『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
サムエル記を愛して その34

サムエル記第二・第一一章 暗転、罪の深みに

 

 

 人はなぜ罪に負けてしまうのでしょう。人はなぜこんなにも脆いのでしょう。人はなぜ一瞬の判断ができないのでしょう。人はなぜ自分を治められないのでしょう。

 

 この章からは同じサムエル記とは思えないほどガラリと様子が変わります。突然、すべての光が消え、深い闇の中を黒い人影がごそごそと動く舞台のようです。おぞましい出来事が起きたのです。英雄ダビデ、神と人に愛されたダビデ、ミケランジェロが大理石に刻んだあのダビデが、今では世界中にだれ一人知らぬ者のない大罪を犯すのです、それも、あろうことか、姦淫の罪を、です。なんと恥ずかしく、なんと情けないことでしょう。

 

 ダビデ王家を覆うそもそもの発端は『年が改まり、ダビデは、ヨアブと自分の家来たちとイスラエルの全軍とを戦いに出した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。 ある夕暮れ時、ダビデは床から起き上がり王宮の屋上を歩いていると、ひとりの女がからだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった』1、2節。この不気味な暗雲です。

 

 ダビデは女を呼び入れます。女は身ごもったと告げてきます。ダビデはギクリとしたはずです。その段階で踏みとどまれなかったのでしょうか。次の悪事をたくらみ実行するくらいなら、です。しかし、だれにも暴走する野獣を止めることはできなかったのです。

 

 ダビデは前線にいるヨアブに命じて、女の夫、有能で忠誠心あふれる戦士ウリヤをわざと危険な敵前に出して戦死させるのです。姦淫罪に殺人罪が加わりました。読む者さえ身が震えます。これが、ダビデですかと問わずにはいられません。急に、ダビデ熱が冷めてしまいます。裁判官のようにダビデを責め、裁きたくなります。

 

 確かにその時ダビデにはあの逃亡時代には決してなかった油断があったのです。サタンの入り込める小さな隙間があったのです。人は一年中緊張してはいられないでしょう、ほっとするときも必要でしょう。しかしこの時のダビデは休養とは言えない気の緩み、もう一歩突っ込むと、あまりにもすべてがうまくいっていることからくる放漫心があったのだと思います。頭では神のおかげだと分かっていても、傲慢不遜なサタンの風に身を任せていたのではないでしょうか。

 

 軍隊が戦っている最中に、王宮で昼寝をし、屋上を散歩し、湯あみする女をじっと見てしまう、サタンがあざ笑いながら近づいてくるのは当たり前です。

 ヨアブが『ヘテ人ウリヤも死にました』21節、と知らせてきた時、ダビデはどんな思いで聞いたのでしょう。ヨアブは何事かを察したはずでが、じっと腹に収めるだけで何も言いません。不気味です。

 

 『ウリヤの妻は、夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のためにいたみ悲しんだ』26節が、この章全体に悲鳴のようにあるいは、忍び泣きのように響き渡るのを感じます。バテ・シェバは犠牲者です。それにもかかわらずダビデを誘惑した悪女扱いされるのはどうしたことでしょう。マタイの福音書のイエス様の系図は、ダビデの子ソロモンの母を『ウリヤの妻によって』とわざわざ断り書きをして記していますが、そのわずかな一句に、神の御心を知る思いがします。神はすべてを見ておられ、見逃しはしないのです。列王記にも、王母として貫録を示すバテ・シェバがいて、救われる思いがします。

 

 さて、ダビデは自分の思う通りに事を進め、バテ・シェバの嘆きにも素知らぬ顔をして、喪が明けると待っていましたとばかり王宮に迎えるのです。そばめのひとりくらいにしか思っていないのでしょうか。

『彼女は彼の妻となり』27節、とありますから、特別なお披露目でもしたのでしょうか。すでにダビデの妻としては、ミカルもいますし、あの荒野で娶ったアビガイルもいます。みなひとつ王宮にいるのです。おぞましい気がします。これは時代や文化の違いとして一括りにしていいものでしょうか。

 

 最後の一句が轟音のように響きます。『しかし、ダビデの行ったことは主のみこころをそこなった』27節。みこころをそこなうとは、みこころに傷をつけたということでしょう。心が傷つくとは、ふつうで言えば、信頼を裏切られた時などによく使います。それはすぐに怒りや悲しみに変わります。

