会津若松の火炎 *若松賤子の生涯 その2

*維新の火炎をくぐって・戊辰戦争の犠牲

 

 八月二三日(太陽暦なら一〇月八日)早暁、

賤子はひんやりした秋の空気を頬に感ずると同時に耳を突き破るような轟音に飛び起きた。

「敵だ!」

 祖母が吠えるように叫んだ。

「まだ、お城の鐘が鳴りません」

 母は怯えるように言った。そこへ、警鐘がけたたましく鳴り響いた。

 

 祖母は枕元の袋を素早く背に括り付けると賤子の手を固く握った。このところいつでも飛びだせる身支度で寝ている。母は産み月のお腹を覆うように上着を羽織った。

 祖父と父は戦場に赴いていて、生死さえわからない。

 戸を開ければすでに人の渦であった。

 

 一八六八年戊辰の年、元号で言えば慶応四年、明治に変わる半月前の朝、会津若松は新政府軍の急襲を受けた。先頭を切ったのは土佐の板垣退助が率いる一隊であった。

 

 

 城に一番近い元家老西郷頼母の留守宅に入ると、邸内には二一人の子女たちが自害していた。

 

 籠城を決めた藩主松平容保は堅く城門を閉ざした。

行き場を失った人々は大波のように西へ西へと押され流されて行った。

 賤子はようやく四歳である。何度転んだかわからない。その度に祖母に引っ張り上げられる。祖母の腕は強かった。すぐ後ろにいる母が一歩ごとに賤子の名を呼び続ける。祖母は後ろも見ずに母を励まし「しっかりなされ」と声をかける。

 

 背後から鋭い音を立てて銃弾が耳元をかすめて飛んでいく。火の粉が散ってくる。大砲の轟音と銃声に混じって、悲鳴やうめき声が黒い塊になってぶつかり合っている。地面には怪我人とも死人とも区別のつかない人の体が歩く先々に転がっていた。

 

 ひしめきあう群衆とともに賤子たちは城外へ流れて行った。群れは老人と子女ばかりで

ある。どこをどの位歩いたのだろうか、喉は干からび空腹を抱えて意識さえ朦朧としていた。

母が鋭い叫び声をあげて崩れ伏した。うめき声が続いた。出産が始まったのである。とっさに周囲の人たちが母を抱えて窪地へ連れて行った。

  

 しばらく後、赤ん坊のかん高い泣き声が響き渡った。女の子が生まれたのである。賤子の妹みやであった。みやは、後に賤子亡きあと、残された甥や姪を母代りになって育てた人である。戦乱の地獄絵図は賤子の小さな眼底に鋭く深く刻みこまれ、生涯消えることはなかったのである。その火炎とともに。

  

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『会津若松の火炎*若松賤子の生涯』その1

 

3月を迎えて、新しい思いを与えられました。

世は新型コロナウイスル肺炎の脅威に戦々恐々とし、右往左往しています。

いつ我が身に降りかかってくるやもしれない不安を抱えていますが、

とりあえず、できる限りの防疫に努めながら、

自分の日常をこなしていくしかありません。

全知全能の神に、この世界を救いたまえ、一日も早く収束させてくださいと祈るのみです。

 

 

今日から、数年前に一冊にまとめた作文を掲載していきます。

タイトルは『会津若松の火炎・日本初【小公子】の翻訳者 若松賤子の生涯を追って』です。

一言紹介しますと、若松賤子(しずこ)は明治前半の時代に、日本で初めて『小公子』を翻訳した女性です。日本初の女医第一号荻野吟子の生涯『利根川の風』に続くものです。彼女たちは日本のプロテスタント史上では地味な脇役ですが、生涯をかけた偉業とその熱い信仰は決して見逃すことはできません。貧筆ながら、その生涯を追いかけてみました。

 

★会津若松市宮町の生家跡に建立された文学碑には、『私の生涯は神の恵みを/最後まで心にとどめた/ということより外に/語るなにものもない/若松賤子』と、刻まれています。

★賤子は維新の四年前、一八六四年に会津藩士の子として生まれ、一八九六年に肺結核のためにわずか三二歳の誕生日を前に、三人の子を残して世を去っていきます。

★賤子は戊辰戦争、会津戦争の火炎をくぐり、神の不思議な導きで、横浜に貰われ、日本初の女性宣教師キダーさんの学校に通うようになります。この学校はのちのフェリス女学院です。

★一三歳の時、これも日本初のプロテスタント教会、横浜海岸教会で洗礼を受けています。

 

 

*前がたり・あらすじを兼ねて 

 

