に居合わせ、ある方は見るも気の毒な劣悪な環境と戦っていると言うことがよくあります。

 

しばらく環境について考えてみましょう。昨今は環境ホルモンなどと、かつては聞いたことのない言葉さえ流布しています。

 環境とはなんでしょう。

 私たちが身につけている衣服のようなもの、あるいは皮膚のように私たちに貼りついているものと言ったらいいでしょうか。衣服を脱ぐことができないように、皮膚を剥がすことができないように、環境と無縁になることはできません。人間は環境の動物だと定義するほど、環境と密接な関係にあります。氏より育ちというのも環境の力の大きさを言い当てていることわざですね。また環境順応性と言う物差しさえあります。女性はその数値が高く、どんな悪い環境にも溶け込んで生きていけると言います。それを女性の特性としますが、考えてみますとこれはほめ言葉なのか、あるいは悪口なのか判断に苦しみます。

 

私は自分自身のこれまでの人生を振り返ってみて、環境に負けてきた、押しつぶされてきたと思うことがいくつもあります。環境に逆らっても意志や思いを貫き通したことはあまりありません。今になって反省や後悔することが多々あります。あの時、あの状況の中ではああしかできなかったけれど、もう一歩勇気と信仰があったら、別の方法を選択し、歩いていた、そうしていたら今の私の人生はずいぶん違っていたのにと思ったりします。そして、環境がよくなかったからとか、その時の状況は手も足も出せるものではなかったと言うのは、言い訳であり愚痴ではないかと今はおもっています。

 

環境や状況という、自分ではどうすることもできない、まとわねばならない衣服をそのまま黙って着ていてはいつまでたっても中身は同じ私です。そこには進歩も発展も成長もありません。いまより悪い事態に追い込まれることだってあります。環境という衣服を脱ぎ捨てることは、単に外側を変えることではありません。着換えようとする思いがすでに中身が代わった証拠です。新しく生きたいという欲求がその人を変え、成長へ、発展へ、進歩へと進ませるのだと思います。

                                    (つづく)

 

 

 

 

女性の賢さを探る ダビデ王家の女性たち その8

  • 2009.12.23 Wednesday
  • 09:52

 

都エルサレムで王宮に住むようになったダビデ、四十歳になんなんとする頃、またダビデは一人の女性に関わります。バテ・シェバです。ダビデと姦淫の罪、今風に言えば不倫の関係に陥るのです。聖書の中で評判の悪い人が男にも女にもいます。歴史の評価による女性のワーストナンバーワンはもちろんイザベラでしょう。エバも悪女と言われています。そしてこのバテ・シェバもダビデを誘惑したふしだらな女と見られています。このように世の評価と言う接着剤で悪女と言うレッテルをピタリと貼られて女性を、女性の賢さを探るという舞台に出演させるのは難しいことです。しかし今は、ダビデ王家の女性たちですので、その主題に沿ってバテ・シェバにも一筋の光を当てたいと思います。先のミカルにも残念ながら賢い女性としてよい点数をつけることはできませんでした。

 

バテ・シェバですが、よくよく近づいてみますと世の中の評価どおりに、純真なダビデ王を誘惑した悪女、夫を裏切る貞操のない女性として切り捨てるわけにはいきません。断っておきますが私は彼女を強く弁護する者ではありません。しかし聖書をじっくり読んで考えてみたいと思います。すでに私は彼女については最初の本『系図に咲いた愛』の中でも取りあげました。あれから約十年経ちますが、考えは余り変わっていません。

 

聖書は二人が不倫に陥るきっかけや状況を事実から簡潔に記しています。それによりますと、時は、イスラエルはアモン人との戦争の最中です。ダビデはイスラエルの全軍を戦いに出します。『しかしダビデはエルサレムにとどまっていた』とわざわざしっかりと述べています。バテ・シェバ事件の始まりに、『しかしダビデは……』と意味深い語りかけをしています。王様ですからいつもいつも戦いの先頭を切って走らなくてもいいのでしょう。先のイラク戦争でもアメリカの大統領ブッシュさんは前線には一度もでかけていません。軍服も来ていません。スーツを来て、きちんとネクタイを締めて大統領官邸で執務していました。ダビデが都にとどまっていたのは当然だったかもしれません。