 

 ましてや神の『みこころをそこねた』のです。ヨアブは陰険な思いを抱いたまま黙っていたでしょうが、神は黙ってはおられないでしょう。ダビデもまた、心穏やかではないでしょう。『主の霊を注がれ』、『油注がれた』主の器なのですから、平静心を装いながらも、心に差し込まれる認罪の針の激痛に身をよじることもあったはずです。

 ダビデの妻となったバテ・シェバは男の子を生みます。姦淫によって宿った子です。バテ・シェバも不幸なら、生まれてきた子も不幸です。たとえダビデの子であっても。

 

サムエル記を愛して - -
サムエル記を愛して その33

パソコン故障のハプニングと私の怠慢で、更新が遅れました。

 

お詫びします。以後もよろしくお願いします。

 

サムエル記第二・第九章 ヨナタンの忘れ形見への慈悲

 

 ダビデがヨナタンの遺児を探し出して『恵みを施す』というこの出来事は、読む者の涙を誘います。なんと寛大な優しい王様でしょうと、まるでメルヘンの世界を見るようです。世にも幸運なこの人の名はメフィボシェテ。足の不自由な人でした。あの戦乱時に、乳母に抱かれて逃げる最中に地に落とされ、それ以来足に障害が出たようです。そのためか、サウル王の直系、孫でありながなら、危害を加えられることもなく生き延びていたようです。しかし、突然にダビデ王に呼び出されたときはどんなに驚いたことでしょう。サウル王の血を継ぐ者としてついに自分にまで処罰の手が伸びてきたとそう思ったでしょう。

 

 ところが恐れおののくメフィボシェテにダビデは優しく語りかけます『あなたの父ヨナタンのために、あなたに恵みを施したい。あなたの祖父サウルの地所を全部あなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をしてよい』7節。

 

 ダビデの申し出にメフィボシェテは遠くなるような思いになりながらも『このしもべが何物だというので、あなたは、この死んだ犬のような私を顧みてくださるのですか』と、王の真意を知りたくて問うのです。ダビデの真意は『ヨナタンのために』の一点です。かつて、サウルの残忍な刃から命を賭けて守ってくれたヨナタンへの愛と誠意へのお返しです。しかし単なる人間的善意だけではありません。ダビデは神の前でヨナタンと交わした契約を忘れていませんでした。ダビデとヨナタンの真ん中には神が立っておられるのです。   

 

 『私はいつも私の前に主を置いた』詩篇一六篇8節、ダビデの生涯を貫く信仰の柱です。

 

 

サムエル記第二・第一〇章 ダビデ王国の強さ

 

 ダビデの善政は国内だけでなく国外にも及びます。ダビデは不遇時代に助けてくれた人たちを忘れないのです。俗に恩返しという麗わしい習わしもありますが、人はたいていの場合、偉くなったり、苦境から脱出すると自分ひとりの力だけでそうなったかのように思いあがり、忘恩の罪に陥ります。

 

ヨナタンの遺児メフィボシェテを復権させたダビデは、アモン人の王ナハシュをも忘れませんでした。ナハシュが亡くなったと聞くとその息子ハヌンに『真実を尽くそう』として、家来を悔みに遣わします、2節。ところが、アモン人にはダビデの真実は通用しませんでした。使いの者たちの命こそとりませんでしたが、ひげを半分そり落とし、衣服も半分に切って人前には出られない屈辱を与えたのです。さらにダビデを疑って、周辺のアラム、ツォバ、マアカ、トブから兵を雇い、戦いを仕掛けてきます。こうなったら和平交渉の余地はありません。ダビデはヨアブを先頭に、全軍を投入して戦います。ヨアブは巧みな戦術で打ち負かします。アモンは逃げてしまいます。ところが、アラムは団結して新たに戦いを挑んできます。今度はダビデ自身が先陣を切り、連合軍を壊滅させ、アラム以外の弱小民族は和を講じてイスラエルのしもべになります。アラムもイスラエルに恐れをなしてアモン人を救いません。

 