 だれでも一度は読んだり耳にしたことのある児童書『小公子』を、初めて日本語に翻訳したのが若松賤子です。明治二三年、結婚の翌年、二六歳の時のことです。結核という当時は不治と言われた病の中で長女を出産した年でもあります。《初めて》とは大変な偉業ですが、若松賤子の名は『小公子』ほどには知られていません。それがいかにも残念です。明治もまだ前半の時に、外国語を習得して翻訳までするとは並みの事ではありません。しかも女性が、です。明治の代になったとはいえ、まだ封建時代からの男尊女卑の風潮は色濃く、女性が高等教育を受けるのさえ容易ではなかった頃です。

 

賤子はどのようにして英語を学んだのでしょう。

 素朴な疑問を追いかけていくと、小説にも勝る波乱に満ちた賤子の生涯が、いくつかの大事件と歴史の情勢を背景にめまぐるしく繰り広げられていきます。大河ドラマ化されてあまねく世に知られることを願うほどです。

 とはいえ、当の賤子は自分の伝記が書かれることさえ禁じたほどに人の賞賛を避けた人です。墓石にも『賤子』とのみ記すように指示しました。

 

津若松市宮町の生家跡に建立された文学碑には、『私の生涯は神の恵みを/最後まで心にとどめた/ということより外に/ 語るなにものもない/ 若松賤子』と、刻まれています。「賤」とは神の前の姿勢です。神の御前には賤しい者でしかないとの低き心を表しており、神一辺倒の敬虔な信仰の象徴です。人の前に自己を誇るような行為を厳しく否定する賤子の意志に深く共感しますが、それだからこそ、筆者としてはそんな賤子が愛しくて、世に紹介したいと思うのです。賤子が身を屈めた神の栄光のためにです。この志なら、さしもの賤子も、同じ神の賤の女である筆者の志を許してくれるのではないでしょうか。

 

 賤子は維新の四年前、一八六四年に会津藩士の子として生まれ、一八九六年に肺結核のためにわずか三二歳の誕生日を前にして三人の子を残して世を去っていきます。

 

 会津藩と言えば、最後まで川幕府に忠誠を尽くしたために、戊辰戦争、会津戦争で激しい戦禍に遭い、維新の怒濤をまともにかぶった悲劇の藩です。賤子の一家も例外ではありませんでした。火の粉を浴びながら山野をさまよった末、やがて横浜に貰われ、日本初の女性宣教師キダーさんの学校に通うようになり、そこで、生の英語に接します。

 

 学校はのちに『フェリス女学院』に発展しますが、第一回の卒業生賤子はそのまま母校の教師になり、女子教育と文学に打ちこみ、まもなく新進の教育者文学者、巌本善治と結婚します。善治は東京麹町に開かれた『明治女学校』の校長として活躍し、女性啓蒙のための『女学雑誌』発行の任も負います。賤子はその雑誌を舞台に、執筆に燃え、前述の『小公子』をはじめ、多くの作品を発表しました。しかし、すでに独身時代から発病していた結核にさらに蝕まれ、結婚してわずか七年、その間に三人の子どもの母となり、四人目を宿しつつ天に帰っていきます。その日は、明治女学校が火災に遭ってほとんど焼失した数日後のことでした。

 

 賤子は、宣教師キダーさんと起居をともにする中で、キリスト教の信仰に導かれ、一三歳の時、これも日本初のプロテスタント教会、横浜海岸教会で洗礼を受けます。以後、生涯にわたってイエス・キリストへの愛と信仰に燃え続けます。信仰は賤子を支える根源であり、活動の中心柱であり、賤子の人格の隅々にまで強い力を及ぼしました。

 

 賤子の信仰の土台は「神を信じた者は聖霊によって新生し、神の子になる」という教えでした。賤子には「神の子」はすなわち「賤の女」であって決して相反したり矛盾してはいないのです。会津戦争の火炎をかい潜った賤子の魂にはイエス・キリストの聖霊の火が清い炎で燃え盛っていたのです。

 なお本著では「若松賤子」を通しましたが、これは賤子のペンネームです。本名は「島田嘉志子」、フェリスでは「おかしさん」と呼ばれ、夫善治は人前でも「かしさん」と友達のように呼ぶので、珍しがられたそうです。

 

 

 

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サムエル記を愛して その43  終わり

 今回で「サムエル記を愛して」は終了です。

長期にわたっての掲載になりましたが、

忍耐を持って愛読してくださった皆様に、

心から感謝申し上げます。

 

サムエル記第二・第二一章〜二四章(終章)  

 