 しかし聖書は、『しかし』という反意接続詞を掲げてダビデは都にいた、前線には出陣していない事実をしっかり説明しています。すこし読み込みますと、そこに非難めいた声が隠れているように感じます。しかもこの物語の最初の一行は、『ある年、王たちが出陣するころ』です。王たちとは互いに戦う国の王と言うことでしょうか、両国の王も参加しての一大戦い、最終段階の戦いという意味でしょうか。それなのに『しかしダビデはエルサレムにとどまっていた』のです。どうしたのでしょう。いつもいつも先陣を切って勇敢に戦うのがダビデではなかったでしょうか。いつものダビデとは別人のようではありませんか。聖書はさらに続けます。

 

 『ある夕暮れ時、ダビデは床から起きあがり、王宮の屋上を歩いていると、一人の女が体を洗っているのが見えた。その女は非常に美しかった』ここだけ読みますと聖書ではないようです。小説の一節のように思えます。しかし、だからです、聖書なのです。ダビデは午後のひととき、休息していました。端的に言えばお昼寝をしていました。王様だってお昼寝をして悪いわけがありません。日常のことだったのでしょう。しかし日常の当たり前のことをわざわざ書かれてしまうとは、あまりスマートではありませんね。書かなくてもいいことをわざわざ書いているのは何か含みがあるのでしょう。たとえばダビデはこのようなときのんびりと昼寝などする場合ではないとか、言いたげです。

 

その次ぎの文もまた引っかかります。

 『ダビデは人をやって、その女について調べたところ、ヘテ人ウリヤの妻でバテ・シェバ』だという報告を受けます。ヘテ人ウリヤとはダビデの部下の中でも有能な軍人です。それを知ってなおダビデは『使いをやってその女を召し入れた』のです。

 

これは明らかに計画的犯罪です。ダビデの側からの一方的な働きかけです。ダビデの独り舞台です。それなのにです、みなさま、今までバテ・シェバについてどのように聞き、どのように考えておられましたか。

 
 私は聞いたことがあります、バテ・シェバはダビデが見えるところで、見よがしにわざわざシャワーを使った。日本の昔流で言いますと、行水を使ったと。そしてダビデを誘惑したと。こんな解釈はどこから出てくるのでしょうか。聖書のどこを読んでいるのでしょうかと思ってしまいます。

 

 王の使いが来て、バテ・シェバが断れるでしょうか。断ったらいのちはないでしょうから。バテ・シェバは黙って使者の後について行くことしかできませんでした。この厳しい状況にだれが抵抗できるでしょう。その際夫がいることが断る理由にはならなかったでしょう。ダビデ自身がそれを承知で、それを無視して強行したのですから。力づくでも実行したでしょう。バテ・シェバは犠牲者です。蛇ににらまれた小鳥のよう、オオカミの前の小うさぎのようです。どうしてバテ・シェバがふしだらな女と言えるのでしょう。ダビデを誘惑した悪女と言えるのでしょう。(つづく)

 

 

 

女性の賢さを探る ダビデ王家の女性たち その7

  • 2009.12.17 Thursday
  • 22:53
 

  さてアビガイルにはもうひとつ難問が残っていました。事後処理です。事後処理はどんな場合にも困難なことですが、アビガイルには大きな宿題が残っていました。夫に内緒でしたことです。夫を無視して、妻の立場を越えた、大きな越権単独行為をどのように切り出そうか、気持ちよく理解してもらうのはどうしたらいいかと思い悩んだことでしょう、特に相手は名うての頑迷で行状の悪い夫です。

 

ダビデの前であれだけの賢さと大胆さで臨んだ、その気持の張りも消え失せて、アビガイルはかなり憂鬱になったいたことでしょう。でも話をしなければならない、いつまでも隠せるものではありません。帰り道の辛さがよくわかります。行きはよいよい、帰りはこわい、です。

 