この一連の戦いでダビデ王国はますます強大になっていくのです。

サムエル記を愛して - -
サムエル記を愛して その32

2019年5月1日から、私達の愛する国は、外見の上で形が変わりました。

天皇が変わり、その天皇の時代を表す元号という日本独特の呼び名も変わりました。

ずっと西暦で通してきたので、それを続けますが、

上に立つ人たちがその託されている使命を果たしてくださるようにと祈ります。

 

 

サムエル記第二・第七章 ダビデ家祝福の約束

 

 ダビデは都エルサレムに杉材の王宮を建てて内外にその力を示します。今やだれひとり逆らう者はなく、ダビデは絶頂期です。その中でふと心をよぎるものがありました。神の箱を安置してある建物のことでした。自分は真新しい木の香の匂う王宮に安楽に暮らしているのに、神の箱、いわば神は、出エジプト以来の粗末な天幕におられる、そのことが気になったのです。さすがはダビデです。

 

 ダビデは心の内を預言者ナタンに打ち明けます。ダビデとナタンは麗しい信頼関係にあったようです。神はダビデに告げよと前置きしてナタンにこんこんと言い含めます。

 

 『私がエジプトからイスラエル人を導き上った日以来、――なぜ、わたしのために杉材の家を建てなかったのかと一度でも言ったことがあろうか』6、7節。よけいな心配はするなと言わんばかりです。慈愛に満ちた親心のような言いぶりです。さらに神は『主はあなたのために一つの家を造る』11節、と未来を語り始めます。ご計画、予言、秘め事と言ったらいいのでしょうか。いままでだれにも明かしたことのない奥深い心中の思いでしょう。『あなたの身から出る世継ぎの子をあなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる』12節。ダビデはナタンから聞かされる神の約束に震えるほど感激したことでしょう。

 

 しかしダビデには『一つの家、とこしえの王国』が、イエス様が王となる神の国であることをどこまで知っていたか、疑問です。ダビデは自分の世だけでなく子々孫々にいたるまで守り栄えさせてくださると解釈して感動しているのです。

 

 

サムエル記第二・第八章 強固になるダビデ王国

 

  ダビデは杉材の王宮に住むようになっても、王座に鎮座してはいませんでした。神から孫子までの祝福を約束されても恵みに溺れて怠慢になることもありませんでした。この章にはその後のダビデの働きぶりが克明に記されています。ペリシテの都市を奪い、モアブ、アラム、アモン人、ツォバ、アマレクなど周辺諸国を降伏させ、貢物をおさめさせ、奪い取った莫大な量の金、銀、銅は主に聖別してささげました。

 

 国内においては『ダビデはイスラエル全部を治め、その民のすべての者に正しいさばきを行った』15節、のです。ダビデは勇敢な戦いの将であり、民には公平な善王であり、神には忠実な信仰者でもあったのです。イスラエルにはこのあともダビデほど立派な王は出ませんでした。ダビデほど神に愛された王はいませんでした。

 

 ただし、『こうして主は、ダビデの行く先々で彼に勝利を与えられた』と、6節、14節の二回も記されているのは見逃せません。神が、ダビデとの約束を誠実に守られた証拠なのです。神の加護なくしてはできないことでした。

 

 章の最後の部分にはダビデ王を直接支える部下たちの名が職名とともに記されているのは興味深いことです。筆頭にツェルヤの子ヨアブは軍団長とあります。ヨアブの名は四章以降見ませんでしたが、軍団長としてなお健在のようです。彼はダビデに一物あるはずです。ダビデもまた心ゆるしていないはずです。二人の関係にそっと注目していきます。

 

サムエル記を愛して - -
サムエル記を愛して その31

 桜を待ち、桜が咲き出すと心を奪われ、満開になれば

散り始める花を惜しんでいつまでも見とれ

 瞬く間に日々が過ぎてしまいました。ご無沙汰をお詫びします。

 また、心あらたに書き続けます。よろしくお願いします。

 

 

 

サムエル記第二・第五章 ダビデ王国誕生 シオンの丘の王宮

 

『ダビデは三十歳で王となり、四十年間王であった。ヘブロンで七年六か月ユダを治め、エルサレムで三十三年全イスラエルとユダを治めた』4、5節。

 サウル家は跡継ぎがいなくなったので、残された長老たちはベブロンに来て平伏し、ダビデに全イスラエルの王になってほしいと、王の座を差し出します。 ついに、ついに、ようやく、ダビデは主の約束通り、ユダとイスラエルを合わせた全イスラエルの正式な王に就任します。

