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みんなのブログポータル JUGEM

聖書の緑風

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』
神のことばである聖書に教えられたことや感じたことを綴っていきます。
聖書には緑陰を吹きぬける爽風のように、いのちと慰めと癒し、励ましと赦しと平安が満ち満ちているからです。
  • 2018.11.15 Thursday - 17:40

サムエル記を愛して その25

サムエル記第一・二七章 逃亡するダビデ、ペリシテ人の地へ

 

 いったいこの追いかけっこはいつまで続くのでしょう。しかしサウルは継続する状況の中でますます自分の地位の危うさを感じていくのです。神がダビデを選んでいること、近いうちに自分に代わって王座に就くことを予感しているのです。

 

 ダビデもまた自分の日が来ることを確信していたでしょう。神が成就してくださると信じ切っていたと思います。とはいえ、それがいつなのか、どんな成り行きになるのか、プロセスが分らないのです。ダビデは『いつか、いまに、サウルに滅ぼされるだろう』1節、イスラエル国内にはもう身を隠すところはないと考え、『ペリシテの地に逃れるほかはない』とまで思い詰めます。自分は神によって絶対に守られ、やがてイスラエルの王になるとわかっているのに、滅ぼされてしまうと恐れるのです。この心境は理解できません。ダビデは精神的に不安定になったのでしょうか。しかし情けないではありませんか。

 

 ダビデは六百人の部下と家族を連れて、ガテの王アキシュのもとに身を寄せ、都ガテから遠いツィケラグに落ち着きます。そこに『一年四か月』もいました、7節。

この間にダビデはイスラエルの外敵を次々に襲撃し、それらの町々を跡形もなく、つまり証拠を残さないように徹底的に滅ぼしつくします。アキシュには自国イスラエルを責めてきたと嘘を言うのです。嘘をつくのです。アキシュはそれを真に受けて、『ダビデは進んで自分の同胞イスラエル人に忌みきらわれるようなことをしている。彼はいつまでも自分のしもべになっていよう』12節、と考えます。


  • 2018.10.20 Saturday - 09:08

サムエル記を愛して その24

サムエル記第一・第二六章 逃亡するダビデ、ジブの荒野のハキラの丘で

 

 アビガイルがダビデ一行に加わったからと言ってダビデの置かれている危険が去ったわけではありません。

相変わらず荒野の逃避行が続いています。

 

 ジブ人たちがサウル王に密告します、ダビデはジブの荒野のハキラの丘に隠れていると。

 サウルはすぐに例のごとく精鋭三千人を引き連れて追いかけます。前回のエン・ゲディの荒野とよく似た状況です。サウルが来たことを知ったダビデは、部下のアビシャイとたった二人で夜陰に乗じてサウルの陣営の、しかもサウルの寝所へ忍び込んでいくのです。ダビデは何を考えているのでしょう。サウルの手から逃れようと逃げ隠れしているさなかではありませんか。それこそ、飛んで火にいる夏の虫ではないでしょうか。

 

 ダビデはサウルが寝入っているそばまで行き、枕元の槍と水差しを奪ってきます、12節。アビシャイは主が敵をあなたの手に渡されたのですから、槍で一突きして殺させてくださいと言います。ところが土壇場でダビデは『主に油そそがれた方に手を下すなど、絶対にできない』11節、といって去っていきます。

 

 安全なところまで来たとき、ダビデはサウルの腹心ネルの子アブネルに、サウル王の槍と水差しを取ってきたことを明かし、家来としての怠慢をなじります。

 気が付いたサウルが『わが子ダビデよ』17節、と呼びかけます。ダビデは前回とほとんど同じように自分には王への悪意はないと弁明します。サウルはまたもダビデの正しさを言明し、自分の家に帰っていきます。それだけです、何の解決もありません。 

 

 


  • 2018.09.24 Monday - 14:58

サムエル記を愛して その23

サムエル記第一・第二五章 逃亡するダビデ、カルメルでのアビガイルとの出会い

 

『サムエルが死んだとき』で始まるこの章はイスラエルの悲しみの極みを示しながらも、新しい風が吹き込んでいるのを感じさせます。逃避行を続けるダビデへの神の慰めの風です。サムエルの葬儀にはダビデも列席しました。『イスラエル人はみな集まって』1節、とありますからサウルも出かけたでしょう。しかし、和解はなかったようです。

 

 ダビデはさらに南のパランの荒野に身を隠します。この章はサウルとの行き詰るような対決はありません。それどころかサムエル記で最大の見せ場ともいえる出来事が展開します。一人の女性の活躍物語です。