しかし帰ってみればまだ宴会は延々と続いていました。その宴会は『王の宴会のような宴会を開いていた』と聖書は記しています。そんなに派手で立派な宴会をしていたのに、ナバルはダビデたちに一切れの肉もパンも分けようとはしなかったのです。

夫ナバルは上きけんでひどく酔っていました。込み入った話ができるような状態ではありません。その夜はとうとう何も話すことができず、朝を迎えます。

 

おそらく、一睡もしないでアビガイルは一晩を過ごしたと思います。この一晩もまた貴重な時であったでしょう。中途半端なこの時、おそらくアビガイルはイスラエルの神に、ダビデも口にしていた神に、一心に祈ったことでしょう。夜の静けさは神様が近くにおられるときです。それがわかるときです。祈る思いに満たされるときです。そして祈るときに状況が変わってきます。人の心が整えられるのです。主への信仰を回復し、主に信頼し、委ね、思い煩う様々なネガティブな思いが消され、希望が生まれてきます。まったく一人になれる夜は神様との交わりのために備えられた、神のときです。この一夜は神から与えられた貴重な一夜でした。

 

アビガイルは心の落ち着きを取り戻し、たとえどのような事態になっても受け止めようと覚悟ができたのではないでしょうか。アビガイルは酔いから覚めた夫に一切を告げます。包み隠さずに。するとどうしたことでしょう。ナバルは気を失って石のようになってしまいます。医学的に解釈したら、心筋梗塞か脳出血でしょうか。昨夜は王のような宴会をしたのですからお酒の量もオーバーしたことでしょうから、そう言ったことはあり得ることです。そして、十日ほどして死んでしまうのです。そのまま意識を回復しなかったと言うことでしょうか。ただし、聖書は一切の理由を書いてはいません。彼の直接的な死因については一言も触れていません。ただ聖書は『主がナバルを打たれたので』と明記しています。

 

これは見逃しにできない言葉です。たしかにナバルは神の裁きによって死んだのです。ダビデは『主がナバルの悪をその頭上にかえされた』と言いきっています。

 

さて、ナバルが死んだことを知ったダビデはまもなくアビガイルを妻として迎えるのです。当時ダビデは都に置いてきたミカルをサウル王に取りあげられて他の人に与えられてしまい、深い傷を負っていました。逃亡生活の最中でしょうが、イズレエルの女性を妻にしていますが、結婚のいきさつはわかりません。しかしアビガイルのことは心から妻にしたいと思ったのです。年齢も上で、人の妻であった女性を迎えるのですから、アビガイルがどんなにダビデの心を捕らえたか想像が付きます。『聡明で美人』と評判の通りだったのでしょう。

 

ダビデはあの衝撃的な出会いが忘れられなかったのでしょう。あの時のアビガイルの命がけの嘆願と対応の巧みさに女性の賢さと美しさを初めてみたのではないでしょうか。戦略や出世の道具としてでなく、人間性や人格に尊敬さえ抱いて、アビガイルを見たのです。自分の慰みものとしてではなく、自分と話ができる人格的な交わりの対象としてアビガイルを選んだことは確かです。

 

アビガイルは頑迷で行状の悪い夫とともに暮らすという言い難い悪い環境にいましたが決してそこで自分自身を失いませんでした。劣悪な環境の中で、どのようにすべきか、生きていくべきかをいつもよく考えていたと思われます。そうした日ごろの生き方が、あの危機の時で、とっさに答えを出させたのです。すばやく適切にことに当たり、処理することができたのです。そして、ダビデという一大英雄の妻になれたのです。王妃の座はアビガイルの賢さが獲得したと言えましょう。

 ダビデはその後サウル家と幾多の戦いを経て、ついに三十歳で王になります。以後四十年間イスラエルの王として君臨します。(つづく)

女性の賢さを探る ダビデ王家の女性たち その6

  • 2009.12.12 Saturday
  • 16:47

アビガイルもまた事態が容易ならない危急であることを判断します。すぐにたくさんの食料を用意させ、自分もその荷物に付き添って出かけていきます。この際、夫には内緒です。夫に相談してもらちが明きませんでしょうし、説得する時間もありません。ぐずぐずしていたらダビデたちが襲撃してきてしまいます。