 

 サウル王とヨナタンが戦死してから七年半が経っていました。この期間はダビデには最後の忍耐であったでしょう、また、神のテスト期間だったともいえます。ダビデは決して焦らず、自分から走り出すことなく、与えられるまでじっと待ったのです。ここにダビデの強い信仰と、神へのゆるぎない信頼が現れていると思います。こうしてユダとイスラエルの民意が一つになりました。満場一致、満月のようです。

 

 ダビデはシオンの丘に王宮を建てます。たぶんサウルには王宮はなかったでしょう。

『ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、主が彼とともにおられた』10節。ダビデ王国は主がともにいます国であり、王国の真の王は神ご自身なのです。国内が安定すると同時にペリシテ人が挑んでいきます。ダビデは必ずことを始める前に主に伺い、主の御声をしっかり聴いてから行動に移ります。

 

サムエル記第二・第六章 神の箱ダビデの町へ

 

 第一サムエル記でたびたび騒動を起こした神の箱がまた登場します。神の箱はその時まで約七十年間、バアラ(キルヤテ・エアリム)のアビナダブの家に安置されていたのです。ダビデはそれを自分の王宮のあるダビデの町に運ぼうとします。イスラエルの王としての立場を強固にするねらいがあったかもしれません。主のみこころにかなったことなのか、ダビデ自身の欲求からなのか、そのあたりも推測するのみです。

 

 ダビデはイスラエルの精鋭三万人とともにアビナダブの家へ行き、神の箱を新しい車に乗せて運び出します。車のそばにはウザとアフヨがついています。道中、人々は歌を歌い、立琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らして喜び踊りながら、凱旋将軍の入城のような華々しい行列を見守ります。

 

 ところが車が傾いたので御しているウザがとっさに手を伸ばして神の箱を押さえます。もしウザが押さえなかったら神の箱は転がり落ちていたでしょう。しかし、ウザはその場で息絶えて死んでしまいます。とんでもないことが起こったのです。神のわざであることは明らかです。『ダビデの心は激した』8節、と聖書は言います。極度の驚きと戸惑いでパニックに陥ったということでしょうか。全イスラエルも大きなショックだったでしょう。

 

 神がストップをかけたことは明らかです。ダビデは何かを察したのでしょう、すぐに神の箱運搬行事の中止命令を出します。王の名において行われた国民的一大イベントを途中で打ち切るのは容易なことではなかったでしょう。面子は丸つぶれ、大恥をかき、王の威信にも傷がついたでしょう。しかし、ダビデの判断は正解だったと思います。強引に進めなくてよかったのではないでしょうか。ダビデの偉さはこうしたことにもあると思います。

 

 神の箱は近くのオベデ・エドムの家に預けられます。ダビデはまたも忍耐するのです。三か月して、オベデ・エドムの家が祝福されたのを知って、平安と確信が与えられたのでしょうか、運搬行事を再開します。前回にも増した賑々しい行列が進みます。ダビデは『亜麻布のエポデを身にまとい』全身全霊を注いで『主の前で踊った』14節。箱は特別に設置された天幕に安置されます。まだ神殿はないのです。その前で礼拝が捧げられ、民にはお祝いのごちそうが配られます。

 

 ところが、国中を挙げての大祭りのさなかに、ヒヤッとすることが起きます。ダビデ家に、です。喜び勇んで帰宅したダビデを、妻のミカルが冷やかに皮肉タップリに迎えるのです。ミカルとはサウル王の娘です。ダビデにとっては雲の上の女性だったでしょう。ところがサウルはダビデ殺害の道具に我が娘を利用します。一度はダビデの妻になりますが、まもなくパルティエという人に与えられるのです。

 

 ダビデはサウル亡きあとミカルを再び取り戻します。ミカルは日本の戦国時代を思わせる不幸な女性です。心は痛みすさんでいたでしょう。かつて愛したダビデにも心開けなくなっていたと思われます。ダビデもまた次々にそばめを作ってミカルを裏切っています。 

 