 この章から二四章の終章までは、一般には、付記として扱われています。

今までに書ききれなかったことや前後関係が不明瞭な事柄なのでしょう。思い出して書くと言う作業の中で、順序立てては入れられないが、闇に葬ってしまうわけにもいかない、そこにも神が働いておられるのだからと、選択、収録されたのかもしれません。

 

 二一章では、国を襲った大きな飢饉の原因がサウル王の罪にあることを主から示されたダビデが、その清算をして王国の安泰を得る記事があります。この罪はサウルがギブオン人を滅ぼそうとしたことです。イスラエルとギブオンはヨシュアの時代に和平契約を結んでいたのです。主はサウルの罪を見逃しませんでした。ギブオン人はサウルの子どもたちの命を要求してきます。ダビデは七人を引き渡すのです。サウルの罪をダビデと王国が負うことに違和感を抱きますが、神の支配する国に未処理の罪があってはならないのです。ダビデは王国の最高権力者ではあっても、神様から託された神の国の管理人なのです。

 

 二二章はダビデの賛歌です。『主がダビデのすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、ダビデはこの歌のことばを主に歌った』と前文に説明があります。

見ればこの歌は詩篇一八篇とほとんど同じです。詩篇の中でも有名で親しまれています。しかし詩篇の中の一つとして読むのと、サムエル記の終わりに当たって読むのとでは迫って来るものが違いリアル感が強いのは不思議です。

 前書きの『特にサウルの手から彼を救い出された日に』が、胸に迫ります。救い出された日とはどの時のことでしょうか。確かなことはわかりません。ダビデはどれほどサウルに苛められたことでしょう。いきなり槍を投げつけられることから始まって、三千人の精鋭を引き連れて追いかけられることもありました。その度に危機一髪のところで助かってきました。神が救ったことは明らかです。ダビデもそれがわかればこそ、こうして魂を全開して神を賛美し神に感謝し、美しく歌い上げているのです。

 

 二三章の前半はダビデの最後のことばとされていますが遺言とは違うようです。人生の集大成としての神への賛歌ではないでしょうか。

『義をもって人を治める者/神を恐れて治める者は/太陽の上る朝の光/雲一つない朝の光のようだ/雨の後に/地の若草を照らすようだ』3、4節。実に今や世界はこうしたリーダーを切望しているのではないでしょうか。

後半の、ダビデ軍団、ダビデ王国の勇者の一覧は楽しい限りです。戦いの猛者たちですが、神の国のために選ばれた王ダビデに誇りを持ち、命を賭して仕えた人たちなのです。

 

 二四章の最終章が結びとは思われない記事で終わるのは理解に苦しみます。旅のバックに、思い出して大急ぎで突っ込んだグッズのようではありませんか。しかし内容は意味深長で理解に苦しみます。テーマは聖書の他の箇所でも出てくる人口調査です。国民の数を知るのは為政者にとっては大切ですが、それをどのように用いるかが問われるのでしょう。《数》は所有者の誇りになります。ダビデは、自分の罪がわかるとすぐに悔い改めて償いをします。神へのいけにえは、悔いし砕かれた魂!この姿勢こそ神がもっとも喜ばれる信仰なのでしょう。

 

 ダビデの信仰の結語は《主はわが羊飼い》!!

 

おわりに

聖書の風は止むことはありません。

主の愛には終わりはありません。

これからも永遠に力に満ちたいのちの風をそよがせ続けるでしょう。

しかし、

キャッチする人間のいのちは有限です。

いただいた聖書の風を、いつまで文章化できるか、

それは、神のみぞ知る領域です。

風に吹かれて、風に導かれて、

ペンも持つ手(実際にはキーを叩く手)が動く限り

細々ではあっても

書き続けたいと思ってはいますが

ひとまず手を休めます。

 

ハレルヤ!!

 

 

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サムエル記を愛して その42

 

サムエル記第二・第二〇章 ヨアブの行動

 

 もともと十二部族から成るイスラエル国家ですが、初代のサウルはベニヤミン族出身、ダビデはユダ族から出ています。リーダーを排出する部族は何かと優位に立ちます。要職には出身地の者たちや親族やお気に入りが占めるのは今も昔も変わりがないようです。いわゆる《お友達内閣》でしょうか。先の王サウルのベニヤミン族がダビデに抱く怨念は深いものがあります。今の時代よりもっとすさまじい敵対関係があります。血で血を洗う闘争もありました。

 

 一方、ダビデとアブシャロムの悲劇は、ユダ族の、しかも王家の血縁関係、突き詰めれば単に親子関係のもつれです、そしてその絆の破綻と言えます。しかし単純ではありません。関係者を巻き込んでいきます。利害が絡まって行くからです。今回のアブシャロムの謀反は国中を巻き込み混乱させる迷惑千万な出来事でした。