しかしこのような一大事を夫に内緒とは、この夫婦関係はどうなっているのだろうといささか疑問や心配が残りますが、『頑迷で行状の悪い』夫を持った妻としての立場から考えるなら、どうでしょうか。ご自分だったらどうするだろうか、想像してみるのもむだではないでしょう。

 

アビガイルはこのような夫に長年連れ添っていたのでしょうから、いつもいつも夫を無視していたわけではないでしょう。しかしこの件に限っては独断で行動しました。この状況を素早く正確に判断して、自分一人の判断で素早い決断をしました。

 

はたしてアビガイルたちは途中で馬を走らせて向かってくるダビデ一行と出会います。これは目に浮かぶような劇的な場面です。

その時、アビガイルは直ちにダビデの前にひれ伏してゆるしを請います。
『あの罪は私にあるのです。あのよこしまな者、ナバルのことなど気にかけないでください。あの人はその名前に様に愚か者です。(ナバルとは愚かと言う意味があるようです)私はあなたの使いの人たちを見なかったのです。ここに贈り物を持ってまいりましたからお納めください。わたしの罪をゆるしてください』
アビガイルはダビデに一言も話す暇を与えないように、あれこれ考えるすきさえ与えないように、一気に一人で話します。

 

アビガイルの熱心さと行き届いた届け物、それに事情を聞くあいだの時間の経過のなかで、なんとダビデのいきり立った心が静まっていくのです。


ダビデは答えます。『今日あなたを私に会わせてくださった神、主がほめたたえられるように』。

そして、復讐の罪、血を流す罪を思い留めさせてくれたあなたはすばらしいと、アビガイルの対処に感謝するのです。ダビデたちは剣を鞘に収めて帰っていきます。この出来事はアビガイルのすばやい、そして大胆な対処によって大事にいたらず無事に解決しました。模範的な平和的解決ができたのでした。

 

様々なもめ事やもつれた関係がこのようにすんなりと解決できたらどんなにいいでしょう。大きな事から小さな事まで戦争や紛争や小競り合いやけんかの多くは知恵と謙遜と話し合いで避けられる場合もあるのではないでしょうか。

 

ただし、平和的解決には、当事者がダビデとアビガイルのような人物であることが必須条件でしょう。アビガイルが賢かったことは言うまでもありませんが、ダビデもまた話の分かるすばらしい男性です。やはりダビデは大物です、そう言った風格を感じます。ダビデは血の気も多いけれど、理のわかる人です。さっぱりとしている、決して頑迷ではありません。ナバルと比較するとダビデの大きさが際だって見えます。(つづく)

 

 

女性の賢さを探る ダビデ王家の女性たち その5

  • 2009.12.07 Monday
  • 14:08

 

ダビデは逃亡中にイズレエル出のアヒノアムという女性を妻にしています。しかし聖書は彼女については名を記すだけで具体的な人物像やエピソードについては一言も触れていません。

 

ところが次ぎに出会うアビガイルにはサムエル記第一・二十五章の一章まるごと全部をあててたいへん詳しく記しています。アビガイルについてしばらく見ていきます。

 

 聖書ではアビガイルを『聡明で美人』と紹介しています。つまりアビガイルは美人で賢い女性であると聖書が公言しているのです。賢さを表看板にできる人は稀です。

 

 アビガイルは当時ダビデがサウル王に追われて命からがらの逃亡生活をしていた、そのさなかに出会った女性です。その地域のカルメルで手広く牧畜業を営んでいた大富豪ナバルの妻です。つまりアビガイルはダビデと出会う以前は人の妻、家庭婦人でした。夫ナバルが大富豪として名前が知れ渡っているところから察しますに、ナバルは相当の年齢、その妻ですからアビガイルも決して若い女性ではないと思います。

 

この夫婦を聖書はこのように紹介しています。

 『この女は聡明で美人であったが、夫は頑迷で行状が悪かった』と。

 アビガイルの紹介には『聡明で美人』というとすばらしいほめ言葉が使われ一方夫には『頑迷で行状が悪かった』と最低の評価を下しています。そう言う夫婦にひとつの大きな出来事が起こります。その事件にこの夫婦がどのように関わったかを追いながら一組の夫婦の実状をつぶさに見、さらにアビガイルと言う女性を分析したいと思います。