 ミカルを取り戻したのも他にサウル家の血筋を残さないためであったかもしれません。

サムエル記を愛して - -
サムエル記を愛して その30

サムエル記第二・第三章  ダビデ家とサウル家の戦いとアブネルの死

 

 いままで、国が一つになって外敵と戦ってきた全イスラエルは、この後しばらくはダビデの家とイシュ・ボシェテのサウル家との戦いが続きます。いわば内戦です。ダビデが全イスラエルの正式の王になるためにはこうしたプロセスが必要なのでしょう。

 

 次第にサウル家の勢いは弱くなります。サウル家では将軍アブネルの力が強くなり、イシュ・ボシェテは形だけの王にすぎず、アブネルに抵抗できません。

 

 アブネルがどのような人であったか詳しくはわかりませんが、前章で、ヨアブに無益な戦いは止めようと呼び掛けていますし、イシュ・ボシェテにも長老たちにも、神は『ダビデの手によって…イスラエルを…すべての敵の手から救うとおおせられている』18節、と告げ、イスラエルをダビデのもとに一つにしようとします。神のご計画を感じ取っていたのかもしれません。

 

 ダビデは彼の真意を受け入れ、会見に応じ、契約を結びます。ところがヨアブは自分の留守の間にダビデがアブネルを歓迎したことを知り、怒りを込めてダビデをなじり、密かにアブネルを追いかけて殺してしまいます。弟アサエルのための復讐が込められていたのは確かです。またダビデの心を捕えたアブネルへの嫉妬があったと思われます。

 

 ダビデはアブネルの死を知ると直ちに側近の者に伝えて、衣を裂き荒布を着て嘆き悲しみ、泣きながら彼をヘブロンに葬ります。サウル王が死んだ時とちょうど同じように哀歌を歌います。全イスラエルはダビデがアブネルを殺したのではないと知るのです。

 

 

サムエル記第二・第四章 ダビデ家とサウル家の戦い、イシュ・ボシェテの死

 

 ダビデが自分の敵であるサウル王やアブネルの死を悼み悲しむ姿に、政治的なゼスチャーを感じないわけにはいきません。自分を苦しめたり、不利になる人がいなくなるのはむしろ喜ばしいことです。積極的に手を加えたわけではないのですから、これこそ神のみわざだと公言してもいいはずです。人々も大いに納得するはずです。しかし、ダビデはそのようにはしないのです。いたずらに人心を刺激し、犠牲者を出したり、敵を作ることを避けています。王になることを決して急ぎません。一つ一つていねいに処理して行きます。まるで神と呼吸を合わせているようです。

 

 また新しい難事が起こりました。サウル家のことです。イシュ・ボシェテは頼りにするアブネルが『ヘブロンで死んだことを聞いて、気力を失った』1節、のです。アブネルが自分を見限ったことはすぐに知ったことでしょう。略奪隊長のバアナとレカブは、王イシュ・ボシェテに従っていても将来のないことを察したのか、自分たちの仕える王を殺してしまいます。大いなる裏切りです。さらに二人はイシュ・ボシェテの首を持ってダビデのもとに走り、得々と自分たちの手柄を語ります。ダビデに賞賛され、取り立ててもらおうとの下心が見え見えです。

しかし、ダビデが彼らをどのように扱ったかは、もう読者はわかっています。

 

 ダビデは直ぐに彼らを始末させ、イシュ・ボシェテを丁重にアブネルのそばに葬ります。

サムエル記を愛して - -
サムエル記を愛して その29

サムエル記第二・第一章 サウル王とヨナタンの戦死を悼むダビデ

 

 サムエル記第一の最後の章に見るように、イスラエルはペリシテに破れ、サウル王もヨナタンも戦死します。ダビデはこの戦いには加わることができない状態にあり、ツィケラグに留まっていました。そこへ戦場から逃れてきて一人のアマレク人が、サウルのとどめを刺したのは自分であり、証拠としてサウルの王冠と腕輪を見せます。ダビデに褒められ、褒美をもらえると確信していたのでしょう。

 

 ところが、ダビデはいきなり衣を裂き深い悲しみを表わしました。家来たちもいっせいに倣いました。そして『サウルのため、その子ヨナタンのため、また、主の民のため、イスラエルの家のためにいたみ悲しんで泣き、夕方まで断食した』12節、のです。