 

 そのどさくさに乗じてベニヤミン族のシェバというものが、民心を巧みに操り扇動してダビデに反抗します。思わぬ伏兵です。聖書は『たまたまそこによこしまな者で名をシェバという者がいた』と書き出しています。「たまたま」という言葉が面白いです。シェバの謀反は深謀遠慮の末ではないのでしょう。しかし『すべてのイスラエル人は、ダビデから離れてシェバに従った』2節、のです。

 

 ダビデのそばにいるのはユダ族だけです。ダビデは、事件を重大視し、ヨアブに代わって長にしたアマサに三日のうちに全ユダ族を招集せよと命令します。ところがどうしたことかアマサは指定された期限に間に合わなかったのです。理由はわかりません。しかしあってはならないことです。重責を担う資格はないと言えます。アマサは着任早々に失態を演じたのです。

 

 そこへ登場したのがヨアブです。ヨアブはアブシャロムに直接手を下したことから、軍団の長を解任されてしまいました。しかし彼は無冠であってもダビデのそば近くにいたようです。ヨアブはすぐに昔取った杵柄を使ってかつての部下たちを集め、ともにシェバを追います。ダビデは黙認したのでしょう。

 

 ところがそこへかのアマサがやってきます。アマサの行動は理解できません。ヨアブは一突きでアマサを殺してしまいます。なぜ殺さねばならないのかそれもわかりません。ヨアブは過去にも直接、何人も殺しています。残忍な人のように思えますが、その殺人はダビデを助ける結果に繋がっているのも動かしがたい事実です。ヨアブは単に私利私欲で邪魔者を征伐しているのはなく、ダビデを助け王国を守っているともいえます。

 

 ヨアブの存在はダビデにとって、今風に言えばウザったいのですが、いないと困る人でもあるのです。ヨアブもまた、ダビデに一物ありながら、その人のそばにいるほかはない自分を知っているのかもしれません。 

 

 シェバの造反は、ヨアブの知恵で地域の人々の平穏な暮らしを犠牲にすることなく、シェバ一人だけが征伐されて収束します。こうしてヨアブはシェバの首を手土産にビデのもとに帰ります。この章の最後にダビデ内閣の顔ぶれが発表され、ヨアブは全軍の長に返り咲きます。その後のヨアブについては『列王記』で知ることになります。

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サムエル記を愛して その41

サムエル記第二・第一九章  エルサレム帰還の途上で

 

 謀反とはあってはならない非常事態です。子が親に反逆するのを謀反と言うのか、いささか違和感がありますが、ダビデとアブシャロムの場合は、単なる親子の問題ではなく、国を二分するような公の事件だからでしょうか。謀反で有名なのは、信長の家臣明智光秀が起こした本能寺の変がありますが、裏切ったほうも裏切られた方も、表向き勝利したほうも負けたほうも支払う犠牲は大きいものがあるはずです。

 

 ダビデの場合、国中を動員して謀反人を征伐できたのですから、ダビデ側の大勝利といえます。勝利者は歓声をあげて凱旋できるのです。ところがダビデは、我が子の死を嘆いて泣き続けます。これでは命がけで戦った民は立つ瀬がありません。

 

 一番不服に思ったのはヨアブです。ヨアブがダビデの心を知りつつもアブシャロムを打ったのは、ひとえに王国のためでしょう。いつまでもダビデが取り乱していたら、民心はダビデから離れることは自明のことです。ダビデは民をねぎらい、速やかに都に入り元通り王座に着き、政務を執らねばならないのです。一国のリーダーなのですから。

 

 ヨアブはダビデに向かって怒りを込めた口調でなじります。5節から8節まで、ここまで言うかと思えるほど長々と非難します。『もし、アブシャロムが生き、われわれがみな、きょう死んだのなら、あなたの目にかなったのでしょう』6節、と、まるで捨て台詞です。

 

 あの、バテ・シェバ事件ではひとことも言わなかったヨアブですが、ここにきて、ダビデに愛想を尽かしたのかもしれません。堪忍袋の紐が切れたのかもしれません。一方でヨアブは、ダビデに、早く民の前に出て 労をねぎらうようにとのアドバイスを忘れません。この一言でダビデは目が覚めたかのように事後処理に向かいます。ダビデの本領が素早く発揮されます。

 