 

事件とはこうです。

 ナバルが羊の刈り取りの祝いの宴を開きます。農業で例えると、収穫のお祝いと言うところでしょうか。おそらく大富豪ですから、自分の威力や財力を示すためにも多くの人を招待して大盤振る舞いをしたのでしょう。ダビデたちはその付近をあちらこちらサウル王の目を逃れて彷徨っていました。しかしダビデはダビデに味方する人の一団六百人を引き連れていました。この六百人もまた日々食べたり飲んだりの基本的な生活をしなければなりません。生活の糧が必要です。ナバルと同じように羊やヤギなどのヲ交っていたことでしょう。

 

時にナバルの使用人たちと同じ場所で放牧し、交流もあったようです。放牧の最中に野獣が襲ってきたり、また盗賊たちが襲ってくることが珍しいことではありませんでした。そんな時、ダビデの部下たちには勇敢な兵士もいたでしょう。野獣や盗賊が来れば戦いします。ナバルの群が危険なときはダビデたちが守ってあげたこともたびたびあったようです。

 

そのような経緯から、自分たちも祝宴の分け前にに預かる権利があると判断したのでしょう。使者を使わしてごちそうの分け前をいただきたいと申し込みます。このようなことも当時は当たり前であったのでしょう。 ところがです。ナバルはダビデの使者を口汚くののしって、何も持たせず追い返してしまいます。ナバルはこう言うのです。『ダビデとはいったい何者だ。このごろは主人のところを脱走する奴隷が多くなっている。私のパンと私の水、羊の毛の刈り取りの祝いのためにほふったこの肉を、どこから来たかもわからない者どもにくれてやらなければならないのか』

 
 ナバルの仕打ちを知ったダビデは火のように怒ります。『めいめい自分の剣を身につけよ』との命令一過、総勢四百人が仕返しをしようといきり立って出かけていくのです。

 一方、ナバル側では、一人の若者が主人の対応をアビガイルに知らせます。


追い帰されたダビデはこのまま黙っているわけがない、早くなんとかないととんでもないことになりますと伝え伝えます。

 さあ、それを聞いたアビガイルがどのように対処したか、これからがアビガイルの働きどころ、そして賢さが躍り出るところです。
                                               (つづく)

 

 

ダビデ王家の女性たち その4

  • 2009.12.02 Wednesday
  • 09:19
 

こうしてダビデは一介の羊飼いから一国の王の婿になるのです。王位継承権を持つ身分になったのです。ダビデは大いに満足したことでしょう。妻のミカルは少々わがままで気が強く、高慢な女性だったかも知れませんが、そんなことはダビデにとってはたいしたことではなかったでしょう。王の娘の一途な愛を楽しんだのではないでしょうか。二人の結婚はミカルも幸運でしたがダビデに取ってはもっと幸運なことでした。

 

一方、サウルのダビデに対する嫉妬と憎悪はミカルの結婚でますますふくれあがります。サウルは公然とダビデ殺害を企て、家来たちに命令を下します。それを知った王の息子ヨナタンは父に進言し、ダビデをかばいます。サウルは息子に説得されてその時は思い直すのですがまたまた殺そうとするのです。

 

ある時追っ手がダビデの家を包囲します。それを知ったミカルは『明日になればあなたは殺されてしまいます』と言って、夜陰に乗じてダビデを窓から吊り下ろして逃がします。ダビデのベッドには自分の持っていた、あるいは拝んでいた偶像(テラフィム)ヤギの毛で編んだものかぶせて、人が寝ているように見せかけました。王の家来たちがダビデを出すようにと来たとき『病気で寝ています』言って帰すのですが、サウルはそれでは納得せず、ついにミカルの計略が発覚してしまいます。サウル王は娘を責めます。そのときミカルは父に、逃がさなければ殺すというのでそうしましたと言い訳してその場は収まります。しかしここからダビデの逃避行が始まりました。ダビデの生涯でもっとも危険でもっとも暗い、苦難の時期です。ダビデはサウルの目を逃れて荒野を転々とし、国内が危険になると近隣の国にまで逃れていきます。