 

 ダビデはサウルから逃れて荒野を逃亡している時も、なんどかサウルを撃ち取れるチャンスがあったのですが、そのたびに『主に油注がれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう。主は必ず彼を打たれる。その生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ』と公言して神の時を待っていました。いま、サウルはついに、『戦いに下って滅ぼされ』たのです。しかしダビデは喜びを表に出すようなことはしませんでした。   

 

 あの災厄の月日を思えば、断食までして悲しむのは本心だろうかと勘繰りたくなりますが、ポーズにしろ、ダビデの態度は民の心を捕え、無駄な混乱を避けるのに有効であったと思われます。深謀遠慮、さすが大物と言えます。ヨナタンのためには、読者もウソ偽りなく、本心から泣き悲しみます。

 

 

サムエル記第二・第二章 ユダとイスラエルの戦い  

 

 一章後半のダビデの哀悼の歌は胸に迫ってきます。サウルとヨナタンを『勇士たち』と呼んで偉業をたたえ偲んでいるダビデを知るのは、ダビデ理解にさらに大きな一役になります。ダビデは戦士であり、政治家であり、同時に感性豊かな詩人であり、なによりも神を愛する信仰者なのだと思います。

 

 サウル王が戦死し、王子ヨナタンも亡くなったので、ダビデはすぐにでも新しい王に就任できると考えてしまいますが、実際問題はそんなに簡単ではないようです。ダビデは神に油注がれた人でしたが、現実の立場は王から追われていた逃亡者であり、最後の戦いには加わっていなかったのです。ダビデは主の言われる通り、まず、ヘブロンに入ります。

 

 やっと自国に入ったのです。そこへ同じユダ部族が集まってきてダビデに油を注ぎ、ユダ部族の王にします。全イスラエルの王ではなく、単に出身部族の王です。ところが、サウルの将軍アブネルはサウルの息子イシュ・ボシェテをユダ族以外の全イスラエル部族の王とします。イスラエルには二人の王がいて、国が二つに分かれたことになります。

 

 ダビデ側の将軍はヨアブ、イシュ・ボシェテ側の将軍はアブネルです。二人の将軍の背後には軍隊があるのです。お互いに敵同士の意識があります。

 

 ある時、ギブオンの池の両側で二つの軍隊は小競り合いを起こし、アブネルはヨアブの弟アサエルを殺してしまいます。しかし大きな戦いには発展しませんでした。しかしヨアブは弟を殺したアブネルに復讐心を抱いたことは確かです。

 

サムエル記を愛して - -
サムエル記を愛して その28

 

 

2019年新年おめでとうございます。

いつも小さなブログ「聖書の緑風」をご愛読くださり感謝申し上げます。

できるだけスピーディーにアップしたいと存じます。

どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。

イエス・キリストの恵みが豊かにありますように

お祈り申し上げます。

 

サムエル記第一・第三一章(終章)ペリシテとの戦い サウルもヨナタンも戦死

 

 いよいよ最終章に入ります。ざっと振り返ってみますと、サムエル記第一は、サムエルの誕生にまつわる麗しいエピソードで幕を開けました。サムエルは、イスラエル民族最後の士師として、神のことばを預かる預言者、王政の前の最高位の政治的指導者でした。

 

 ハンナの祈りや少年サムエルの祈りに続いて、少年ダビデとペリシテの巨人ゴリヤテの一騎打ちがあり、国中の人々の血を沸かす戦士ダビデの活躍がありました。

 

 しかし、初代の王サウルの不信仰と愚行によって、国の空は暗雲に覆われ、英雄ダビデは命を狙われて逃亡の月日を送らねばなりませんでした。この書の後ろ三分の一はダビデの逃避行記です。たった一人の人の、たった一人の人への嫉妬とねたみによる精神の狂乱が聖書の世界を圧しています。一見、無意味に思えますが、神には深いお考えがあってのことだと思います。それは、今、聖書を開く私たちに大事なメッセージを発信しているのでしょう。聴き取り読み取る信仰と知恵が必要だと思います。

 