 ちょっと立ち止まって考えたいことは、ヨアブとは一体どんな人だったのか、です。太陽のような英雄ダビデのそばで、まるで影のように寄り添って支えてきた人なのです。その割には報われません。損な役割です。ダビデのそばに近づきすぎて、ダビデの欠点を知りすぎたかもしれません。それが不信感に繋がってしまうことは世間にはよくあることです。ヨアブこそ謀反を起こしたかったかもしれません。明智光秀のように。この後すぐに、ダビデはヨアブを更迭するのです。思えばヨアブは不運な人です。

 

 さて、ダビデはエルサレム帰還に際して、大義名分を立て、凱旋将軍並みの演出をします。まず、ユダの長老たちに出迎えるようにと告げさせます。全王国の前で威風堂々と都入りをして王たることを再確認させ、威信と信頼を集めたかったのでしょう。一時騒然とした王国も、大嵐は跡形もなく過ぎ去って、今や青空のもとに太陽のように輝く神の国ダビデ王国を民の目の前に見せ、納得させ、民心に安心と希望を与えたかったのでしょう。

 

 ヨルダンの対岸ギルガルは出迎えの群れで大賑わいです。ユダの人々に混じって、ダビデを罵倒したゲラの子シムイ、サウル家のツィバ、メフィボシェテ、八十歳のギルアデ人バルジライなど、これまでに登場したすべての人たちの顔が見えます。ダビデは大いに満足したでしょう。ところが、同じ王国の民でありながら、ユダ部族を除くイスラエルとユダとの間に些細なことから波乱を含んだ緊張が生じるのです。

 

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サムエル記を愛して その40

サムエル記第二・第一七章 親子決戦の前夜模様

 

 都に入って一見勝利者のように見えるアブシャロムですが、このままで済むとは思っていません。父ダビデの命を奪うまでは解決はないと思っています。その積りであり覚悟です。一方、ダビデも息子に都をあけ渡したもののとりあえずの応急処置であり、全面対決の場があると覚悟していたでしょう。

 アブシャロムのそばには、その助言は神のことばのようだと絶対的な信頼を得ているアヒトフェルと、ダビデへの忠誠を心に秘める、これも知恵者のフシャイがいます。アブシャロムはダビデ討伐の作戦を二人に訊きます。二人の意見は正反対でした。アヒトフェルは、自分に兵を与えてくれれば、きっと王だけを撃ち殺してみせると言います。ところがフシャイはアブシャロム自らが全軍を率いて戦いに出ることを進めます。

 アブシャロムはこともあろうか、ダビデの家来であったフシャイの進言を受け入れるのです。見逃せないひとことが続きます。『主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからである』14節。この戦いは主の戦いでもあったのです。主が味方である戦いに敗戦はありません。『神もし我らの味方なれば、だれか我らに敵せんや』です。(文語訳 ローマ八章31節)

 フシャイはひそかにヨナタンとアヒマアツに事の次第を告げ、ダビデには速やかにヨルダン川を渡るようにと助言します。一方、アヒトフェルは失意のうちに自死します。

 

サムエル記第二・第一八章 アブシャロムの心臓を突き通すヨアブ

 

 ヨルダン川を越えてマハナイムに逃げ延びたダビデは、いよいよ決戦の時期が来たと判断すると、長年鍛えた軍人の経験からすばやく戦闘態勢を整えます。『民の三分の一はヨアブに、三分の一をヨアブの兄弟アビシャイに』、2節。残りはガテ人イタイの指揮のもとに置きます。戦略上、ダビデは最前線に立たないことにしましたが、三人の長たちに『若者アブシャロムをゆるやかにかに扱ってくれ』と命じます。懇願とも取れます。ダビデは我が子を惜しんでいるのです。親ごころでしょうか。しかし戦いとは敵の将を射とめて初めて勝利であり終結するのです。ゆるやかに扱うとは何を意味するのでしょうか。

 戦場はエフライムの森。密林で行き倒れになった者の方が多かったとあるように、樹海の様な所なのでしょう。アブシャロムは樫の木に頭が引っかり宙づりになってしまいます。それを見たダビデ側の兵士がヨアブに報告します、10節。彼はたとえ敵であっても王子を打つことはできなかったのです。

 ところがヨアブは『三本の槍を取り、まだ生きていたアブシャロムの心臓を突き通した』14節。ヨアブのしたことは戦いの責任者として当然のことです。しかしことは複雑です。ダビデから、ゆるやかに扱ってくれと直々に頼まれているのです。それはとっくに承知しており、ダビデが自分を赦すまいとはわかっていたはずです。

 戦いは終わりますが、ダビデは『わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに』と、ところ構わず泣きながら叫び続けたのです。

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サムエル記を愛して その39

サムエル記第二・第一六章 ダビデ、アブシャロムの周辺模様

 