 

『パオンにひとりの人がいた。彼はカルメルで事業をしており非常に裕福であった。そのころ彼は羊の毛の刈り取りの祝いをしていた。名はナバルといい、彼の妻の名はアビガイルといった。この女は聡明で美人であったが、夫は頑迷で行状が悪かった』2、3節。

 

 ここにサムエル記の特徴ある記述スタイルがまた姿を現します。『むかし、むかしあるところに――』式です。興味津々です。ナバルとアビガイル夫婦、ダビデがどんな事件に絡まっていくのでしょう。

 

 ナバルが羊の毛の刈り取りの祝いを開きます。この人は羊三千頭を持っていましたから、収穫量は莫大です。収穫感謝の宴も豪華であったでしょう。近隣の富豪や名士を招待して自分の富を誇り賞賛と権力を得るためでしょう。それを聞きつけたダビデは若者十人を遣わして、祝いを述べ、さらに祝宴の分け前に与りたいと申し出ます。これは当時の習慣だったのでしょう。ダビデが賤しい無心をしたわけではないのです。その際ダビデは、常日頃自分たちはナバルの羊飼いたちと同じ地域にいて、事あるごとに羊飼いたちを守り助け、親切にした。だから『手もとにある物を与えてください』8節、と言わせます。

 

 ふつうならすんなりと進むことなのです。ところが相手が悪すぎた、ナバルは『頑迷で行状が悪かった』のです。ナバルは口汚くダビデの若者たちを罵り、野良犬のように追っぱらってしまいます。

 

 さあ、それを聞いたダビデの血が沸騰してしまいました。キレてしまったのです。ダビデはすぐに『めいめい自分の剣を身につけよ』13節、と命じ、自分も先頭に立ってナバルのもとに襲撃を掛けようとします。報復です。

 ナバルの方では、若者の一人が事の次第を妻のアビガイルに伝えます。主人はせっかくダビデが祝辞を言付けてきたのに彼らをののしって帰した。このままでは済まない、彼らは報復する、災いが降りかかってくることははっきりしています。『あなたはどうすればよいかわきまえてください』17節。若者はナバルを信用せず、アビガイルに訴えたのです。

 

『聡明で美人』のアビガイルはとっさにすべてを悟り、何をしたらいいのか判断します。

『そこでアビガイルは急いそいでパン二百個、ぶどう酒の皮袋二つ、料理した羊五頭、炒り麦五セア、干しぶどう百ふさ、干しいちじく二百個を取って、ろばに載せ』18節、若者の後をついて自ら出かけます。

 

 途中で、手に手に剣を振りかざしたダビデ一行と出会います。アビガイルはダビデの前にひれ伏して夫の非礼をわび、命がけの嘆願をします。『どうか、あのよこしまな者、ナバルのことなど気にかけないでください。あの人はその名のとおりの愚か者です』25節、さらにアビガイルは『主がご主人さまをしあわせにされたなら、このはしためを思い出してください』31節とまでいいます。アビガイルの訴えは24節から31節まで延々と続きます。ここには愚かな夫を承知で仕える妻の悲しさがにじみ出ています。また『私を思い出してください』と、女性ならではの情に訴える説得があり、アビガイルの聡明さが全開しているのを感じます。

 

 ダビデは『もしあなたが急いそいで私に会いに来なかったなら、確かに、明け方までにナバルには小わっぱひとりも残らなかったであろう』34節、と言い残し、多量の贈り物を受け取って殺意に弾む息を鎮めて自分を制し、引き上げていきます。

 

 アビガイルはおそらく聖書中では最高に成熟した大人の女性ではないでしょうか。正確に状況を見る目、的確な判断力、すばやい行動力、人の情に触れて動かす説得力などすべてを身に着けた熟女です。『聡明で美人』とは言い得た評価ではないでしょうか。

 

 この件は夫ナバルに内緒でした。アビガイルは夫の性質を知り抜いていたのです。一見夫を欺いたように見えます。翌日、祝宴の酔いがさめたところで一部始終を話したところ、ナバルは驚きのあまりひとことも言わないうちに意識不明になり、十日後に死んでしまいます。神のさばきといって差し支えないでしょう。

 

 しばらくしてダビデはアビガイルに結婚を申し込み、アビガイルも一切のしがらみから解放されてダビデの妻になります。ダビデが試練の荒野で見つけた香り高い花です。


  • 2018.08.26 Sunday - 21:13

サムエル記を愛して その22

サムエル記第一・第二四章 逃亡するダビデ、エン・ゲディの荒野で

 