 さて、最終章です。ダビデがペリシテの僻地ツィケラグに留まっている間に、ついに戦闘の火ぶたは切って落とされました。

 戦況は残念ながらペリシテが優勢です。イスラエルは敗走し、ギルボア山で次々に戦死します。まず、サウルの息子たちのヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアが打たれます。さらにサウルは一斉攻撃を受け重傷の中で自ら命を絶ちます。これはサムエルの予言通りです。サウル家の勇士は全員死に果てるのです。

 

 ダビデはこの戦争には加わっていません。この章にはダビデの姿は片鱗も現れません。サウルの死についてはダビデは指一本係わっていないと強調しているようです。事実、これは後々ダビデが次期の王に就くためには極めて重大なことなのです。ダビデはサウルの死に関しては潔白であることがすべての人にあきらかにされねばなりません。神はそのように導かれたのです。荒野の流浪の中で、ダビデは洞穴に潜みつつも一貫して主張してきたとは『主に油そそがれた方に手を下すことなど、主の前に絶対できないことだ』24章6節、また『主に油そそがれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう。主は必ず彼を打たれる。その生涯の終わりに死ぬか、戦いに下って行ったときに滅ぼされるかだ』26章9、10節、です。この忍耐はだれも真似が出来ないでしょう。

 

 サムエル記にはダビデの弱さや足りなさから生ずるミスや狡猾さがいくつか見られますが、全体として光るのは主への畏怖と信頼です。主への徹底した従順です。人の心を見る神は、ダビデの砕かれた悔いた心を喜ばれたのだと思います。

 

 イスラエルの指導者を打ち取ったペリシテは、その遺体から武具をはぎ取ってアシュタロテに奉納し、遺体はベテ・シャンの城壁に曝します。イスラエル側のヤベシュ・ギレアデの人たちはかつてサウルにアモン人から救われたことを覚えていて、夜通しあるいて遺体を降ろして、町の柳の木の下に葬ります。

 一大悲劇はひとまず幕となります。それにしてもヨナタンの死には涙がこぼれます。 

                                        (つづきます)

 

 

サムエル記を愛して - -
サムエル記を愛して その27

サムエル記第一・第二九章 ペリシテのダビデ

 

 イスラエルはイズレエルに、ペリシテはアフェクに陣を敷き、両軍とも戦闘態勢は万全に整いました。ダビデと部下たちはアキシュに従って出陣しました。

 ところが、ペリシテの首長たちは自分たちの中にダビデがいるのでびっくり仰天します。ゴリヤテを倒したあのダビデではないか、その後もペリシテとの戦いでは連戦連勝し、自分たちをさんざん痛い目に合わせた、あのダビデではないか、いったいこれはどういうことだと、アキシュに詰め寄ります。

 アキシュは事の次第を説明しますが、首長たちは絶対に受け入れません。いざというときに『私たちを裏切るといけませんから』4節、ここから帰してくれと言います。ダビデと自国の首長たちの間に立ってアキシュは困ってしまいます。そこで、ダビデによくよく説明します、そのときアキシュは、自分はダビデを信用している、あなたは神の使いのように正しかったと証しします。アキシュはなんと人がいいのでしょう。ダビデはアキシュをだまし続けてきたのです。信用させるように仕組んできたのです。ダビデの行ってきた真相を知ったら、アキシュは怒りのあまりその場でダビデを殺したでしょう。

 アキシュは『あしたの朝、早く出かけなさい』10節と言って、ダビデに自分の国に帰るように言い含めます。ダビデには幸いでした。まさかダビデは戦い本番でイスラエルを敵に回すつもりはなかったでしょうから。神の助けとしか言いようがありません。

 

 

 

サムエル記第一・第三〇章 主によって奮い立つダビデ

 

 ダビデ一行がペリシテの陣営から自分たちの居住地に戻ってみると、なんと留守の間に町は火で焼かれ、部下の家族をはじめダビデの妻たちも一人残らず連れ去られていました。アマレクの仕業です。あの荒野の妻アビガイルも略奪されてしまいました。

 あまりのショックに男たちは泣き続け、やがてその持って行き場のない思いはダビデに向かっていきました。全責任はダビデにあるというのです。彼らはダビデを石で打ち殺そうとします。ダビデも極限状態です。そのときでした、『ダビデは彼の神、主によって奮い立った』6節、のでした。これはダビデの様々な欠点を覆う決定的な良いところです。