 この章は緊迫するダビデの側と空っぽのエルサレムに入ったアブシャロム陣営の様子が同時進行で記されています。二つの舞台を一つの観客席から眺めているようです。両陣営の様子が手に取るようにわかります。

 

 ダビデの逃避行は続きます。はだしで泣きながら登ったオリーブ山からエリコ方面へ下ろうとしています。そこへヨナタンの忘れ形見メフィボシェテに仕えるツィバがたくさんの食糧を持って出迎えます。陣中見舞いでしょうか。ダビデがメフィボシェテの安否を問うとツィバは、主人はエルサレムに、つまりアブシャロム側にいて、サウル家再興に期待していると告げます。それが事実かどうかわかりません。どさくさに紛れて火事場泥棒を働く人がいるものです。敵か味方か、とっさの判別は困難です。

 

 ダビデはツィバを丸ごと信用したのか、メフィボシェテのものはすべてあなたのものだと言ってしまいます。すり寄って来る人がうれしかったのでしょうか。

  ところが、サウル家の一人であるシムイが現れて、ダビデ一行に石を投げつけて悪口雑言の限りを尽くしてダビデを呪います『出て行け、出て行け。血まみれの男よこしまな者。/主はおまえの息子アブシャロムの手に王位を渡した/おまえは血まみれの男だから』7、8節。『血まみれの男』とは、ダビデに敵意を抱く人ならそういう言い方になるのでしょうか。それにもしても失礼千万ではありませんか。人の弱みに付け込む卑怯なやり方です。

 

 ダビデの忠臣で側近中の側近アビシャイは憤慨のあまり『首をはねさせてください』とまで申し出ます。しかしダビデは意外なほど落ち着いて『私の身から出た私の子さえ私のいのちをねらっている。このベニヤミン人としてはなおさらのことだ』11節、と言い聞かせます。他人が言うならそんな理屈も成り立つでしょうが、命の危険にさらされている渦中で、どうしてこうまで悟りきったことが言えるのでしょう。自分の罪を思い出しているのでしょうか。あのバテ・シェバ事件を、です。ウリヤを殺させたことは忘れようとしても忘れられない悔いとなっているのでしょう。シムイの悪態も、主がさせているのだと甘受しているのです。徹底的に打たれ砕かれる姿に、むしろ清々しさを感じます。

 

 ダビデ一行は心身ともにへとへとに疲れ果ててしまいました。

 一方、エルサレムのアブシャロムはダビデの信任厚かったアヒトフェルが味方になったことで大いに気をよくしています。そこへなんとダビデの友フシャイまで恭順の意を表してやってきたのです。アブシャロムはこれには驚いてしまいます。『王様、ばんざい。王様、ばんざい』16節と駆け寄るのですからさすがのアブシャロムも『これが、あなたの友への忠誠なのか』と皮肉るほどです。

 

 フシャイは心の中心に神とダビデを据えながら『私は友の子に仕えるべきではありませんか』19節と、まことしやかに言い放ちます。アブシャロムはその理屈を疑おうとしないのです。数年かけて周到に策を練った謀反人とは思えないほど軽率です。軍人として政治家として王として信仰者としての父ダビデが、どれほどの人物であるのかを知らないのです。ダビデの側近たちの命がけの忠誠心も知らないのです。所詮、世間知らずのお坊ちゃま王子様なのです。

 

 あとはアヒトフェルとフシャイにまかせておけばよいと考えたのか、ダビデが残した十人のそばめたちに近づいていくのです。

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サムエル記を愛して その38

サムエル記第二・第一五章 アブシャロムの謀反・ダビデの都落ち

 

 

 アムノンを殺害して以来五年、アブシャロムは父王ダビデの心中を推しはかりつつ自分なりの結論に達したのでしょう。それはだれもが最も避けたいことでした。親への謀反です。単なる犯行ではなく、父に代わって王の座に就くこと、権力をわがものにすること、自分の王国にすることでした。アブシャロムはこの国の真の支配者が神であることを忘れ、神を無視したのです。

 

アブシャロムは卑怯なやり方で民の人心を惹きつけます。『アブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ』6節とあります。盗むとは自分のものでないものを不法な方法で手に入れることです。四年間もアブシャロムは周到に人心を盗み続けます。

 

 ついに謀反の時が来ました。アブシャロムはダビデに、誓願を果たすためにヘブロンに行かせてほしいと願い出て、許可を得たのちヘブロンへ行きます、9節。密かに全イスラエルに使いが出され、『アブシャロムがヘブロンで王になった』10節、と言わせます。ぞくぞくと人々が駆けつけ、謀反集団が形成されていきます。アブシャロムはダビデの議官ギロ人アヒトフェルを陣営に呼び入れます。この人物はまもなくダビデとアブシャロムとの明暗を分ける役割をします。