 

ミカルですが、ダビデを逃して、父の手前も無事に収まってホットしたでしょう。そのうちに父の怒りも収まるだろう、そう思って祈って待つことにした、もっともミカルは夫ダビデの信仰するイスラエルの神でない、迷信的な偶像を拝んでいたようです。ダビデを逃すためにテラフィムという像をとっさに用いたのは、身近に置いていた証拠ですから。ミカルはダビデを愛していながら、またイスラエルの神を知っていながら、神への信仰心を持たなかった人でした。そして、この不一致が夫婦仲の不一致につながっていきます。

 

サウルはミカルをそのままにしては置きませんでした。ダビデ逃亡中にガリム人ライシュの子パルティエルに与えてしまいます。さすがのミカルも有無を言う暇もなかったと見えます。強引にまるで一個の荷物のように他人に与えられてしまいます。なんという不幸でしょう。王の娘だったばっかりに会わねばならなかった不幸でしょうか。環境にうち勝つことはできなかったのです。のちにミカルはダビデが王になったときもどされています。でもこれは大きな悲劇でした。ミカルはいざ知らず夫になったパルティエルはミカルがダビデの使者に連れて行かれるのを泣きながらいつまでもいつまでも追いかけてきたといいます。

 

ミカルは再びダビデの妻に返り咲きますが、その頃の二人はもう若かったころの二人ではなくなっています。ダビデはすでに複数の妻がいましたし、そののちあのバテ・シェバとの問題も目の当たりに目撃して、すっかりダビデへの愛を失っていたと思われます。名ばかりの夫婦でした。ついにミカルはダビデの信仰をさげすみ侮辱します。これはとりもなおさず神への不信仰、反逆でした。聖書はそうしたミカルに同情を寄せていません。ミカルは不信仰のゆえに死ぬまで子どもがなかったと記しています。これがダビデの妻ミカルの実相です。ミカルはよい評判を立てずに聖書から消えていきます。結局環境に負け、不幸な人生を送った人です、決して賢い人とは言えません。

                                      つづく

 

女性の賢さを探る ダビデ王家の女性たち その3

  • 2009.11.26 Thursday
  • 16:35
  

次ぎにミカルを見ていきます。ミカルは以後、ダビデの生涯でたびたび聖書に登場し興味深い話題を提供しています。

 

ところで、ある人物について聖書がほんの少ししか記していないときは、こちら側は想像するしかありません。小さな小さな穴から天を覗くようなものです。見えるところはわずかでもその上には広大な天空が広がっています。自由に想像の翼をかって駆けめぐることができます。でもそれは想像ですから、文字に表すとしたらフィクションの世界です。小説が生まれるでしょう。

 

その人についての資料がたくさんある場合は、それらを組み合わせ、考察して、資料の事実に則って人物像を描きます。あるいは一つの主題について考えることができます。 

具体的に今、メラブとミカルを比較しますと、メラブに関してはわずかしか記述がないので、今追いかけています女性の賢さについては資料不足です。その点、ミカルはメラブより多いので手がかりがあるわけです、

 

ミカルは思い適ってダビデの妻になることができた、彼女は幸運です。しかし、ただ幸運とかたづけてしまっていいものでしょうか。先のメラブは不運だとしか言いようがありませんでしたが、ミカルはもう少し詳しくまた掘り下げて考えていきたいと思います。

 

まず、ミカルがダビデを愛しているのを父のサウル王が知るということについてです。聖書は『このことがサウルに知らされたとき』とあります。知らされたとはおそらくミカル本人が父に話したと言うより、周囲の人が告げたと思われます。ミカルは自分の思いを近くの人に話していたと言うことです。母に話をして、母から王の耳に入ったのか、あるいは侍女たちに話をしたのが王の側近たちが聞いて王に伝えたのか、その推測は当たらずとも遠からずではないかと思います。ということは、ミカルは恋ごころを一人胸に秘めておくタイプの女性ではないと言うことです。思っていることを人に言える、口に出せる性格です。開放的で積極的、外向的と言ったらいいでしょうか。