 信仰に立ったということです。どん底のこのときにこそ、信仰を働かせたのです。ダビデは祭司エブヤタルを通して、略奪隊の後を追うべきかどうかを主に伺います。みこころも問わず、祈りもしないで自分の考えで走り出す愚かさをダビデはしないのです。『追え。必ず救い出すことができる』8節、と主は答えます。

 途中で、まるで誂えたように、アマレクの奴隷で置き去りにされたエジプト人から詳細な情報を得、彼の道案内で、アマレクに追いつき、それこそダビデ一行はあらん限りの力を振り絞って戦い、奪われた家族を一人残らず取り戻します。さらにアマレクが周辺から略奪した多くのものを分捕ってきます。ダビデはそれらを部下たちに公平に分けます。さらにダビデはツィケラグに戻ってから、それらの分捕りものをユダの長老たちに贈るのです。ダビデの知恵に驚きます。その間にいよいよ両軍の戦いが始まっていきます。

- - -
サムエル記を愛して その26

サムエル記第一・第二八章 ペリシテ人に恐れおののくサウル

 

 ペリシテ人がまたもやイスラエルと戦う準備を始めました。アキシュはダビデを護衛に任ずると言います。ダビデは承知するのです。ほんとうにダビデはイスラエルに背くつもりなのでしょうか。

 サウルはペリシテに対抗するためにギルボアに陣を敷きます。

 ところがです、サウルはペリシテ人の陣営を見るとひどく恐れわななくのです、5節。

 サウルは主に伺いますが主は夢にも、ウリムにも、預言者にも答えません。無言です。

主の沈黙ほど恐ろしいものはありません。サウルは半狂乱の有様です。

 ついにイスラエルでは厳禁、見つかれば死罪にあたる霊媒の女を訪ね、占いを頼みます。

 こんな記事が聖書にあるのさえ当惑します。

 霊媒によってサムエルが死の世界から出てきてサウルと話をするにいたっては首をかしげるばかりです。

 しかしサムエルのいうことは、生前よりずっとストレートです。

『あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される』19節。自分と息子たちの死を、明日と言われて、サウルはショックのあまり倒れてしまいます、32節。

 サウルは霊媒女と家来に介抱されてようやく立ち上がるのでした。彼の最期がすぐ先に迫っているのが分かります。主に見放されるとはなんと悲惨なことでしょう。サウルがひとこと神の前に真心から謝罪したなら、赦されたでしょう。残念です。

 

サムエル記を愛して - -
サムエル記を愛して その25

サムエル記第一・二七章 逃亡するダビデ、ペリシテ人の地へ

 

 いったいこの追いかけっこはいつまで続くのでしょう。しかしサウルは継続する状況の中でますます自分の地位の危うさを感じていくのです。神がダビデを選んでいること、近いうちに自分に代わって王座に就くことを予感しているのです。

 

 ダビデもまた自分の日が来ることを確信していたでしょう。神が成就してくださると信じ切っていたと思います。とはいえ、それがいつなのか、どんな成り行きになるのか、プロセスが分らないのです。ダビデは『いつか、いまに、サウルに滅ぼされるだろう』1節、イスラエル国内にはもう身を隠すところはないと考え、『ペリシテの地に逃れるほかはない』とまで思い詰めます。自分は神によって絶対に守られ、やがてイスラエルの王になるとわかっているのに、滅ぼされてしまうと恐れるのです。この心境は理解できません。ダビデは精神的に不安定になったのでしょうか。しかし情けないではありませんか。

 

 ダビデは六百人の部下と家族を連れて、ガテの王アキシュのもとに身を寄せ、都ガテから遠いツィケラグに落ち着きます。そこに『一年四か月』もいました、7節。

この間にダビデはイスラエルの外敵を次々に襲撃し、それらの町々を跡形もなく、つまり証拠を残さないように徹底的に滅ぼしつくします。アキシュには自国イスラエルを責めてきたと嘘を言うのです。嘘をつくのです。アキシュはそれを真に受けて、『ダビデは進んで自分の同胞イスラエル人に忌みきらわれるようなことをしている。彼はいつまでも自分のしもべになっていよう』12節、と考えます。

サムエル記を愛して - -
CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>
PROFILE
MOBILE
qrcode
ARCHIVE
SPONSORED LINK