 前章の最後で、サウルはダビデ討伐のさ中に、侵入してきたペリシテ人と戦うためにそちらに向かいますが、一段落したのでしょうか、すぐにまたエン・ゲディの荒野にいるダビデを追かけます。今度はイスラエルから精鋭三千人を率いています。強い殺意に満ちているのです。

 

 ところが、とあることが起こります。ダビデたちが洞穴に隠れ潜んでいた、その同じ洞穴にサウルが用を足しに入ってきます。これはサウルを打つ絶好のチャンスです。ダビデの部下たちは、神の時だと色めきます。ダビデはおもわずサウルの上着の裾を切り取るのです。いのちではなく衣服の一部ですが、チャンスは十分あったのです。しかしダビデはあとでそれすらも主の前に悔い『油そそがれた方に手を下すなど、絶対にできない』6節と言って部下たちを制します。ダビデはただ神だけを見上げているのです。

 

 サウルが出ていくとダビデは呼びかけます。これは勇気のいることです。サウルの一声でイスラエルの精鋭三千人が襲い掛かってくるかもしれないのです。弱者も交えた六百人のダビデ部隊はかないっこありません。

 

 ダビデは初めてサウルに訴えます。涙ながらにでしょうか、身を低くして、『あなたはだれの後を追いかけておられるのですか、一匹の蚤を追っておられるにすぎません』14節。自分に殺意のないことを、サウルの衣の裾をみせながら弁明します。さすがのサウルもダビデの誠意を認め引き上げて行きます。ここでもまた神はダビデを守ります。


  • 2018.08.04 Saturday - 07:08

サムエル記を愛して その21

サムエル記第一・第二三章 逃亡するダビデ、ジブの荒野を転々と

 

 ダビデのもとにペリシテ人が近くのケイラの町を責めているとの知らせが届きます。

 戦士ダビデはじっとしてはいられません。

 主に訊くと「ケイラを救え」と言われます、2節。

 ダビデは逃げ隠れする身でありながら勇敢に戦い、ペリシテに大損害を与えてケイラを救います。しかしこれは危ない橋なのです。ケイラの人々にとってはありがた迷惑だったかもしれません。サウルが黙っているわけがありません。攻めてくることは自明のことです。サウルの手にかかれば先のノブの町のような目に遭うかもしれないのです。

 

 ダビデが主に伺うと「サウルはケイラに攻めてくる」、

「ケイラの住民はダビデをサウルに引き渡す」と言われます。主のお答えは無情です。ダビデは立つ瀬がありません、絶体絶命ともいえます。

『そこでダビデとその部下六百人はすぐにケイラから出て行き、そこここと、さまよった』13節。

 幸いダビデがいないのでサウルはケイラ討伐を中止しました。

 サウルはダビデだけが目当てです。その執拗さは異常です。

 

 およそ一〇から二〇キロ圏内の荒野を逃げあるいは追いかけて、まるで鬼ごっこのようです。

 大の大人、しかも一国の王とその武将が命を懸けてすることでしょうか。

 マオンの荒野では山の両側を両軍が追いつ追われつになります。ダビデは不利です。

 

 そのときでした『ペリシテがこの国に突入して来ました』27節。サウルはあわてて引き返します。

ダビデは危機一髪のところで難を逃れます。


  • 2018.07.15 Sunday - 14:11

sサムエル記を愛して その20

サムエル記第一・第二二章 逃亡するダビデ、アドラムの洞穴

 

 アヒメレクのところでドエグを見たダビデはサウルを恐れてペリシテのガテの王アキシュの所に行きますが、ダビデだと見破られると狂人を装って逃げ、再びイスラエル領内の荒野にあるアドラムの洞穴に隠れます。狂人のふりまでして逃げるダビデには戸惑いを感じますが、こんなところでむざむざ死ねるものかと思うダビデの心中も察しが出来ます。単に命が惜しいのではなく、主に油注がれた者としての強い使命感、責任感、誇りがそうさせているのだと、よい方に解釈してしまいます。

 

 洞穴にいるダビデのもとには一族をはじめ、弱者や不満分子が続々と集まってきて、四百人もの一大集団に膨れ上がっていきます。ダビデは両親だけはモアブの王に託します。

 

 一方サウルはギブアでダビデの居所を知ります。サウルは家来たちに向かってくどくどしく自己アピールをし、ダビデの価値を下げようとします。その愚痴をノブの祭司アヒメレクの所に居合わせたドエグが聞き、アヒメレクがダビデを助けたことを告げます。

 