 

もしミカルがどんなにダビデを愛していてもだれにも知らせなかったら、王の耳にも入らず、結果としてダビデの妻にはなれなかったでしょう。また、もうひとつ考えられることがあります。ダビデはサウル王の命令どおりミカルの場合もペリシテ人をうち負かし、サウルの要求を満たしましたが、サウルは先のメラブの場合のように、裏切ることもできたはずです。王ですからどんな理不尽もできたでしょう。おそらくサウルは策略を巡らしたことでしょう。でもできなかったのです。

想像ですが、ミカルは父の策には乗らなかったのではないでしょうか。どんなに脅かされても、父に反抗しても、ダビデとの約束を果たさせて妻の座を獲得したのではないでしょうか。ミカルの理詰めの抗議にはさすがのサウルもそれ以上手荒なことはできなかったと思います。また周囲の人々もメラブの手を使うことを納得しなかったでしょうし、王の信用問題にもなりますから、王は仕方なく憎いダビデに与える他はなかったでしょう。ミカルは環境に負けなかったのです、環境を味方したともいえます。ミカルの意志や思いが勝利の一員になっていることは確かです。

ミカルはこうして愛する人の妻になります。国中の女性たちのため息を一心に浴び、また姉メラブの悔し涙も見たかもしれません。その結婚式は国の一大イベントになったことでしょう。 つづく

 

女性の賢さを探る ダビデ王家の女性たち その2

  • 2009.11.22 Sunday
  • 08:43
 

 さて、1番目にこのメラブと言う女性をみたいと思います。サウル王の娘、王女、プリンセスです。サウルにはもう一人ミカルという女性が出てきます。メラブの妹です。聖書にはミカルはダビデを非常に愛していたと明確に記されています。メラブのダビデへの思いは記されていません。しかし国中の女性がダビデを熱狂的に愛しているところから判断しますとメラブもダビデに憧れていたでしょう。そして父の命令によってダビデの妻になれると知ったときは有頂天になって喜んだことでしょう。国中の女性たちの羨望の眼がメラブに集中したことでしょう。妹のミカルは姉をうらやましがって焼けるような嫉妬心を抱いたことでしょう。

 

ところがいよいよ夢が実現するという絶頂の時に、王である父の一声で他の人との結婚を強いられます。不本意であっても、行きたくなくても、父に逆らうことはできなかったのでしょう。メラブは泣く泣く嫁いでいきます、父を恨み身の不運を嘆くばかりだったでしょう。メラブの人生はあまりに屈辱的です。人間としての意志は道ばたの雑草のように荒々しく踏みにじられたのです。しかも自分の親からです。メラブは不幸な女性だと言うしかありません。どうにかできなかったのか、もどかしくなりますが、おそらくどうにもならなかったのでしょう。周囲の人々もどうすることもできなかったのでしょう。ダビデですら唇を噛む他はなかったのですから。

 

ところでダビデはメラブを愛していたかと問うてみますと、これは問題です。ダビデはメラブがただサウル王の娘であるがゆえに、ただそのことのゆえに、妻に迎えていいと思っていたのでしょう。そこには打算があるだけです。よくある政略結婚の一種でしょうから。しかしメラブは乙女ごころをときめかしてダビデの妻になれる日を夢見たことでしょう。

 

メラブは個人の力ではどうにもならない残酷な環境の犠牲者です。こんな環境にいなかったら、サウル王の娘でなかったら、王女、プリンセスでなかったらもう少しましな人生があったでしょう。メラブは悲劇の王女です。心から彼女を気の毒に思い、同情したいと思います。メラブは親の絶対的な権力と支配の中で人形のように動かされ、心にも無い人と結婚させられるのです。

 

メラブはしあわせになれたか、自分の願った人生を歩けたか、その答えはどこにもありませんが、おそらくたいして幸福にはなれなかったと思います。いつも外側からの事情に流され続けていく人生ではなかったかと思えてなりません。メラブは環境の犠牲者ですが、生き方としては一流ではなかった、賢い生き方ではなかったと、気の毒ですがそう言わざるを得ません。

 