 

 さあ、ダビデです。風雲急を告げる事態に直面して、ダビデの対処方法は一見不可解です。ダビデは一目散に一族郎党家臣を引き連れて脱出します。ひたすら逃げるのです。城を捨てて逃げるなんて、大将のすることでしょうか。ふつう、大将は死を覚悟して城に残るものです。城と運命を共にするのが大将です。ダビデは『さあ、逃げよう。すぐ出発しよう』14節。命あってのものだねと言わんばかりです。祭司ツァドク、レビ人は神の箱を運び出し、かついできました。さすがは祭司ツァドクです、いちばん大切な神の箱を置き去りにしてはいけないのです。

 

 ところがダビデは『神の箱を町に戻しなさい。もし主の恵みをいただくことができれば、主は私を連れ戻し、神の箱と住まいを見せてくださるだろう』25節、と言って、ツァドク、エブヤタル、彼らの息子たちのアヒマアツ、ヨナタン、それにアルキ人フシャイなどの忠臣たちを都に帰させます。ダビデは彼らに細かい指示を与えます、つまりスパイ役をせよとのことです。彼らはダビデの命に従って神の箱をもってエルサレムに戻ります。

 

 ダビデは座り込んでじっくり作戦を練ってから行動するのではなく、歩きながら走りながら考える人なのでしょうか。軍人、戦士はそうなのかもしれません。ダビデは着の身着のまま、はだしで脱出したわりには、綿密な作戦を立て家臣たちを適材適所に就かせます。逃げ出しはしたが巻き返しを狙っています。その根底には『主が良いと思われることをしてくださるように』26節、との切なる祈りがあるのです。

 

 ダビデ一行は新約にも登場するオリーブ山の坂を登るのです。みな、『頭をおおい泣きながら登るのです』、30節。神の最善を信じていたとはいえ、自分の息子に背かれて命の危険にさらされているダビデの心中にはどんなことが去来していたでしょうか。

 

 このオリーブ山の坂を最後の晩餐を終えたイエス様は弟子たちとともに下ります。北西側にあるゲッセマネの園で十字架を前にした命がけの祈りをするためでした。

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サムエル記を愛して その37

サムエル記第二・第一四章 ダビデ家の悲劇

 

 

 久々にヨアブの登場です。王国の陰でなお隠然たる地位にある将軍ヨアブは、ダビデの姉ツェルヤの息子です。同じいとこ同士で、ダビデより年長と思われます。男三人兄弟の長子、三人ともダビデの側近です。もっとも末のアサエルは早々にアブネルに殺されてしまいますが、そのアブネルをヨアブは公然と殺害しています。かたき討ちの意もあったでしょう。しかし、ダビデはアブネルの殺害をよく思っていません。互いの胸の中には不穏な闇がただよっています。

 

 外側からは二人の内心を推察するばかりですが、ともかくも、ヨアブはダビデにたいへん忠実です。ダビデもヨアブの弱みを握っている強みからか、バテ・シェバ事件ではウリヤ殺害の命をくだしています。ヨアブはすべてを見通したうえで、職務として王の命に服従するのです。そして、この章でも壊れかけている父と息子、ダビデとアブシャロムの関係修復のために腐心しています。

 

 タマルレイプ事件を引き起こした異母弟アムノンを殺害したアブシャロムは、母方の祖父の所に逃亡したままでした。ダビデはいつまでもアムノンの死を嘆くばかり、そのまま三年が過ぎました。王位後継者第一位のアブシャロムを放っておいていいのかとヨアブは思ったことでしょう。手立てを尽くしてダビデの同意を得、ついにゲシュルからアブシャロムをエルサレムに連れて帰ります。アブシャロムはその足でダビデに会って、気持ちよく和解し、その後自宅へ帰ろうとさえ思ったかもしれません。しかし、ことによったらタダでは済むまいと、ある種の覚悟もあったでしょう。そうでなければ三年もの逃亡生活に終止符を打って帰国するはずがありません。

 