 さあ、サウルの怒りはアヒメレクに集中しました。

早速、アヒメレク一族はサウルの前に呼び出され、詰問された上、皆殺しにされようとします。しかしサウルの家来たちもさすがに神の祭司たちに手出しをしません。

 

 ところが狂ったサウルはエドム人ドエグに命じ、エポデを付けていた八五人の祭司たちを虐殺するのです。さらに、祭司の町ノブを襲撃し、家畜に至るまで殺戮します。これは神への大いなる反逆です。サウルは一片の信仰心も失くしてしまったのです。

 


  • 2018.06.21 Thursday - 14:33

サムエル記を愛して その19

サムエル記第一・第二一章 逃亡するダビデ、ノブの祭司アヒメレクの所へ

 

 ダビデは二度とサウルの前には出られません。見つかれば命を奪われることは必定です。本格的な逃避行が始まりました。ここから終章まで、サムエル記第一の三一章のうち、実に一〇章が逃亡物語で埋められているのです。これがダビデの生涯の事実とはいえ、神がダビデにこうした苦難を通らせ、また詳細に記載する意図はどこにあるのでしょうか。

 

 理不尽なことが降りかかってきた時、立ち向かっていかないでひたすら逃げるのがよいと教えておられるのでしょうか。《三六計逃げるにしかず》を推奨しておられるのでしょうか 悪に勇敢に立ち向かって行くべきではないのでしょうか。負け犬のように逃げるだけでいいのでしょうか。ダビデは逃げ通しました。サウルに逆襲できるチャンスさえ、みすみす放棄するのです。机上で物語と追う者としては歯がゆくてなりません。

 

 さて、ダビデはおそらくごく少人数で安全なところを祈りつつ探して進んで行ったと思われます。まず、エルサレムに近いノブの祭司アヒメレクのところに行きます。ダビデは逃亡しているとはいえかなり冷静です。祭司アヒメレクはあのダビデがなぜこんなところにと、不審を抱きつつも要求に応じて多少のパンと武器を差し出します。

 ころがそこにサウルの配下のドエグが密かに成り行きを観察していたのです。のちにここから大惨事が起こってしまいます。ダビデはドエグを気にしつつも、なすすべがありません。


  • 2018.05.26 Saturday - 21:16

サムエル記を愛して その18

サムエル記第一・第二〇章 ヨナタンの真実

 

 サムエルの所に隠れていることが発覚したからにはダビデはまた王のそばに帰らざるを得ませんでした。しかし危険はいっそう増しています。一瞬も油断できません。ダビデはヨナタンに綿々と自分の無実を訴えます。今やヨナタンだけが頼りです。そしてヨナタンはダビデの信頼を裏切ることはありませんでした。父親の非を認め、サウルからダビデを守ることを誓います。

 

 恒例になっている王との食事会にダビデが欠席したことから、サウルはダビデの肩をもつヨナタンにまで激しい怒りの矛先を向け、なんと息子に槍を投げつけるのです。怒りと悲しみに心痛めるヨナタンは事の次第をダビデに伝えるために野原で密会します。父親の悪をあからさまに言わなければならないヨナタンの苦悩はいかに深いことでしょう。

 

 しかし『ヨナタンは自分を愛するようにダビデを愛していた』17節、のです。ダビデを愛することによって自分の命が奪われることも覚悟で、ダビデを愛したのです。この愛は神が与えたものに違いありません。神はダビデを、ご自分の民のために用いるために、ヨナタンに愛を備えられたのです。とはいえ、ヨナタンは心から激しい熱情でダビデを愛し、ダビデもまたヨナタンの友情にすがり、友情を喜び感謝して、受け入れるのです。

 

 『主が、私とあなた、また私の子孫とあなたの子孫との間の永遠の証人です』42節、といって、神が間に立つ友情であることを確認し約束しあいます。二人は泣きながら抱き合って別れます。ヨナタンはダビデを逃がすのです。

 

 

 

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  • 2018.05.07 Monday - 21:05

サムエル記を愛して その17

サムエル記第一・第一九章 ダビデをねらうサウル王

 

 サウル王は最後の切り札である娘ミカルを使ってもダビデを追い落すことができません。息子はダビデ大好きの筆頭です。サウルの心中には殺意が煮えたぎっているのです。『ダビデを殺すことを、息子ヨナタンや家来の全部に告げた』1節。これが王でしょうか。

 