 ダビデは王の婿になれるチャンスを失ってしまいます。サウル王にとってはダビデを亡き者にしようとした計画が失敗の終わったことになります。ダビデも王も不完全燃焼です。ところが王はもう一人の娘ミカルがダビデを愛していることを知ります。ミカルはのメラブの妹です。サウル王の娘たちはそろって父の憎むダビデに思いを寄せていたようです。娘たちだけでなく、息子のヨナタンがダビデをどんなに愛し、ダビデに味方したかは聖書に詳しく記されていますね、父に背いてまでダビデを危機から救います。二人の友情物語は聖書の中でも特に光るところです。

 

王は今度こそダビデを殺そうとまた新しい策略を立てます。今度はメラブの時よりさらに具体的な条件を出します。ペリシテ人を百人を殺してその証拠を持ってこい、そうしたらミカルと結婚させようと言うのです。ダビデも今度こそはと出かけていきます。ダビデは王の命令どおり条件もすべて満たして帰ってきます。王は前回のメラブのように約束を違えることはできません。ミカルは思いが適って晴れてダビデの妻になります。ダビデはついに王の婿になります。王座に登る道が近くなったのです。これほどの出世はありません。(つづく)

 

女性の賢さを探る ダビデ王家の女性たち その1

  • 2009.11.14 Saturday
  • 14:06
 

 

 今日から『ダビデ王家の女性たち』を掲載します。

 

 はじめに ダビデ・羊飼いから一国の王に

ダビデ王家の女性たちを見ていくのに書かせない人物がいます。言うまでもなくダビデその人です。今回取りあげます女性たちはダビデの生涯と深い関わりがあります。いわばダビデが話の太い縦糸になります。ダビデを抜きにしては語れません。


 ですからダビデの人生を追いかけながら女性たちをクローズアップしていくことになります。ダビデはご存じの通り、一介の羊飼いから王に成り上がった稀代の英雄です。出世物語のヒーローです。その生涯は実に波瀾万丈です。

 
 聖書に最初に登場してくるダビデは少年ダビデの姿です。父のもとで羊飼いの手伝いをする八人兄弟の末っ子としてのダビデです。ダビデは得意の竪琴を奏でながら羊の番をして父の手助けをしていた、そこがダビデの出発点です。

 
 その彼が、なんとイスラエルを悩ましていた敵国ペリシテの戦士ガテのゴリアテを一騎打ちで、しかも一振りの剣も使わずにうち負かしてしまいます。まさに一大奇跡が起こります。ダビデは一躍国民的英雄に躍り上がります。時の王サウルの側近に取りあげられ、王からも信頼される家臣となりました。

 
 ところがダビデが国中の人々から注目され、もてはやされるのを見て、サウル王の心中ははなはだおもしろくないのです。『ダビデにないのは王位だけだ』と言って不安を抱き、疑い、それが憎しみに変わっていきます。悪いことに、サウル王には持病の精神的病がありました。心の病というのでしょうか。猜疑心が異常に強くなったり、感情のコントロールがうまくいかなくなり、強迫観念に駆られる時があります。狂ったようにわめいてダビデに槍を投げつけることもありました。

 

一方ダビデは千人隊長に任じられ、軍人として戦いの先頭に立ちます。ダビデはどこへ戦いに行っても負けたことがありません。いつも大勝利です。それを見るとサウル王はますますダビデを恐れます。一方、国中の人々はますますダビデに心を寄せます。

 

 ある時、サウル王は自分の一人娘メラブ、サウルには娘が二人おりまして、上の娘、長女を妻に与えるからペリシテ人と勇敢に戦って手柄を立ててこいと命じます。 実はそれは表向きのことで、ダビデを戦死させる策略です。王の婿になるのは、男性にとってまたとない出世です。こんなチャンスを逃す手はありません。ダビデもいつもよりいっそう振い立って戦ったことでしょう。戦死などするわけがありません。勝って帰ります。サウルは約束を実行しなければなりません。しかし、いざその時になって、サウルは娘を他の人に嫁がせてしまうのです。なんと卑怯なことでしょう。ダビデはどんなに悔しい思いをしたことでしょう。(つづく)

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