 ところがダビデはヨアブに言うのです『あれは自分の家に引きこもっていなければならない。私の顔を見ることはならぬ』24節。ダビデの心はいつになくかたくなです。せっかく帰ってきた息子を罪人のように閉門蟄居しておれというのです。赦すなどとはほど遠く、もしかしたら、これが形を変えたアブシャロムへの制裁だったかもしれません。これにはアブシャロムも、間に立ったヨアブも大いに当惑したのです。そのまま、さらに二年が経ちました。アブシャロムは心の持って行きどころがなかったのでしょう、仲介役のヨアブを逆恨みして、家来たちに命じてヨアブの麦畑を燃やしてしまいます。抗議するヨアブにアブシャロムは『私は王の顔を拝したい。もし私に咎があるなら、王に殺されてもかまわない』32節、と言います。これはアブシャロムの偽らざる心境でしょう。

 

 ようやく、ダビデはアブシャロムを呼び寄せます。アブシャロムは、王の前にひれ伏し、王は近寄って口づけをします。しかし、なぜかこの邂逅には心打つものを感じません。空々しいばかりです。

 

 しかし、考えてみますと、この事件は肉親間のトラブルとは言え、単なる一家庭の問題ではなく王国に深くかかわる一大事です。ダビデは二人の王子たちを取り巻く人々の心情と動向を注意深く観察していたのかもしれません。ダビデの出方一つで王国の屋台骨が揺らぎかねません。しかし五年も経てば双方とも激した思いも静まるでしょう。

 

 ダビデは月日の経過に託していたのかもしれません。神の時を待っていたのかもしれません。

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サムエル記を愛して その36

サムエル記第二・第一三章 ダビデ家の悲惨 

 

『その後のことである』1節。なんとも意味深長な書きぶりです。この後って、なんの後でしょうかと問いたくなりなりますが、問うまでもなく、ダビデの姦淫事件の後を指さすのでしょう。神はダビデの犯した罪は赦すが、『あなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす』一二章11節と予言されました。つまり、罪の結果、家庭の中に問題が起きますよといわれるのです。

 

 しかし、神よ、ちょっと待ってください、読者としては納得できません、親の罪は子に及ばないとは律法以前からの約束ではありませんか、聖書の信仰に因果応報はないはずですと申し上げたいのです。イエス様は目の不自由な人に、本人の罪でも親の罪でもないと明言されたではありませんか。あれこれと反論したくなりますが、神と論陣を張れる人はいないでしょう。あのヨブでさえ、長期戦のあげく明確なロジックを得ないまま御稜威の前にひれ伏し、それが唯一の完全解決であったのです。

 

 さて、ダビデ家に起きた最初の災いは、これぞまさに顔を背けたくなるほどの暗澹たる近親強姦事件です。ダビデの子アブシャロムの妹、可憐な王女タマルが、ダビデの子のアムノンに強姦、つまりレイプされ、捨てられてしまうのです。タマルとアムノンは、腹違いの兄妹同士です。この事件が知られないはずはありません。まず、『ダビデ王は、事の一部始終を聞いて激しく怒った』21節、のです。兄のアブシャロムは、タマルに、今は黙っていなさいと言いがらも、アムノンを憎みます。つまり、ダビデもアブシャロムも内心では怒り憎んでいるのに、表立ってアムノンに物言うことはしないのです。どす黒い憎悪の炎だけがひそかに燃えさかっているのです。しかし、だれの心にどれほどの憎悪が潜んでいるかは外側にはわからないのかもしれません。みんな黙っているだけですから。

 

 ダビデの家族は、妻たち子どもたちとは言っても血のつながりは薄いのです。おそらく屈託のない団欒などはなかったでしょう。家長としてのダビデがどれほど家族に気を配ったかは疑問です。妻たちそばめたちが大勢いてもいわゆる一家の母はだれなのか、その人の影響力はあったのかどうかも問題です。ダビデ家には秩序も愛もなかったのです、

 

『それから満二年たって』23節、と書き出して、また忌まわしい事件が記されます。二年間、つまり二年もお互いの顔色を上目づかいで盗み見合っていたのです。しかし、ついに一つの噴煙が上がりました。

 タマルの兄のアブシャロムが、羊の毛の刈り取りの祝いに、王の息子たち全員を招待します。ダビデのところにはわざわざ自分で出かけて行き『王も、あなたの家来たちも、このしもべといっしょにおいでください』24節、と誘います。ダビデは上手に断りますが、アブシャロムはアムノンを行かせてくださいと頼み、王の許可を得ます。不気味です。アブシャロムの魂胆を察知しないダビデとは思えませんが、どうしたことでしょう。

 

 宴たけなわのころでしょうか、『アムノンを打て』28節、との命で、アブシャロムの筋書き通りアムノン一人が殺され、他の王子たちは逃げ延びます。兄弟殺しです。カインが兄アベルを打ったように、ダビデ家も兄弟殺しから悲劇の幕が切って落とされました。

 

 

 

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