 ダビデがサウルに謀反を企てたとか、だれもが認める大罪を犯したならともかくも、王の感情だけの問題で一人の人を、それも有能な国家的英雄を亡き者にすると公言するのは全くおかしなことです。ヨナタンは父でありますが盲従してはいません。諄々と父の非を諌めます。このときはサウルは自分の非を認め、ダビデは再び王のそばで仕えます。

 

 しかし長くは持ちません。悪い霊に悩まされると槍を振り上げてダビデを殺そうとするのです。ついにダビデは逃亡します。妻のミカルがそれを手伝うのです。ミカルはダビデを愛していたのでしょう。父を欺いてダビデを逃がします。サウルは息子にも娘にも背かれるのですが同情の余地はありません。

 

 ダビデはついにラマにいるサムエルのもとに逃げていきます。ダビデは初めて気を許し、これまでのいきさつを話します。老いたサムエルはダビデには父親以上、慈愛に満ちた祖父のように思えたことでしょう。しかし、ダビデの居所を知ったサウルはなんども追っ手を遣わすのです。埒が明かないとわかると自ら出向いてくるのです。ここには神の民イスラエルの最高指導者としての姿は微塵も見えません。

 


  • 2018.04.17 Tuesday - 10:13

サムエル記を愛して その16

サムエル記第一・第一八章 ダビデを愛する人たち、妬みと敵意にかられるサウル王 

 

 死んだゴリヤテのかたわらで首を持って立っているダビデを見て、だれが事実だと信じたでしょう。サウル王にしてからが『あれは、だれの子か』とうわ言のようにくり返しています。つい数分前まで兄たちから『なにしにきたのだ』と邪魔者扱いされた羊飼いの少年ダビデは、今や国中の人気者、いや、敵側にまで知れ渡った英雄です。天から飛び降りてきた戦う天使ミカエルのようです。ダビデに心をときめかしたのは乙女たちだけではありませんでした。

 

 サウルの息子ヨナタンはダビデのファン第一号です。王の世継ぎ、王子ヨナタンがです。『ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは自分と同じほどにダビデを愛した』1節。以後、ヨナタンは自分の命をかけて何度もダビデの危機を救い、愛を全うします。

 

 ところが、英雄に試練はつきものですが、ダビデは一番愛されていいはずの王サウルに激しく嫉妬され、ねたまれることになります。《ねたみ》ほど恐ろしいものはありません。ダビデを凱旋将軍のように迎えた乙女たちが手に手に楽器をかき鳴らし『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った』とはやしたてるのを聞くと『サウルは非常に怒り「彼にないのは王位だけだ」』と言って、その日以来、ダビデを疑いの目で見るようになった』9節。

 

 サウルはいつかダビデが自分に代わって王になることを感じたのでしょう、この思いは神がそっとサウルの心に入れたのかもしれません。サウルはダビデを戦いの前線に出して、いつ戦死してもいいように図ります。ところがダビデは行くところどこでも戦勝をあげます。負けを知らないダビデに、サウルはますます恐れおののくのです。主の霊はすでに彼を離れ、ダビデに激しく降っていたのですから、勝敗は明らかです。サウルは次第に重く心病むようになり、時に行動は常軌を逸し、ある時はダビデに槍を投げつけるのです。

 

 サウルの心は邪悪に満ち、姦計をめぐらします。王はダビデに、長女メラブを与えるから勇敢に戦えというのです。王の婿の地位を提供するのです。将軍以上の地位です。国の支配者になれる立場です。男としてこれを望まない者はいないでしょう。女性が王子様の花嫁に憧れるように、ダビデに男性シンデレラの夢があっても不思議ではありません。ダビデだけが特別に野望や功名心が強かったわけでもないでしょう。

 

 ダビデはその気になり、たぶん結婚の準備も具体的に進められていたでしょうに、その直前でサウルは約束を反故にしてメラブを他の人に嫁がせてしまいます。周囲も知っていたでしょうし、当のメラブにショックを与えなかったはずはありません。メラブは国中の乙女たちの熱い羨望を一身に浴びて得意の絶頂に立っていたはずです。もしかしたらメラブは花嫁衣装に身を包んでいた時だったかもしれません。婚宴の直前でひそかに連れ去られたのかもしれません。

 

 これが実の娘にすることでしょうか。サウルは父親でしょうか。メラブがダビデを慕っていたことは当然知っていたはずです。ところが続いて『サウルの娘ミカルはダビデを愛していた』20節、とあります。破廉恥な出来事に続く一節は意味深長です。サウルはまたも娘の乙女心を利用してダビデを殺害しようと企みます。ダビデは真正面からサウルの難題をクリヤー、婿資格テストに合格し、みごとにミカルを妻にします。

 


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